3.吟遊詩人


 屋敷を抜け出し、少し離れた道端で足を止めた。

 ちょっと走っただけなのに、マラソンを走ったレベルに息が上がってる。

 完全に運動不足だ。引きこもりだったのだから仕方ない。


 さて、どこで時間を潰すか。

 数年間外に出ていないから、どこにも行く当てがない。


 使う機会もないのに、毎月小遣いとしていくらか貰っていた。

 そもそも施しのようで使うのには抵抗があった。


 しかし、今の俺にはそんなプライドはない。せっかく金があるなら使えばいい。

 街に遊びに行こうじゃないか。

 


 しばらく歩けば石畳の街に到着し、店先をぶらぶらとした。

 何か部屋で暇潰しができるものを買おうか、それとも買い食いでもしてみるか。


 ふと店先の窓ガラスを見ると、映っていた男にギョッとする。

 鳥の巣のようにボサボサの髪に無精ひげ。不潔を絵に描いたようだ。

 誰だこのホームレス……俺に決まっているが。改めて見ると、本当に不審者だ。


 この風貌なら行き交う人が俺を避けて通っていた意味がわかる。

 自分では鼻がマヒしてわからないが、恐らく酷い臭いを放っているだろう。


 惨めな気持ちになっていると、遠くから何かの音が聞こえてきた。

 楽器のメロディーのようだ。

 

 なんて思っていると、街ゆく人が皆同じ方向に向かって行くのに気付いた。


「噂の吟遊詩人が来てるらしいぞ」

「とんでもない美形だそうじゃないか。見に行こうぜ」


 男たちが口々にそう言って走って行く。

 

 吟遊詩人。

 楽器と共に各地をまわって歌を歌う、こっちの世界の歌手みたいなものだ。

 ラノベやゲームでたまに見たことがある。


 テレビもスマホもないこの世界で芸能人を見られるなんて、最大の娯楽だ。

 しかも、とんでもない美形だと。これは見に行くしかない。


 人波について行くと、徐々に音が鮮明になってくる。

 この音はギター? いや、竪琴か?


 辿り着いた小さな酒場は人が溢れかえっていた。吟遊詩人の姿は見えなくても歌声は聞こえてくる。

 

 美しい艶やかな歌声だ。中世的な高く伸びやかなその声は、男か女かわからない。

 でも、よく似た声を知っていた。

 

 前世で毎日のように聞いていた、紫月ノエルだ。

 

 周りがギョッと鼻を押さえて避けていくのをいいことに、俺はどんどん前へ進んで行く。


 群衆に取り囲まれた、ステージとも呼べない木箱の上。

 椅子に腰かけた吟遊詩人が竪琴を弾いていた。


 腰まで届く紫がかった銀髪に、アメジストのような瞳。

 装飾のついたローブマントは上等なモノのように見えたが、貴族のそれとは違う。

 まるで舞台衣装のように、彼の幻想的な美しさを引き立てていた。


 驚いた。

 2次元でしかありえないと思っていた紫月ノエルの姿にそっくりだ。

 推しが2次元から飛び出してきた。そうとしか思えない。


 それでも、ノエルとはまた違う透明感のある歌声。それを乗せる竪琴の静かなメロディー。

 まるでこの世の者とは思えない、月から光臨してきたと言われても信じてしまいそうな神秘的な姿だ。

 膝に乗せた竪琴が三日月のような形をしているのも、その印象を際立たせている。

 

 その姿と歌声に見惚れていると、竪琴を爪弾いていた彼の白く細い指先がそっと離れる。

 ほう、と一斉に観客からのため息が聞こえ、そして拍手が沸いた。


「いやあ、噂通りだな。吟遊詩人」

「男にしとくのはもったいない美人だ」

「本当に男なのか? 男装してる可能性もあるぞ」

 

 口々にそう言いながら、客たちは吟遊詩人が開けた竪琴のケースにコインを投げ入れていった。


 まるでスパチャだ! ……じゃなくて、これが本当の投げ銭だ。

 前世では金がなくてほとんどできなかったが、今なら金がある。


 懐の革袋から銀のコインを出した。

 ドキドキと歩みを進め、彼の前に出る。そっとケースにコインを置いた。


「ありがとうございます。初めましてですよね?」


 顔を上げた彼が、銀の双眸で俺を見つめてくる。

 初見だと認識してくれている!


「は、はい。初めて聞きました。すごく素晴らしくて、感動して」


 推しを前にすると語彙力が低下するのは、転生しても変わってない。

 

「ありがとうございます。僕はノアと申します。あなたの心の片隅にでも刻んでいただけると嬉しいです」


 ノア、か。名前までちょっとノエルと似てる。

 でもこの風貌と声にピッタリのキレイな名前だ。


 薄いノアの唇が、静かに開く。


「貴方のお名前を、聞いてもよろしいですか?」

「え、あの……フレデリック、です」

「フレデリックさん。ぜひまた聞きにいらしてくださいね」

 

 ノアが微笑みを浮かべると、銀の髪がきらりと輝いた。

 俺にはそれが、天使の輪のように見えた。

 


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