第9話 『怒り』と『苦悩』

「ん…あれ?いつの間に…」



俺は黒革のソファーの上で目を覚ました。周囲を見渡してみると、記憶の片隅にこの場所に来た記憶があった。少し混乱しながらも、立ち上がると奥の方の部屋から魁兄が出てきた。



「おっ起きたか‼おはよう‼」



「おっおはよう…その…今何時?」



「今は11時だよ。そんな気にしなくても大丈夫。今は体をゆっくりと休めて、精神も休めることが大切だ。体が痛むとかは無い?」



俺は自分の体をあちこち触るが、体が痛むという事はなさそうだ。ただ…まだ頭が痛い。先程までと比べると随分と楽になったが、俄然頭が裂けるかのように痛い。



「体は大丈夫…かな。でも、頭が痛いや。それになんていうか…」



痴漢を疑われていた時に感じていた【怒り】や【何故?】というような感情が段々と失われているような気がした。それに今までとは違って、もう元には戻せないほどに家族は崩壊してしまった。



俺があの場で疑いを晴らすことができればよかったのだが、それも今となっては後悔するだけになるだろう。



俺は少なくとも父親と母親の事は信頼していた。妹のことだって、と思ったことはあれど大変な状況になったら、お互いの事を助け合えると思っていた。



だから俺の事を庇ってくれる…そう思っていた。でもそれは…俺の幻想だった。



妹は予想以上に俺の事を嫌っているようだ。父さんも俺の事はもう、として扱うだろう。母さんも父さんが俺の事を無視している以上、下手に干渉してくるはずがない。



なにより…あの時リビングで話していたあの話を聞いてから、俺の頭の中には【疑問】が溢れかえっていた。



「どうかしたのか?」



「なんでもない。…その食事ってもらえたりするかな?」



俺は魁兄に向けてそう告げた。魁兄は苦笑しつつも、『ちょっとまってて。』と言って奥の方の部屋へと行ってしまった。俺も料理くらいは手伝いできると思って、歩を進めようとした。



「あれ?」



俺は立ち上がった状態から、足を動かして普段通りに歩くだけなのに何故か出来ずにいた。だが必死に動かそうとすると、先程までとは打って変わって普段通りに歩くことが出来るようになった。



でも足は長時間座った時のように痺れていて、歩くのは多少辛かった。



時間をかけすぎてしまったため、魁兄が部屋から出てきてしまった。



「ちょっと‼大丈夫か?とりあえずソファーに居ときな‼」



「…わかった。」



俺は魁兄に介抱されながらも、再びソファーに戻ってきた。魁兄は眼の前に料理を持ってきてくれた。俺の体調を気遣っているのか、体に良さそうなものが多そうだ。



眼の前に持ってきてくれた食事は、どれも温かそうで見るからに今調理されたものだとわかった。魁兄は俺の事を気遣ってか、反対側のソファーに座っていた。



「ねぇ…魁兄1つ聞きたいことが有るんだけど良いかな?」



「なんだい?俺に答えられることであれば答えるけど…答えられないものも有るってのは分かってくれよ?」



「もちろんだよ。それじゃあ質問なんだけど…魁兄はさ、頭の中に声が響くって言ったら【妄想】だ。とか【幻聴】だって思う?」



「難しい質問だね。そうだな…少なくとも俺は幻聴だとかって決めつけたりはしないかな。知人、他人関係なしだ。翔太と俺は違う人間だ。だから翔太の事を表面上は理解していても、その内側に抱えている悩みとかはわからないだろ?」



「…そういう風に言ってくれて嬉しい。ありがとう。」



俺は魁兄が作ってくれた料理に舌鼓を打ちながら、そう告げた。魁兄は悩むような仕草を見せていたけど、なにかあったのだろうか?



「魁兄何か悩んでるみたいだけど、何に悩んでるの?」



「ん?気にしなくて大丈夫だよ。…でも1つだけ確認しておかないとな。」



そう言うと魁兄は今までの優しい表情とは打って変わって、真剣な表情になった。



「翔太は、今回痴漢冤罪をかけられたわけだけど、どうしたい?あくまで俺個人の意見としてだけど、黙っているのは一番良くないと思っているよ。」



「俺はどうすればいいかわからないんだ。もちろん【怒り】の感情だってあるし、許したくないって思ってる。でもそれ以上に、こんな事になるなんて…っていう【悲しみ】の感情が強いんだ。だから…魁兄に任せることにするよ。」



「俺に…任せるのか?」



「うん。だって魁兄は弁護士なんでしょ?少なくとも法律については一般人よりも遥かに理解しているはずだし、俺が仮に何かを望んだとしても、法を超えない限りだったらなんでもしてくれるって信じてるから。」



これは本心だ。法律に関する知識があいまいかつ、どこまでしたらアウトなのかも理解していない俺が、何かしようとしても法律の壁に苦しめられて終わるだけだ。



それだったら法律について詳しい人に話を聞きながら取り組んだり、その人に任せてしまう方が良い。そうすれば同じ程度の人間にならなくて済む。



「わかった。翔太の言う通り法律については沢山勉強してきたからな。逮捕されないギリギリまで俺は追い込むことを約束する。」



俺は食事をいつの間にか平らげていた。魁兄はそれに気づき、食器を片付けてくれた。俺は歯磨きだけして、再びソファーに横になることにした。



だが…予想していた通り、何故か足が動きにくい。長時間正座した後に、いきなり立ち上がった時に感じるあの感覚に似ているが、何か違う。



俺は足の違和感に不安を感じながらも、多少時間を置けば回復したので問題ないと判断して、ひとまず今は体を休ませることにした。





















頭痛は前よりもひどくなっている。それも段々と痛みの度合いが増してきているような気さえする。

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