第2話

「こちらです」


 リリーが扉を開けると、金色の髪をした青年が振り向いた。


「初めまして。ウィリアム・レイナードです」


 顔の左側は前髪で隠れているが、整った顔立ちの好青年といった雰囲だ。それにリリーとは違い、優しい笑みを浮かべている。


 ——あぁ、よかった。まともそうな人だ。


 グラントは安堵あんどの吐息をついた。


「私はグラント探偵事務所のジル・グラントと申します。それから、彼は助手のハロルド・ヘンダーソンです」


 グラントとヘンダーソンが会釈をすると、ウィリアムは「どうぞ」と、ソファーに座るようにうながした。


 2人が座ると、リリーが慣れた手付きでテーブルに紅茶を置く。ベテランのメイドのように、流れるような所作だ。その様子をグラントは、じっと見つめる。


 ——近所の人たちが、彼女を灰かぶり姫と呼んでいたのは、間違いではないようだな……。


 リリーたちが引き取られたのは、8歳の頃だと聞いていた。今が18歳ということは10年間、使用人として働かされていたということになる。


「今日は事故の件、ですよね……? 半年も経っているのに、まだ調べているんですか?」


 ウィリアムは、ティーカップを持ち上げながら言う。


「貴族の家では珍しくはないのですが……。当主が亡くなると、その原因を血縁者の方々が調べることが多いんですよ。家の者が財産を引き継ぐ資格がなくなれば、自分たちの取り分が多くなりますからね。レイナード伯爵はまだお若いので、ご存知ないかも知れませんが」


「そうなんですね。それで、訊きたいことというのは……」


「貴方は3人の命が失われた事件の、唯一の生存者です。崖下に転落した馬車が、どんな状況で落ちたのかを伺いたかったんです。あの出来事は、事故ではなかったのではないか、と疑っている方がいらっしゃいまして……」


 グラントは、ウィリアムの目を見つめた。


「なるほど……。あの夜は月が出ていなくて、とても暗い夜でした。ランタンの灯りだけで進んでいたのですが、途中で石に乗り上げて、馬車がバランスを崩し、崖から落ちてしまったんです」


「警察の報告書にも、そう書いてありますね……。でも、どうして広い道ではなく、道幅の狭い山沿いの道を通ったのでしょうか。危険な場所も何ヶ所かあるようなので、夜に通るのはおかしいと聞いているのですが」


 ドアの前に立っていたリリーは、グラントの言葉を聞いて、小さくため息をついた。


 ——この言い方だと、この方は現場を見ずに話しているのね。私ならここへ来る前に、現場を確認しに行くわ。


 他人から聞いた情報だけで判断するなど、リリーにとってはありえないことだった。


「うーん……。おかしいと言われても、我が家ではそれが当たり前でしたからね」


 ウィリアムは、くすりと笑う。


「あの夜だけでなく、毎回、夜でも山沿いの道を通っていたのですか?」


「えぇ、そうですよ。あの道が1番の近道なんですよ。御者は毎回リアムでしたが、彼は一度も事故を起こしたことはありませんでした」


「リアムさんは、リリーさんの双子のお兄さんですよね」


「えぇ。彼はとても優秀だったので、亡くしたのが惜しいですよ」


『惜しい』と言いながらも、ウィリアムは表情を変えない。そして、ゆっくりと紅茶を飲んだ。


 本当の兄弟ではないが、家族として一緒に住んでいた人間が死んだのに、なぜ平然としているのか。グラントは小さな違和感を覚えた。


「もう一つお伺いしたいことが……。馬車は崖から落ちた後に、燃えていますよね。どんなふうに燃えたのでしょうか。少しずつ燃えていったのか、一気に燃え広がったのか……」


「僕は、一気に燃え広がったように見えましたよ。崖から落ちた時にランタンが壊れて、オイルが飛び散ったのでしょう。それに古い馬車だったので、よく燃えたんだと思います」


「なるほど。色々な不運が重なってしまったんですね……。崖下に落ちた時点で、ウィリアム伯爵以外に生きていた方はいたのでしょうか」


「馬車の残骸の下から、うめき声は聞こえたので、なんとか助けようとしたのですが……。火の勢いが強くて、何もできませんでした……」


 ウィリアムは両手で顔をおおってうつむいた。


 ——リアムさんが死んだことは、なんとも思っていないようだったが、さすがに両親が死んだことを思い出すと、苦しいんだな。


 グラントは目を伏せた。


「つらいことを思い出させてしまって、申し訳ない……」


「いいえ。本当にあっという間の出来事だったので、僕も答えられることはあまりないんですよ。それに怪我の影響で、しばらくは寝込んでいたので、記憶も曖昧あいまいになってしまって」


 前髪で隠された、顔の左側を押さえるウィリアム。3人も死者が出た事故だ、ウィリアムも相当酷い怪我を負ったのだろう、とグラントは思った。


「そうですよね……。今はもう怪我は癒えたのですか?」


「はい。たまに痛みますが、大したことはありません。お気遣いありがとうございます」


 そう言って優しげに微笑んだウィリアムに、グラントとヘンダーソンは、しばし見惚れた。ウィリアムは中性的な容姿で、男から見ても美しい。微笑んで見つめられると、なんだか変な気を起こしそうだ。窓から差し込む、朝の柔らかな陽の光に照らされて、神々しさも感じる。


 ——これは……早く帰ろう。


 グラントは、慌てて手帳を胸ポケットへ差し込んだ。


「お、お伺いしたかったことは以上になります。ありがとうございました!」


 グラントとヘンダーソンは立ち上がって会釈すると、すぐに扉へ向かった。




 リリーに見送られた2人は、門の外まで歩いて立ち止まった。改めて屋敷を見ると、リリーとウィリアムが2人で住むには大きすぎる屋敷だ。


「そんなに長い時間いたわけでもないのに、疲れたな……」


 グラントはため息をついた。


「そうなんですよね。立派な屋敷なのに、なんだか薄気味悪いというか……。でも、警察から聞いている情報と、矛盾する点はなかったですね」


「それはそうだが……」


「何か、気になることがあったんですか?」


「ないから、おかしいと思ったんだよ。受け答えが完璧すぎる。特にウィリアム伯爵は、事故による怪我の影響もあったはずなのに、あんなにスラスラと答えられるものか?」


「まぁそう言われたら、そんな気もしますけど……。僕はリリーさんの視線が怖くて、それどころではなくて……」


 ヘンダーソンは両腕をさすりながら言う。部屋の隅に無言で佇むリリーを思い出して、寒気を感じていた。


「ずっと見られていたからな……。まぁ、リリーさんは女性だし、ウィリアム伯爵も男にしては小柄で、あの容姿だ。それに怪我もしている。あの2人が事故を起こしたとは考えられないな。依頼者へは、違和感は無しと報告しよう」


「そうですね……ん?」


 グラントとヘンダーソンは、何かの視線に気が付いた。屋敷の方へ目をやるが、玄関の扉は閉まっていて、リリーはもう中へ入っているようだ。


 ——気のせいか……?


 グラントが不思議に思っていると、「ひぃっ!」と引きつったような悲鳴が聞こえた。驚いたグラントが横を向くと、ヘンダーソンが蒼ざめた顔でわなわなと震えている。


「グ、グラントさん、2階、2階……!」


 ヘンダーソンが震える手で指差す方へ目をやると、微笑むリリーが2人を見下ろしていた。右腕でガイコツを抱きしめて——。


「ひぃぃぃぃ!」


 グラントとヘンダーソンは、急いで屋敷から離れた。


 ——リリーさんが不気味なのは、もしかすると、死んだ3人に取り憑かれているからなのかも知れない……!


 もう二度と屋敷に近付きたくない2人は、再調査を依頼されないように、『怪しいところは一切無し』と報告しようと心に決めた。




 何度も転びそうになりながら走って行く2人を、リリーは冷ややかな目をして見送る。


「本当に単純な人ばかりね……。ヒントはたくさんあったのに、それでも気付かないなんてね」

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