辛いのは

 どのくらいそうしていたのだろう。首に巻いたマフラーが頬を包み、温かさが心地いいと感じ始めていたその時だった。


「ねぇ、何してるの?」


 突然男の声がして雪菜はパッと目を開けた。


「うっ…ま、まぶしい」

「こんなとこで寝てたら、風邪引くよ?」


 声の主は笑いを堪えているようだ。

 

 雪菜は驚いて立ち上がり、ダッフルコートについた雪を払う。


「ご、ごめんなさい」


 雪菜は恥ずかしさのあまり、この場から逃げるように置いておいたケーキボックスを手に取る。


「…えっ?」



―― な……い…?


 さっきまで座っていたベンチも、あずまやもなくなっている。在るべきものがある場所にないのだ。あるのは目の前に広がる白く覆われた銀世界だけだった。


 慌てて振り向いてみるも、そこには何もない。あるのはどこまでも続く、綺麗で真っ白な世界だけだった。誰にも汚されていない世界。

 もちろん雪菜の人形ひとがた以外、足跡もない。


「ここ…」

「どうしたの? 道にでも迷ったのかな?」


 雪菜が戸惑う姿を楽しむような声が聞こえた。


「あの…えっと私。その…ここはどこなんでしょう? そ、それと失礼ですが…あなたは?」

「ククク」


 声をかけてきた男は必要以上にお腹を抱え笑っている。


「あの! 笑うのは失礼じゃないですか?」

「あ、ごめんごめん」


 ごほんっと男は姿勢をただす。


「怪しいものじゃない。……ぷっ。あ、失礼」


 ちょっと待って、怪しい人ほど自分を「怪しいものじゃありません」って言うのがセオリーだ。


 雪菜は眉間に皺を寄せ男を観察する。


 ニコニコ笑っている男。クリクリっとした天パの髪にサングラス。髪の色は銀色で銀の小さなピアスをつけている。

 黒のコートに手を突っ込み、淡く綺麗なブルーのマフラーをしていた。


「どぉ? 観察は終わった? ね、怪しいものじゃないでしょ?」

「……」


「僕は通りすがりの配達人だよ」

「えっ? 言ってることがわからないんですけど」


 どうみても、宅配業者の人には見えないし、荷物を持っている感じもしない。どうみても怪しい。

 

 雪菜は戸惑いながらも、ここまでの経緯を一生懸命思い出してみる。

 

 ケーキを買って公園で座って雪が降るのを見ていたはずで、雪の結晶が綺麗だなって思ってた。


 そうしていたら、急に何だかとても寂しくなって…。


 そして空を見上げて、フラッとして…倒れた? そこからの記憶が曖昧なのだ。


「君は願ってたよね? 全てを雪で隠して欲しいって。珍しいお願い事だなぁ~って思ったんだよね」


 怪しい男はフワッと浮いて、雪菜の向かい側にスポット降り立つ。雪は男の膝下まで積もっていた。


「君の願い通りだね。どぉ?」

「どぉ? って言われても」

「まぁ~綺麗だよね」


 怪しい男は両手を広げ、深呼吸する。「ほら、やってみて」と言われ、雪菜も真似をして深呼吸する。

 すごく心が落ち着く気がする。この景色のせいなのか、この男の存在が安心させるのかわからない。


「ねぇ、見てみなよ。君が寝ていた所」


 男の指差すところには大の字の人形ひとがたが残っていた。


「この雪の下には、春を待つ草木が眠ってる。ほらここ」


 男が指差すそこに、キラキラ光る黄色い蕾が一生懸命雪から顔をのぞかせている。


「けなげだよね。これは君が今、必死になって隠そうとしているものだよ。でも草木はいつか来る春のために頑張ってる」

「私が隠そうとしているもの…」


 雪菜には心当たりがあった。


 隠したいのは自分の気持ち。匠へのくすぐったい何か。でもそれは、誰にも知られたくない。


 初めて会ったときからずっと心の奥底にそれはあった。

 匠の笑顔に、優しさに、面白さに惹かれている自分がいた。しっかりしているのにたまに抜けているオチャメなところも、困っている人を見捨てられないところも全部…好き。


「でも…」


 雪菜の目に涙が浮かぶ。


―― でも今、匠くんは桃花と二人でクリスマスを過ごしている。一緒にいるのは私じゃない。桃花の願いが叶ったんだから、おめでとうって言いたいのに…すごく、すごく辛いよ。ごめんね…桃花。


「でも…桃花は親友だから…っ」

「だから?」

「……え?」


 男は不思議そうな顔をしている。


「人を好きになるのと桃花ちゃん、何か関係があるのかな? 僕は関係ないって思うよ。だって人を想う気持ちって素晴らしいことなんだから、無理に隠すことないじゃん?」

「でも…」

「それとも君は、桃花ちゃんが好きになった子だから好きになったのかい?」

「そんなこと! ひどい……」


「あ、やべっ。もう行かないと、間に合わなくなっちゃう」


 そう言うと、涙を溜めて必死で堪えている雪菜を放置し、怪しい男はフワッと飛び上がり空へ舞い上がる。


「人を想う気持ちってさ、とっても素晴らしいことだよ。そのために努力できるなら最高じゃない? そういう人はみな、輝いてる! だから君もがんばれ」

「ちょ、ちょっと」


 男は言いたい事だけ言うと、ゆっくりと舞い上がる。

 男の靴からヒラヒラと落ちる雪が光に反射しキラキラと輝き、雪菜はその美しさに見とれてしまった。


「『好き』っていう気持ちを、否定しないで良いんだよ」


 雪菜は言葉につまる。この痛み、辛さをどう伝えたらこの男に伝わるのか…わからなくて唇を噛み締めうつむく。


 涙がポタっと雪の上に穴をあけた。


「桃花に…知られたくない。嫌われたくないの」

「桃花ちゃんが君の気持ちを知ったら、君を嫌うの? そんなこと誰にもわからないよ。決めるのは彼女だ。それに、桃花ちゃんはそんな子なのかい?」

「……っ」


 さぁ、心に積もらせた雪を解かす時だよ。


 男の声が頭上、空の方から聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る