冥界に雪は降らないが、サンタは平等に来るらしい

横山すじこ

クリスマス

12月24日


「ばかもん! クリスマスはキリストのお祭り、サンタだのプレゼントだの、そんなもん冥界にはない!」


 閻魔は怒っていた。

 部下の鬼たちが人間どもから変な知識を手に入れ、できもしないクリスマスをやりたいやりたいと騒いでいたからだ。


「しかし、プレゼント交換くらいならできるかなと……!」

「夜ご飯をちょっと豪華にするとか……!」


 閻魔は持っていた杖で床を二度鳴らした。静まれ、の合図だ。


「くだらないことを考える暇があるなら仕事をしろ!」


 どっしりと椅子に腰掛けて、目の前の鬼たちを一蹴する。


「嫌なら出て行って構わんぞ」


 鬼たちは閻魔をビクビクと見つめ、顔を下げた。

 ただでさえ怖い顔がより一層凄みを増して、ギロリと部屋を見渡す。


「聞こえんのか、仕事だ!」


 慌てて動き出す鬼たちを見て、閻魔はまた大きなため息をついた。


 ──クリスマス

 そもそもはキリストの聖誕祭である。閻魔の過ごす冥界では関係のない話だった。

 鬼たちは相変わらず

「プレゼントってなんだろうな!」

「一度でいいからサンタに会ってみたいぜ!」

 だなんて盛り上がっている。閻魔はめんどくさくなって、鬼たちを放っておくことにした。


 昼前の仕事を終えて、どしんと背もたれによしかかったとき、閻魔の目の前にお茶が差し出された。

 すらりと長い背丈に白い着物、冥界には似つかわしくない華やかなオーラの中に見える黒さ、狡さ、かしこさ。いつかこの席が乗っ取られてしまうんじゃないかと、怯えてしまうほどのエネルギーを放つ側近の男。小野だ。


「閻魔様も、本当はクリスマスとやらに興味がおありなのでは?」

「口を慎め、舌を切るぞ」


 ひぃ、こわいこわいと小野は言う。その顔が楽しそうだったので閻魔は奇妙な怖さを感じた。この男はいつもこうだ。


「私が人間だった頃はこんなイベントありませんでした。調べたところによると定着したのはたったの百年前ほどらしいですね」

「ふむ、ずいぶん最近なんだな」

「……やはり興味がおありで?」

「いいや、ない」


 閻魔はお茶を一気に飲み干す。

 小野はコップにお茶を注ぎ、口を開く。


「お言葉ですが。人間に審判を下す裁判官でありながら、人の世の知識が足りないのはいささか問題では? そのクリスマスとやらも詳しく知っておいて損はないかと」


 閻魔は思わず、その通りだと同意しそうになる。それをグッと堪えて大きく咳払いをした。

 閻魔は小野がとにかく苦手だった。しかしそこらの鬼より優秀だから、置いておいて損はない。これはビジネス、ビジネスなのだと言い聞かせながらうん千年。

 これまで何度も小野の口車に乗せられていろんなことをしてきた。今回はそうはいかない。小野の思い通りになんてなってたまるか。

 閻魔は首を横へ大きく振った。


「いいや! これまで長いこと閻魔大王を務めてきたが、クリスマスを知らなくて困ったことなど一度もない! 地獄か極楽かを決める中で、そんなものどうでも良いのだ!」


 ただでさえひょろりと細く長い小野の顔が、さらに細くなって見えた。目を薄めて笑っているのだ。まるで閻魔の心を見透かしているかのように、ふふふと笑うのだった。


「次の人どうぞ!」


 午後の仕事が始まる。冥界にやってくる人間たちと軽く面接をし、地獄行きか極楽行きかを決める仕事だ。

 部屋に入ってきたのは、立派な白い髭に口元がほとんど覆われている老人だった。

 ふさふさの白髪から優しそうなたれ目がひょっこり見えている。真っ赤な服に身を包んで、でっぷりとしたお腹を撫でていた。


「名前を述べよ」


 鬼たちは審判の間に入った男を椅子に座らせ、質問をする。閻魔はその様子を見ながら、現世での行動に耳を澄ませ、極楽か地獄かへの判断を下す。


「サンタクロースといいます」


 その言葉に鬼たちがわっと騒ぎ出す。閻魔はドン、ドンと杖で二回床を鳴らした。

鬼たちはびくりと肩を震わせ、口を閉じる。老人はちっとも動じなかった。

 閻魔はフンと鼻を鳴らして目を瞑る。正直、少しワクワクしてしまった。さっき話していたサンタクロースが目の前にいるというのか。

 その上イライラもしていた。どれだけ耳を澄ませても、こいつの悪行がちっとも聞こえてこないのだ。

 どうやらサンタクロースというのも、嘘をついているわけではない。こんなに影のない人間がいるのかと、閻魔は自分自身の地獄耳を疑った。


「おぬし、サンタクロースと言ったな」

「ええ、そうです」

「サンタは、クリスマスに働くのだと聞いた。ここにいるということはおぬしは死んだことになるが……働けないことに対してどのように思う」

「いずれこんな日が来るだろうと思っておりました。この日のために、昨年から息子に跡を継いでおいたのです」


 サンタがプレゼントを配り歩いているのは、閻魔も知っていた。


「だから、後悔はありません。私は十分、天寿を全うしました」


 サンタクロースはニコニコと笑って閻魔を見つめていた。閻魔はその目を見て思わず顔を逸らす。何だか恥ずかしくなってしまったのだ。


「ところで、クリスマスはキリストの聖誕祭だろう。ここは仏教徒がくるところ。おぬしの信仰とは異なるのではないか」

「サンタだからって必ずしもキリスト教とは限りません。私は日本のサンタですから……実は、生まれたときから仏教徒でした。子供たちの笑顔を見るのがうれしくて、気づけば、こんな仕事に」


 驚いた。そんなこともあるのか、宗教と宗教のぶつかり合いでトラブルにならないのか。閻魔はあれこれ考えて、ううんと首を振った。そんなことはこの際どうでも良いのだ。


「では最後に聞かせてくれ、人生で一番思い出に残っていることは何だ」


 サンタはしばらく宙を見つめ、それからすぐ笑った。


「ひとつに絞るのは難しいですが、子供達の笑顔です。あの笑顔を見ると心が暖かくなるんです」


 サンタクロースは文句なしの極楽行きだった。閻魔は判決を下し、さっさと次の人を呼ぼうとした。

 しかし鬼たちがぱやぱやと浮かれてしまって、極楽行きの扉の前でちょっとしたファン交流会が開催され始めた。クリスマスの話をした直後に本物が目の前に現れたのだからテンションが上がるのも当然だろう。


「ほらほら、早く連れていきなさい」


 小野が鬼たちの背を押す。渋々鬼たちが足を進め、サンタクロースも歩き出す。

 そして出口で、ふと後ろを向いた。


「閻魔様、ここにはクリスマスという概念があるのですか」

「いいや、あれはキリストの聖誕祭だからな」

「じゃあ」


 サンタクロースは赤いズボンのポケットに手を入れて何かを取り出した。


「あったあった。私から閻魔様へのクリスマスプレゼントです。宗教は違うかもしれませんが、良かったら」


 深緑に金色のチェック模様が書かれたラッピング用紙は、薄く、正方形に包まれていた。右上には鮮やかな赤のリボン。


「これは」

「最期に素敵な出会いに恵まれ、本当に幸せでした。ありがとう」


 閻魔は、ゆっくりと閉まっていく極楽行きへの扉を眺める。自分の右の手のひらよりも小さな包みをそっと見つめ、懐にしまいこんだ。


 その日の夜。


 閻魔は自室の中心にある丸い井戸の前にいた。冥界と人間界をつなぐ井戸である。ここから細長い望遠鏡で底を覗くと、人間界の隅から隅まで見ることができる。

 先ほどサンタクロースにもらった包みの中には、もみの木模様のハンカチが入っていた。タオル素材で、水をよく吸う。閻魔にとっては少し小さなサイズだったが、それでも何だか嬉しくてそのままポケットに入れた。

 ついでに包装紙とリボンも大事に畳んで、机の引き出しにしまった。


 そして閻魔は思ったのだ。思ってしまったのだ。

 サンタクロースの仕事を、クリスマスの暮らしを、もっと見てみたいと。


「暇だっただけだ、知識のためだ」


 自分に言い聞かせながら、大きな指で望遠鏡を優しくつまみレンズを覗き込む。

 レンズの向こうには楽しそうに夜の街を歩く人間がたくさんいた。ケーキやチキンを食べる人間、イルミネーションを眺める人間、プレゼントを交換し合う人間。一人、二人、三人、たくさん。


 閻魔はあと少し、もう少しだけと、レンズを覗き続ける。さらにズームにして、家を一軒一軒覗いてみる。

 そのとき、閻魔の耳に小さな子供の声が飛び込んできた。


「サンタさんくるかな?」


 幼い男の子がベッドの上で絵本を読んでもらいながら、母親に聞いている。


「そうね、サンタさんのためにも早くおやすみなさいをしなくちゃね」

「寝たら来るの?」

「そう。寝ないとサンタさんは恥ずかしくって、来れないのよ」


 それから閻魔は子供部屋を片っ端から見て回った。靴下をぶら下げて笑う子、窓の外をずっと見ている子、来なかったらどうしようと泣く子、夢を見ている子。


 いつも眉間に皺が寄っている閻魔だが、今ばかりは目尻の方に皺が寄った。子供の笑顔が好きなのだ。子供は宝だ、大事にしたい。


 そういえばあの老人も、子供の笑顔が思い出に残っていると言った。この子たちが嬉しそうにサンタを待ち、翌朝プレゼントの包みを見て喜ぶ顔を彼は今までずっと見てきたのか。

 この笑顔のためだけに、働き続けたというのか。


 ふと昼間の出来事を思い出した。鬼たちがクリスマスについて騒いでいたのを。

 彼らはクリスマスはおろか、プレゼントをもらう喜びも知らない。プレゼントをくれる人も当然いない。


「仕事だ仕事と言ってしまったが、浮かれる気持ちも分からなくはないな……」


 ぽつりと呟き、レンズから目を離す。ヨタヨタと井戸から離れ、机の上に望遠鏡を置いた。

 懐からハンカチを出し、もみの木の模様を見つめる。


 ──これまで閻魔大王としてここで職務を全うしてきて、こんなに暖かくワクワクとした気持ちになったのは久しぶりだ。それは、プレゼントをもらったからではない。


 あのときサンタクロースは確かに、閻魔との出会いを喜び感謝を伝えてきた。閻魔はそれが嬉しかった。このハンカチを見るたびにその言葉が思い浮かぶ。


「誰かに感謝されるのは、こんなに嬉しいことなんだなあ……」


 閻魔はベッドに腰掛け、窓の外を見た。

 いつまでも暗い夜の続く冥界の外。外の暮らしなど誰も知らぬ。特に鬼たちにはここでの暮らしが全てだ。知らないことの方が多いだろう。知らない感情だって、多いだろう。

 たとえば誰かに感謝されて嬉しいなと感じる、今の閻魔のような気持ち。


「お手伝いしましょうか」


 顔を上げると、部屋の入り口に小野が立っていた。

 小野はいつもヌルリと、気配もなく部屋に入ってくる。ノックくらいしろというのだが、最近はノックされないのにも慣れた。


「手伝う、って何のことだ」

「鬼たちへのクリスマスですよ、何かしてやれたらって思ったんですよね?」


小野の薄ら笑いがやけにムカついた。このままこの手で雑巾みたいに絞ってやろうかとも思った。


「何をしたらいいかわからん、こんなハンカチなどすぐには調達できん」

「でも紙とペンならすぐにご用意できます」


 小野はパチン、と指を鳴らして机の上に便箋と万年筆を出した、


「プレゼントに大切なことは、ものを渡すことではなく気持ちを込めることです」

「まさか、手紙を書けといってるのか」

「ええ」

「部下に手紙を書く閻魔大王なんて聞いたことがないぞ。無理だ、わしにはそんなことできん」

「そうですか、ではご自由に」


 小野がさっさと部屋を出ていく。ドアが閉まりかけるところで閻魔は慌てて立ち上がった。


「ああ、わかった、わかったよ! 手伝え、手紙の書き方なぞ知らんのだ……」


 小野はニヤリと笑って、また部屋に入ってくる。


「まさかタダ、ってわけでは」

「相変わらず面倒な男よのう! 褒美は準備するから待っておれ、朝まで時間がないのじゃ」


 閻魔は大きな指で小さな万年筆を握りしめる。ニヤニヤ笑う小野に腹を立てながら、眉間にしわを寄せ、紙にインクをにじませていく。


 次の日の朝、鬼たちは目が覚めてすぐに枕元の手紙に気づいた。不器用ながらも、一生懸命書いたと伝わる手紙に誰もが涙を流した。たどたどしく、サンタよりと書かれている文字を見て全員が笑った。


「嘘が下手なお方だぁ」

「慣れないことするから」

「オイラこんな気持ちはじめてだよ!」

「嬉しいな、なんだかこの辺りがぽかぽかするな」

「こりゃあ、宝物だよ」


 閻魔はひとり地獄耳で彼らの声を聞き、恥ずかしくなってすぐにやめた。大きな体で布団をすっぽり被り、顔を真っ赤にしてうずくまる。


 その様子を見て入り口でニンマリと笑う小野の手には、同じように「サンタからの手紙」が握られていた。

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