第9話 生まれたところよりも遠くに行くこと

これは別に物理的なことを言ってるわけではない。

誰の言葉だっけ、さくらももこだった気もするし違う気もする。


『人生とは、生まれた場所から遠く遠くに離れること』


(調べると、はましょーのアルバムが出てくるんだけど、絶対違う。)

(あと私は、はらしょー。)


わたしはこの感覚が割と腑に落ちる。物理的に故郷を離れるというよりは、生まれたところにある『価値観』とか『世界』から離れることだと思う。人によってはそれが外国だったりもする。


そして、「幸せだなぁ」「嬉しいなぁ」


と思うのは


「こんな世界があったんだ」「こんな人たちがいたんだ」


という発見でもある。


「ここしかない」「こういう道しかない」と思い込んで自分自身を縛り付けてた価値観が少しだけ緩くなったとき


わたしは幸せだなぁと感じる。

少しだけ自分の世界観が広がったとき、嬉しく思う。


というのも、今回、ペルシャ音楽を初めて聴きに行った。

ペルシャ音楽について、なじみが一つもなさすぎて、ペルシャ絨毯くらいしか出てこない。


実際に聞きに行って、独特な音色ではあるものの、主旋律がはっきり聞こえてくるし、とても聞きやすかった。


そして1つ、驚くべき発見があった。

最近、左能典代(Sano Fumiyo)さん著の『炎魔』を読んだ。

ご本人から直接伺ったところ、奈良時代の聖武天皇の時代に起きた史実に基づいて書いた歴史小説だそう。

主人公は実際に存在している僧、ゲンボウ(玄昉のことを指しているんだけれども、小説内の表記はゲンボウ)


小説の中に「胡人(こじん)」という言葉や「祆教(けんきょう)」という言葉が出てくる。

胡人はペルシャ人。祆教はゾロアスター教のことを指す。


ゾロアスター教は拝火教と呼ばれるくらい火を最高神の神聖な象徴として崇拝する。


小説内にもそういった記述が出てくるし、よく見たら本の帯にも


「火を見詰めていればわかる」


と書かれている。


なんとも、ペルシャ音楽の前に、まさかのペルシャについて予習をしていたわけだ。


そして、ペルシャ音楽の演奏会の


「Rosvay-e Zamaneh(ロスヴァーイェ・ザマーネ)」という歌の説明の時だった。


「『ろうそくの火に飛び込む蛾のような私』とありますが、これは比喩表現です」と。


その後の説明で、火を神として捉えていて、自分はそれに近づきたいけど近づけない気持ちだったりもあるのではないかという説明を受けた。

それは祆教、つまりゾロアスター教というのが根底にあるからなのではないのか。


こうやって異国の文化にとどまらず、歴史に触れられることはとてもうれしい。

歴史に触れるということは過去とつながることができる。

きっと、何千年に生きていた人たちも、このように音楽を聴いていたのかもしれない。


演奏会で出されていたドリンクのグラスが実は19世紀の物だった。


それも面白い。200年も前からあるなんてすごいね。

その後も室町時代の屏風があったり、江戸時代初期の食器などが普通に使われていて

私はひっくり返っていた。


よい2024年だ。





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