第6話 白牙一文字


「ガアアアアア!」


「………………」


 目の前にはイレギュラーモンスターのベヒーモスが巨大な咆哮を上げる。ビリビリとした空気の振動がこちらにまで届く。


 だけどもう私には逃げる力がない。自分の右わき腹を見ると、ベヒーモスの強靭な爪によりえぐられて、そこから血が溢れ出している。


 たったの一撃――ベヒーモスのたった一撃を受けただけで、こうなった。その鋭い爪の前には、僕が身に着けていた防具なんて紙切れも同然だった。


「おねえ……」


 でも大丈夫、ベヒーモスがここにいるということはお姉と虹弥さんは無事に助かったはず。


 2人とはぐれてしまってから、ベヒーモスはこちらを追ってきた。幸いベヒーモスというモンスターはそれほど足が速くないから、何とかここまで逃げることができた。


 だけどここに来て、森を抜けた先が袋小路になっているなんて本当に運がないよ。意を決してベヒーモスと対峙したけれど、僕の剣はベヒーモスのたったの一撃で無惨に折れて、そのまま防具ごとお腹をえぐられた。


 あまりにも理不尽すぎるよ……


 これまで僕とお姉はダンジョンでずっとモンスターたちと戦ってきた。配信を始めても油断はしていなかったし、常に危険な行動はとっていなかった。この階層だって、十分に安全のマージンはとっていたはずなのに……


「グルルル……」


 血を失って目が霞んでくる中、ベヒーモスの巨体が僕の方へゆっくりと近付いてくる。


 このままとどめを刺す気なのかな……それともこのまま食べられちゃうのかな……


 もうどっちでもいいや。でもお願い……もしも神様がいるのなら、お姉だけは助けて……私のたったひとりの大切な家族だから……


「ガアアアア!」


 ベヒーモスが迫ってくる。僕はすべてを諦めて目を閉じた。


 キンッ


「あっぶねえ……今回は本気でギリギリだったな」




――――――――――――――――――――――――――――――

「くそっ、この階層はかなり広いからな。手当たり次第に森を回るだけじゃ見つかる可能性は低いか……」


「お願い、瑠奈……」


 先ほどから彼女を抱きかかえて、ベヒーモスと遭遇したという場所付近を走り回っているのだが、彼女の妹さんの姿もベヒーモスの痕跡も一向に見つからない。


 彼女の話によると、妹さんもそれなりの探索者で、さきほどのシルバーウルフの群れほどの脅威でなければ、1人でも逃げられるという話だ。そのため、妹さんを探しつつも、一番の脅威となるベヒーモスを探しているわけだ。


 それだけの巨体なら、必ず森を通る際に痕跡が残るのだが、何せこの階層の森があまりにも広すぎる。


 ピコンッ


「んっ、コメントだ」


 いったんスピードを緩め、リスナーさんからのコメントを確認する。


”さっき通った森の奥で木が不自然に何本も倒れていた気がする! 違ってたらごめん!”


「おお、確認してみる! 今はアテがまったくないんだ。違ってても問題なし」


 急いできた道を少し引き返すと、確かに木が不自然に倒れている一角があった。


「……当たりっぽいな。なにか巨体のモンスターがこの森を走っていた痕跡だ」


 このダンジョンに長くいる間、我流だがモンスターを狩るための追跡術なんかも身につけている。あれだけの巨体だ、その分痕跡なんかも大きい。


「しかも人の通った足跡もある……急ごう」


「ガアアアアア!」


「近い……だけど咆哮を上げるということはちょっとまずいかもしれない。悪いが先に行く!」


「は、はい!」


 彼女を降ろしてから、彼女とドローンを置いて全速力で走った。間に合うといいんだが……




「あっぶねえ……今回は本気でギリギリだったな」


 俺の後ろには大怪我を負った女の子がいる。どうやらこのベヒーモスにやられたようで、お腹からはかなりの血が溢れていた。


 さっきのシルバーウルフは男が女の子を囮にするまで少し待っていたが、今回は本当にギリのギリだった。さっき教えてくれたリスナーさんにはあとで感謝を伝えよう。


「だ……れ……」


「傷口が広がるから黙っていろ。すぐにお前の姉が来るから、それまで耐えてくれ」


 もはや喋るのもギリギリみたいだ。とはいえ、俺もこのイレギュラーのベヒーモスに背を向けて彼女を治療している暇はない。俺にできることは一刻も早くこいつを倒すだけだ。


「ガアアアアア!」


 どうやらこのベヒーモスも、突然乱入してきたこの俺を敵として認めたようだ。


「いくぜ、白牙一文字はくがいちもんじ!」


 無骨で真っ白な俺の身長近くある巨大な大剣を構える。さきほどのベヒーモスの鋭い爪による攻撃を受けても傷ひとつ付かない俺の自慢の相棒だ。


 ……剣に名前を付けるなんて、リスナーさんが見たらまた何か言われるだろうな。だが、この大剣はとあるモンスターの牙を削り上げて、一から俺自身の手で作り上げ、俺と苦楽を共にしてきた相棒だ。そのため、ダンジョンで手に入れた他のどんなものよりも愛着が強い。


「グルルル……」


 シルバーウルフとは桁違いの威圧感だ。さすがベヒーモスのイレギュラー、だがそれでも――


「ガウウ!?」


 一直線にベヒーモスの懐へと入り込む。やはりパワーはあるようだが、あの女の子やその妹が走って逃げられるほど、その動作は鈍い!


「俺と相棒の相手をするにはお前じゃ力不足だったな」


 ベヒーモスの首が宙を舞った。

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