第2話吸血鬼症候群

目を覚ますと見慣れた天井であった。

羽鳥愛梨に血を吸われたのはやはり夢だったのだろうか。

首筋を触ると二つのへこみがある。ということはあれは現実だったのだ。

起き上がろうとしたが、体に力がうまく入らない。血を吸われたからだろう。


すっと誰かが僕のことをのぞきこむ。

その顔は僕が知っている異性でもっとも美しいものであった。彼女は白いすべすべの手で僕の頬をさする。

「ごめんなさいね、突然血を吸ったりして」

目を細めて羽鳥愛梨は言った。

「どうして?」

声を絞り出して、僕は訊く。

吸血鬼症候群ヴァンパイアシンドロームって知っているかしら?」

羽鳥愛梨は言い、口を開いて見せる。白い、健康そうな歯が見える。その犬歯は普通よりもかなり尖っていた。そう、まさに吸血鬼のものに間違いない。

「十代後半から二十代前半の女性だけが罹患りかんする奇病よ。文字通り人の血が飲みたくなるの。それにとてつもない破壊と殺戮の衝動にかられるのよ」

羽鳥愛梨はハンドバッグからスマートフォンを取り出し、僕に画面を見せる。

そこにはとある事件の新聞記事が写し出されていた。

それは一月ひとつきほど前の記事であった。

十九歳の女子大生が繁華街でホストを何人もサバイバルナイフで刺したというものだ。下腹部を刺されたホストの一人はいまだに入院しているという。

いわゆる痴情のもつれとしてワイドショーなんかを賑わした事件だ。

「もしかして……」

僕はスマートフォンの画面を見ながら言う。

「そうよ、この女子大生も吸血鬼症候群ヴァンパイアシンドロームにかかっていたのよ。新聞には書いていないけどその女子大生はホストの傷口から血をすっていたらしいわ」

羽鳥愛梨はスマートフォンをハンドバッグにしまう。

「人の血を飲めば、破壊衝動はしばらくおそまるの。でもそれはわずかな時間だけ。時間がたてば、またあのおぞましい衝動がぶりかえしてくるの」

そう言うと羽鳥愛梨はジャケットを脱ぎ、僕のベッドにもぐりこんできた。

「血が減っているから体温が下がっているわ。私が温めてあげる」

羽鳥愛梨はその巨乳に僕の顔をおしつけ、抱きつく。

うっむちゃくちゃ温かくて、柔らかい。

女子の体ってこんなに気持ちいいんだ。

「これは血を飲ませてもらったお礼よ」

そう言い、羽鳥愛梨は僕の髪を優しく撫でる。こんなに柔らかい体が目の前にあるのに体がうまく動かないのが本当にもどかしい。

「私はね、とある論文を見つけたのよ。それは吸血鬼症候群の研究の第一人者が書いたものなの。ある種の人間はこの病気の症状を劇的におさえてくれるというの。その血液のことをその人はエリクサーって呼んでいたわ。その研究者の名前は影山かげやま護江もりえっていうの」

極上の柔らかさを持つ胸に僕の顔をおしつけながら、羽鳥愛梨は言った。

僕はその研究者の名前を知っている。

中学生のときに病死した僕の母親の名前だ。

「母さん……」

思わず言ってしまった。

これでは女性に抱きしめられて、母性を感じてしまっているみたいじゃないか。

ふふっと微笑みの声がする。

訂正したいけど貧血のためか抗えない眠気が襲ってきた。

「いいわよ、血を飲ませてもらったお礼だから、今晩はずっとこうしていてあげる」

羽鳥愛梨は僕の体をさらに強く抱きしめた。

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