第五夜 親切者

 清掃作業、その中にはコーヒーなどを淹れる機械の清掃も含まれます。

 これをしていて困るのが、清掃作業中にコーヒーを買いたいお客様が時折いることです。

 なので私は手早く、それでいてしっかりとした清掃をするようにいつも心がけています。

 先輩たちに比べるとまだまだかもしれませんが、週に一度あるこの清掃作業もかなり慣れてきました。


 今晩はその機械の清掃をしていました。

 同じシフトの方はトイレ掃除に行っていて、お客様が来店されると私が接客しながらの清掃でした。

 少し忙しないですが、慣れたものなのでそこまで気になりません。


 清掃作業も終盤に近づいた時、不意に視界の端にこちらを見つめている男性がいることに気がつきました。

 いつの間にお客様が来店されたのだろう、そう不思議に思いながらもレジでの接客をしようと機械の扉をパタンと閉じてその男性の方に近づきました。

 すると男性は商品を持っていないことに気がつきました。もしかしたら私が機械の清掃が終わるのを待っていてくれたのかもしれません。

 きっとコーヒーかなにかが飲みたかったのに、私が淹れる機械を掃除していたので遠慮されたのでしょう。

 清掃作業は完了しました。コーヒーでもラテでもドンと来い、とレジに入ろうとすると、男性がスッと右指を商品棚の向こう側に向けました。


「……? お待ちの方、こちらのレジにどうぞ?」


 私が声をかけても男性は動きません。

 一言も発さず、ただ微笑を浮かべたままその場に立ち尽くす男性。動く気配がないので私は疑問に思い、まずはその男性が指差す先を見てみました。

 商品棚から顔を覗かせると、そこにはパンコーナーでしゃがみ込んでパンを物色している男性がいました。

 いろんなパンを手に取り、そしてまた商品棚に戻す。と思ったら急に立ち上がり、他の商品を見始めました。

 お気に入りのパンが売り切れていたのでしょうか。男性は今度はお菓子売り場をきょろきょろと彷徨いて商品を物色しています。


 店に立ち尽くしている男性も動く気配はなく、ですがずっと私の方を見ているのがなんだか怖くて、私は逃げるように事務所に戻りました。

 事務所には店内の様子がわかるカメラの映像が映っています。これを見ればたとえ事務所で作業中でもお客様がレジに並べばすぐに対応できます。

 ですので私は監視カメラの映像を見ながら喉を潤して、ずっと立ち尽くすお客様とうろちょろとしているお客様の様子を観察していました。

 微笑を浮かべた男性は店内を移動するもう一人のお客様をずっと指さしています。その指差しをされているお客様の方はそんなこと気にもせず、店内を徘徊して商品を手に取り、そしてカゴに――いや、ポケットに商品を入れました。


「これって……まさか、万引き?」


 こんな映像テレビの警察に密着する番組でしか見たことがありません。

 私は少しテンパりながら、どうすればいいのか考えました。

 まず、あのお客様が本当に万引き犯だった場合、私は警察に電話するべきか、それとも先にもう一人の相方さんに知らせるべきか。

 たしかポケットに商品を入れても店の外に出た後でないと、万引きの現行犯として捕まえられなかったような気もします。

 店内で声をかけるとこれからお金を払うつもりだったから、などの言い訳をされる可能性があります。


 これは先輩である相方さんに相談したいところです。しかしトイレ掃除をしている彼のところに行くためには、万引き犯の可能性がある男性の近くを通らなければなりません。

 私の存在に気がついて急いで店を立ち去ってしまったらどうしよう、そんな考えが私の脳裏に浮かび、行動する決心がつきませんでした。

 うんうんと唸っている間にトイレ掃除の終わった相方さんが事務所に戻ってくるのがカメラ越しにわかりました。

 そして万引き犯らしき男性の隣を通ったあと、事務所に入ってきました。

 それと同時に男性が店の外に出て行きました。


「あっ、あっ」

「え、どうしたんですか?」

「あの、あれ、あの人、さっきの人盗って、どうしたら、追いかけなきゃ」


 初めてのことにパニックに陥ってしまい、うまく言葉が紡げません。あたふたとしていると、相方さんは私の数少ない単語から状況を察してくれたようで、大丈夫だと言いました。


「え、でもあの人帰っちゃいましたよ。ズボンのポケットにお会計が済んでいない商品が入っているのに……」

「俺たちが直接声かけても逃げられる可能性が高いですから。ここは店長に任せましょう。監視カメラの映像を見れば犯人の顔は丸わかりですし、カメラは駐車場方面にも付いているので車のナンバーもすぐに割れます。あとは俺が連絡とかの作業をしますんで、小島さんはお客様の接客お願いします」

「……はい」


 万引きの瞬間を目撃したにも関わらず、なにもできなかった自分に嫌気がさしながら、相方さんに言われた通りに事務所を出てレジに立ちました。

 おそらく今事務所では相方さんが店長へ状況の連絡をしてくださっているのでしょう。たしかここで働き始めて二年と言っていた気がします。

 あの落ち着いた態度からして、以前にも同じような状況に遭遇したことがあるのでしょうか。


 今回の問題について今の私には役に立てることはありません。なので私は自分にできることをすることにしました。まぁ、いつもしている作業ということになりますが。

 商品の補充や来店されたお客様の相手をして、その日の勤務を終えました。

 勤務終了時に相方さんから連絡バッチリです、あとは気にしないで大丈夫ですよと慰めの言葉をいただき、自分より年下なのに気遣いができる人ですごいなと思うとともに、自身への嫌悪感を少し抱いてその日は帰宅して眠りました。


 あれから一週間がたった頃でしょうか。

 店長からあの万引き犯が捕まったと聞きました。

 店長は警察立ち会いの元、監視カメラの映像をチェックして被害届を提出。あとは警察官の皆さんが車のナンバーから頑張って犯人を探し当てて、逮捕してくださったようです。

 店長たちが映像を見返すと、万引き犯は私が目撃した商品以外にもパンや缶コーヒーなどの商品も万引きしていたそうで、私が機械の清掃をしている時にもたくさんの商品を盗っていたらしいです。

 清掃をすると、そちらに気が入ってしまいまったく気がつきませんでした。

 そのことにショックを覚えたのですが、店長からこの人は万引きの前科持ちだから慣れた手付きだったから気がつかなくてもしかたがないよと慰めていただきました。


「へぇ、そんなことあったんだ」

「はい。外原さんが店に来る五分前に店長は帰ってしまわれましたけど」

「そっかー。たまに悪いお客さん……いや、万引きしてる人は客じゃないか。そういう人もいるから気をつけないとね。あ、気をつけるってのは直接声をかけないで、ってことだよ。体格の良い人ならともかく私たちみたいなか弱そうな女だと突き飛ばされたりしたら怪我しちゃうよ。だから店長に連絡するのが一番だと思うよ。なんか逆恨みとかされたら怖いし」

「それは……たしかに。そうですねぇ」


 俺が捕まったのは万引きしてることに気がついたお前が悪いんだ、なんて逆恨みされたら堪まったものではありません。

 あの時はテンパってなにもできずにいましたが、結果としてはそれで良かったようです。


「それじゃ、私はトイレ掃除してきます」

「はい、お願いします」


 外原さんがトイレの清掃に向かいました。

 私はあの人同じように機械の掃除をする、日ではなかったので店の床をモップで拭き始めました。

 今日は夕方に雨が降った影響か、店内に泥が付いています。おそらくお客様の靴裏に付着した泥が床にくっついてしまったのでしょう。

 私はそれを綺麗にしながら、接客も行って清掃が終わるとモップを片付けようと掃除用具のある物置部屋に向かいました。その道中に丸まったレシートが落ちているのに気がつきました。

 たぶん先程のお客様が落としたものでしょう。私は店内に落ちているゴミを拾うために腰を落としました。


「……あれ」


 視界を下に落とした時、靴がちらりと見えました。中腰の状態でそちらに視線を向けると、そこにはあの日私を見つめていた男性が立っていました。

 そういえば、この人はあの日いつ帰られたのでしょうか。私が初めての経験に慌てふためいているときでしょうか。少なくともあのあとこのお客様をレジで接客した覚えはありません。

 男性は相変わらず微笑を携えています。今日は誰かを指差しているわけではないようです。


「あ」


 もしかしてこの方はあの日、私に万引きしている人がいますよ、と伝えようとしていたのかもしれません。

 声を出さずに万引き犯を指差して、私の注目を万引き犯に誘導させた。だから私は万引きの瞬間をこの目で確認することができたのです。


「あの、ありがとうございました。おかげで犯人は捕まりました」


 ぺこりとお辞儀をして、礼を伝えました。

 彼が私をじっと見つめていたのは万引きを私に伝えるためだったのでしょう。あの時は怖がってしまって、なんだか申し訳ない気分です。

 私が顔を上げると、男性は先程より心なしか優しげな笑みを受けべて軽く会釈すると店を出て行きました。

 商品を買わなかったのは、ただたんにこの前の万引き犯がどうなったか気になっただけなのでしょうか。

 どちらにせよ、親切な良い人でした。

 私はゴミを拾ってゴミ箱に捨てると、モップを片付けて他の作業に移りました。

 お客様がいない今のうちに少しでも作業を進めておきましょう。真剣に手を動かしていると、時間が経つのはすぐでした。


 仕事が終わり、帰る作業をしていると店長がやってきました。


「お疲れ様です。朝早いですね」

「ああ、お疲れ様です。いやぁ、ちょっと必要な書類を店に忘れてたから取りに来ただけだよ。あ、そうだ言い忘れてたけど……たぶん一週間後くらいにまたあの万引き犯店に来るから、その時は直接声をかけずに連絡してね」

「え、また万引きに来るんですか?」

「うーん、たぶん外原さんも知っていると思うけど。あの人前にこの店で万引きを四回もしているんだよ。しかもなぜか万引きした後はその月にもう一回万引きしに来るの。だからまた来るよ、きっと」

「逮捕されたのに、ですか」

「そう。懲りないよねぇ。なんかおちょくられているみたいでやな感じでしょ」


 万引きして逮捕されてもそんなすぐに釈放されるのかと衝撃を覚えて、その日は帰宅しました。

 それから二週間ほどが経ちますが、あの日の万引き犯はまだ店に姿を現していません。

 さすがに懲りたのでしょうか。もしかしたら他の店で万引きをしているのかもしれません。これ以上被害を受ける店がないと良いのですが……

 そういえば、一週間ほど前にあの日立ち尽くしていたお客様が満面の笑みで店にいるのを見かけましたね。なにか良いことでもあったのでしょうか。

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と或るコンビニバイトの話 西條セン @saijou

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