第二夜 絆創膏
コンビニでバイトをしていて思ったことは、やはり人柄は大切、ということです。
転々とした前職ではつくづく気の合わない方が多く、いつも人間関係に悩まされていましたが、ここではそういったことは少なく、勤務時間や日にちも融通が効いて働いていて気が楽です。
だからあんなにも職を転々と変えていた私が三ヶ月経ってもなお、続けられていることに私自身が一番驚いています。
「いたっ」
それはお菓子の補充をしているときのことでした。
グミなどのお菓子はダンボールよりも薄い、厚紙のような入れ物に入れられているのですが、これがなかなか厄介なものでして、素手で作業をしていると時折その厚紙で指の皮を切ってしまうことがあるのです。
かつて上司に浴びせられた理不尽な罵声に比べれば屁でもない痛みですが、切れたところから目に見えて血が滲み出てくる光景はあまり気分の良いものではありません。
下手に放っておいてもし商品などにその血を付けてしまっては面倒です。
こういうときに便利なのはそう、絆創膏です。
この店ではこういった事態を見据えてか、事務所に消毒液と絆創膏のセット、簡易的な救急キッドが置かれています。
私は周囲に客がいないことを確認して、事務所の棚を漁りました。
引き出しを開けると、そこにはバイトとして入ってすぐの頃に先輩方に教わった通り、絆創膏などが一通り用意されており私はバラバラに分けられた絆創膏を手に取りました。
この程度の怪我なら消毒液を使うほどでもないでしょう。テッシュで軽く血を拭くと、ぺりぺりと絆創膏を剥がして切り傷の出来た指に巻き付けようをしました。
「それ」
「小島さーん、ちょっと清掃の方手伝ってって、あれ? 怪我したの?」
「外原さん!」
動かしていた手をぴたりと止め、声のした方、事務所の入り口に目を向けるとそこには外原さんが立っていました。どうやら手伝いを頼みにきたようです。
「すみません、すぐに行きますので」
「ああ、いやべつに急ぎじゃないしいいよ。それよりあれ、言った?」
「……あれ?」
私が急いで仕事に戻ろうと再び手を動かそうとすると、その手を外原さんに抑えられて、じっと瞳を覗き込まれてしまいました。
「もしかして店長から聞いてない? 怪我したときのマニュアル」
「怪我したときのマニュアルなんてあるんですか!」
「あるよ。と言っても大事なことはたった一つだけだけど」
そう言って外原さんは私の手を抑えたまま、
「ほら、『あげません』って言ってみて?」
「え?」
急に目を逸らすことなく変なことを言い出すので、私はつい素っ頓狂な声を漏らしてしまいました。
「いいから、はやく」
「あ、あげません……?」
「はい、いいよ」
「え? ……え? 本当になんなんですか?」
私が催促された通りにその言葉を言うと、外原さんはにっこりといつもの人の良い笑顔に戻って私の手を離しました。
「怪我したんでしょ? 絆創膏貼ったらいいよ」
「は、はぁ。貼るつもりではありましたけど」
何故かはわかりませんが、外原さんからの許可を得たのでついに私は切り傷の出来た指に絆創膏を貼ることができました。
その怪我は思ったよりも浅かったようで、絆創膏を貼ってもガーゼ部分に血が滲み出ることはありませんでした。
「この程度ならやっぱり放っておいてもよかったかな」
「駄目だよ」
「え?」
痛みも消えた指をさすって、私がぼそりとつぶやくと外原さんが食い気味で否定の言葉を口にしました。
「ここではね、ちょっとでも血が出るような怪我をしたら絆創膏を貼った方がいいの。まぁ最悪貼らなくてもいいんけど、絶対にあげませんって言葉は言わなくちゃ駄目って決まりなの」
「それがさっきの怪我したときのマニュアルの大事なこと、ってやつですか?」
「そう。ここ、立地も良いし客足も多いから結構繁盛してるけど客に比べてバイトとかの数が少ないでしょ。それはこういう変なルールが多いからなんだよね」
はぁ、とため息をつきながら外原さんは言葉を続けます。私は黙って話を聞いてみることにしました。
「小島さんが少し前に会った一口最中ジャンボのお客さまみたいにさ、こういった時はこういう対応をしましょう。っていう変なルールが多くて、それを不気味がって辞めてく子が多いんだよー」
「たしかに。あのときはありませんって即答しなさいって言われてましたね」
「そうそう。それで血が出るような怪我をしたときはあげませんって言うのがルール。なんでかは知らないけど、そうしないとなんかめんどくさいことに巻き込まれてしまうんだってさ」
「はぁ、めんどくさいことというと……クレーマーがやって来る、とかですかね?」
「なにそれおもしろーい」
くすくすと笑って、外原さんは事務所を出ていきました。
ボケたつもりではなかったので外原さんに笑われて少し気恥ずかしい気持ちに駆られましたが、そういえば外原さんは私に仕事を頼みに来たのだったことを思い出して、店前に出た外原さんのあとを追いました。
外原さんに任された仕事は簡単なもの。
時折やってくるお客さまの接客をしながら、二人がかりで素早く仕事を終えました。
シフトを上がる時間には、事務所に入ったときくらいからずっと感じていた奇妙な視線のようなものはすっかり無くなっていました。
私は基本的に夜勤で入っていますが、実はたまに早朝にもシフトを入れてもらっていることがあります。
大体の場合は人手が足りない! という店長の悲痛な叫びを聞いて自ら志願しているのですが、今日も人手が足りないため早朝――と言っても朝の五時くらい――に店に立っていました。
「ふあ」
いつもなら眠りに就く時間が近いため、私の口からは欠伸が漏れてしまいました。
私がいつも入っている夜勤は夜の十時から翌日の朝四時の六時間。
夜型と言って差し支えのない私には活動時間としては問題ない勤務時間帯ですが、仕事終わり、つまりちょうど五時ごろに私はいつもベッドに潜り込むのです。
なので四時から七時までの早朝シフトは眠気との戦いを余儀なくされることが多いのです。
そりゃあもちろん勤務時間の四時までに睡眠をとっておけばいい、という話なのですがそれが出来たら夜勤ばかりしていないという話にもなるのです。
簡単にいうと、寝れるものならもう寝てる、です。
私の入眠時間は、体が疲れて電池切れのようにベッドに倒れ込む時間。それが早朝であるということなので、朝が苦手なのです。
もう一度出そうになる欠伸をかみ殺し、ぽつりぽつりとやってくる客の接客をします。
この時間帯は朝のジョギングついでのお客さまや、これから仕事に向かうのであろうスーツ姿の社会人の方が多いです。
ですが時間が時間なのでその数はまばら。これが六時や七時になると通勤通学で電車を利用する学生や社会人の方がたくさんこのコンビニに流れ込んでくるのですが。
「おはようございます。すみませんが、これ、いつものやつです」
「え?」
客がおらず暇を持て余していた私が寝ぼけ眼でタバコの銘柄を眺めていると、レジに近づいてきた男性がなにかを持って声をかけてきました。
私が首を傾げると、もう一人のスタッフさんがああ、と言って駆け寄ってきました。
「いつもいつもすみません」
「いえいえ、こちらこそいつもご迷惑をおかけして」
「そんな、ねぇ、しかたがないことだもの」
「?」
二人のやりとりに首を傾げていると、よく早朝に働いているおばさまがくるりとこっちを向いて、
「この方はほら、あの道を挟んだ先にあるお寺の住職さんよ。こうして定期的に絆創膏を持ってきてくださるの」
そう言って男性の紹介をしてくださいました。
なるほど、私はいつも夜勤なのでまともに顔を合わせたことがなかったのですが、この人が良さそうな顔立ちのお爺さまが住職さんだったようです。
そういえば何度か寺の前に立っているのを見かけたことがある気がしますが、それは夜のこと。顔立ちまでははっきりと見えていなかったので、これが初めての顔合わせということになるのでしょう。
三ヶ月も近くの土地にある建物で働いていたというのに、ここまで顔をまともに合わせる機会がないとは。
自身の活動時間が他の方とは違うことを改めて思い知らされてしまいました。
「そろそろ補充したほうがいいかと思いまして」
「ええ、ありがとうございます。残り三枚くらいになっていたから助かりますわ」
そう話をしながらおばさまは住職から絆創膏を受け取っていました。
「これ……事務所にあるやつと同じのですね」
「ええ、事務所にある絆創膏は住職さんが持ってきてくださる物を置いてあるから」
「市販の物と違うんですか?」
「全然違うわよ? だってこの絆創膏は住職さんがお祓いとか、ええとなんだったかしら。ともかく厄除けとかなにか色々祈祷してくださっているのよ」
私も詳しくは覚えていないんだけど、と絆創膏を渡すだけ渡して寺の方に帰っていく住職を店内から見送りながらおばさまはそう言いました。
宗教が絡んでいるとは、なんともややこしい。と思いつつもあちらは善意で渡してくださっているうえに金銭の要求などはしていないそうです。
そう言われると住職になんの得があるのかと疑問に思いましたが、ここは墓地も近く、時折摩訶不思議な噂がたつコンビニ。
まぁ、色々とあるのでしょう。
持ちつ持たれつ、それとも持たされているのか。考えてもわからないことをこれ以上考えるのはやめておきましょうか。
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