第八十七話 まさかの結末

 黄龍戦の県大会もいよいよ大詰め。


 中央地区との決勝戦は、特に何かを溜めることなく流れるように開始された。


「お願いします」

「よろしくなのだー」


 俺の前にちょこんと座った青薔薇赤利は、まるで練習対局でもするかのように軽く挨拶して対局時計を押す。


 油断──しているようには見えない。


 この少女と対峙してから感じていた悪寒は今もまだ続いている。まるでこちらの考えを見透かしているような視線と、目の前にいるのに遥か天上にいるかのように錯覚してしまう立ち振る舞い。


 彼女の神髄が一体何なのか、少なくとも今の俺の感性では想像ができない。


 ただ一つ言えるのは、この少女──赤利の本質は天竜一輝に近いものだ。


 つまるところ、天性からの将棋の天才。怪物という奴だろう。


「……」


 先手を引いた俺は王様を繰り出して自滅流を意思表示する。


 その手に赤利は驚くことも鼻で笑うこともせず、まるで定跡を見ているかのような当たり前の表情で飛車先の歩を突いた。


 ──居飛車。こちらの中段玉を牽制している手なのか、それとも……。


 赤利は左手の指先を頬にあて、暫し考えているような表情を浮かべながらも、もう片方の手でノータイム指しを繰り返している。早指しをするタイプなのか、消費時間はまだ1分にも及んでいない。


 何を考えているのかさっぱり見当がつかない。まるで普通の将棋だ。


 序盤、赤利は特にこれと言った特徴的な手を指すことは無かった。ただ途中で軽い攻めを飛車先から行ってきたため、俺は追い返すように守りの銀を強く前に押し出した。


 ……それだけである。


 力戦調の現代定跡。相居飛車での銀冠ぎんかんむり。俺は自然な流れで上部を圧迫する形を作り終え、自滅流が俄然がぜん指しやすくなった。


 対する赤利の囲いはしっかりとした矢倉やぐらの陣形。互いに不満はなく、どちらが指しやすいかという差もない。


 初手が自滅流を示唆する玉上がりであるにもかかわらず、気づけば普遍的な陣形での対抗。勝負手を放つような仕掛けもなく、かといってこちらに隙を見せるような指し方でもなかった。


「……」

「どうしたのだ? 赤利の顔に何かついているのかー?」


 素知らぬ顔でそう返す赤利に、俺は盤面を眺めながら数分間の長考に入る。


 この序盤でこれだけの長考に入るのは、この大会で初めてのことだった。


 ──何かがおかしい。


 俺は5分ほど盤面を見続ける。そこでこれから赤利が指すであろう幾多もの候補手を絞り上げ、そこからどう戦いに派生していくのかを脳内で高速計算する。


 局面はまだ序盤、互いに攻撃の準備段階に入っている状態だ。


 この段階で全ての手を把握することなんてできるわけがない。だから考えるだけ無駄という結論に行きつくだろう。


 だが、俺にはどうしてもその隙を突かれている気がして落ち着かない。妙に嫌な予感がする。


 そもそもとして、これまで戦ってきた相手は皆、何かしらの狙いを持っていた。


 特定の戦型に誘導し、研究勝ちを目論んだ天竜一輝。自滅流を警戒して、中飛車でのくらい取りを仕掛けてきた天王寺魁人。


 狙いがあれば勝ち筋が見え、勝ち筋が見えるからこそ対局の勝因になる。


 対して青薔薇赤利には狙いがない。──いいや、厳密には狙いが見えないと言った方が正しい。


 嫌な予感と言うのは言ってみれば直感だ。相手が本当にこの段階で何か仕掛けようとしているのかは正直感覚的な話で、全く根拠がない。


 ただ、相手が中央地区のエースであること、ここに来るまでの多くの戦いの中で無敗を維持し続けたこと。それらを考慮すれば、青薔薇赤利がただ平凡な手を指す少女であるはずがなかった。


 考えろ。自分をもっと客観的に俯瞰ふかんして考えろ。


 俺の戦術は中段玉からの玉頭戦、入玉戦だ。こちらの王様が捕まらなければ必然的に必勝態勢へと入る。


 そのことを相手が知らないはずがない。俺は自滅帝だともうバレているのだから、戦い方や棋風は全て見抜かれていると考えるのが妥当だ。


 であれば、俺の入玉を放っておくような手を指す意味が分からない。絶対に入玉させない自信でもあるのだろうか?


 確かに今の俺がどんな相手を前にしても絶対に自滅流を成功させられるのかと言われれば、それは恐らく無理だろう。棋力だってまだまだ頂点には届かない。


 赤利には俺の入玉を阻止できるだけの棋力がある。だから普遍的な定跡を指して、一般的な矢倉囲いで待ち構えている。と、取る方が自然なのか?


「……いや、まて」


 俺は誰にも聞こえないようそう呟くと、盤面を見ていた視線を上げて赤利の方を見る。


 静かに目を伏せて最低限の思考しか費やしていない。体力を温存しているかのような姿勢を保っている赤利に、俺はドッと冷や汗を噴き出してその"真意"を読み取った。


 ──やられた。脳内に響いた言葉はそんな単語だった。


 そして、それに気づいてから俺は一秒も時間を掛けずにを指した。


「──見直したぞ、渡辺真才」

「……!」

「しかし、遅い。あと7手と3分早ければ未来は違った」


 刹那、赤利はゆっくりと目を開けて感嘆の言葉を漏らした。


 いいや、感嘆のように見える『勝利宣言』だ。


 赤利はノータイムで攻めに参加させる予定だった銀を自陣に引く。


 それを見た俺は素早く王様を引いて囲いから離れさせ、自滅流を自ら瓦解させる。


 そんな明らかに隙を見せた俺の手に、赤利は反応することもなく、自分もまた王様を矢倉から撤退させる。


「お、おい。何が起きてるんだ?」

「囲いが崩れていくぞ……! なんでだ……!?」

「てかなんで大将戦の二人だけあんなに早指ししてるんだよ? まだ残り時間は30分以上あるだろ……?」


 観戦者たちのざわめきの声を背に、俺と赤利はノータイムで駒を動かしていく。


 秒読みのある大会では絶対にありえない光景。一秒も経過せずにノータイムで指し返し対局時計を叩き合う光景に、周りがドン引きした目でこちらの試合に視線を奪われている。


 まるでネット将棋を彷彿とさせる早指しの応酬。明らかに異常と呼べる戦いを繰り広げている。


 それも攻めの手ではない、自陣を整備する受けの手。互いにカウンターを用意して、先に仕掛けた方が負けの陣形を即座に構築、破壊、構築していく。


「あはははっ、凄いのだー!」

「……っ!」


 赤利の暴力的な局面の構想に、俺は言葉を返す暇もなくノータイムで切り返す。今はそれをするだけで精一杯だ。


 赤利の手には隙が無い。俺の手にも隙が無い。


 互いに隙が生まれない状態で、先に動いたら敗勢となる状態が延々と続いていく。


 赤利は一向にこちらを攻める気配がない。しかし、俺から攻めれば絶対に不利になるであろう形を赤利は常に維持している。


 それだけならまだいい。だが、この状況はある意味最悪だ。それに、俺には今この展開を打開する主導権がない。


 こちらだけ思考力を要求される状況は非常にマズい。赤利の思惑が見えた今、その展開をこのまま押し付けられるわけにはいかない。


 急げ、急げ、急がなければ手遅れになる──!


「そこまで!」


 俺と赤利が同じ局面を4度繰り返した瞬間、審判が間に入って対局時計を止める。


千日手せんにちてとなりましたので、時間をそのままに初めから指し直しとなります。指し直しは青薔薇赤利様が先手、渡辺真才様が後手です」


 審判は近場で棋譜取りを行っている関係者に今回の対局の手数を記録させる。


 そして対局時計を再設定すると、俺の左側に置いて再びその場から足を引いた。


「流石なのだー! まさかあれだけの短い時間で赤利の指せる手を狭めていき、最後には強引に千日手に追い込むとはなー! まさに驚嘆、やっぱり自滅帝の名は伊達じゃないんだなー!」

「……ははっ、よく言う」


 最悪だ。完全にしてやられた。天竜の二の舞にならないと警戒していたのに、まさかその外側からこんな捨て身の策を講じてくるとは……。


 絶対の勝利を掲げているとは聞いていたが、ここまでするとは思わなかった。


 いいや、今は言い訳なんて考えても無駄だ。相手は間違いなく戦略を持って将棋を指している。それが分かっただけでも良しとするしかない。


 今はとにかく、この『地獄』から抜け出す方法を考えなければ──。


「真才くんが千日手……?」

「な、何が起きてるんすか……?」


 東城や葵は驚愕した表情で赤利の方を見つめていた。


 佐久間兄弟も何が起こったのか分からない表情をしているが、その隣で対局していた武林先輩だけは俺と同じ苦虫を噛むような表情を浮かべて心配そうな視線を向けていた。


「あの青薔薇相手に千日手だと……?」

「嘘だろ……アレが引き分けるところなんて初めて見たぞ……」


 対する中央地区の面々もまた驚愕した表情で俺の方を見ている。


 中央地区との決勝戦。その大将戦でいきなりの千日手という指し直しが入ったことに会場は騒然とし始めていた。


「じゃあ、二回戦を始めるのだー! ──準備はいいな?」

「……ああ」


 こうして、周りはまるで何が起こっているか分からない状態のまま、俺達は再び決勝の二回戦を始めるのだった。






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 沢山のレビューありがとうございます!全て読ませて貰ってます!

 SNSなどで絶賛してくださってる方もいて嬉しいです! 

 決勝戦はなるべく熱い展開にしたいなぁ……と思っているので、期待に応えられるよう頑張ります!

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