第八十五話 一瞬の煌めきと一生の輝き

 自分には才能があると思っていた。


 先を読む力、大局観、暗記力。将棋に必要な才能の全てを得ている。全てにおいて優れている。


 そうして様々な点で周りから頭一つ抜けていた少女は、女流の道を確定視されるほどの優秀な成績を幾多も収めていた。


 ──来崎夏。才能ある者達の中に努力だけで突き進んでいった愚か者。


 彼女が才能のない凡人であると気づかされたのは、凱旋道場の入門試験に落ちた日のことだった。


「どうしてですか!? 入門条件は満たしているはずです!」


 入門試験の合否の結果が書かれた紙を握りしめて、来崎は凱旋道場の門前で声を張り上げていた。


「いいや、入門条件は満たしていない。お前は試験に落ちている」


 凱旋道場の試験官であった男は、冷酷にそう告げて来崎の前に立ちふさがった。


「試験の問題は全て正解していたはずです! それに『規定』もクリアしています! 一体どこに落ちる要素があるんですか!?」

「確かに試験の問題は全て正解していた。『規定』の条件も満たされている。だが、お前は凱旋道場に相応しくない。その程度の才能では凱旋に入ることはできない」

「どうして……っ!」


 来崎は納得できない表情で試験官を睨んだ。


 凱旋道場には入門試験を受けるための最低条件として『規定』というものがある。


 これは『アマチュア棋戦で凱旋道場の門下生に一回でも勝利すること』というものだ。


 凱旋道場は勝利を絶対の矜持としている。ゆえに、その相手に実力で勝てる者がいればより凱旋道場に相応しいと判断される。


 来崎は過去2回、凱旋道場の門下生に勝利したことがあった。


 まさにジャイアントキリング、格上狩りを得意とする来崎だからこそできた小さな偉業でもある。


 しかし、そんな来崎に告げられたのは、凱旋道場には相応しくないの一言。


 納得できるはずがなかった。


「──まだ分からないノ? ナツ」


 そう言って試験官の後ろから顔を覗かせた少女に、来崎の激昂は押し留められてしまう。


「メアリー……さん……」


 その少女のことを来崎はよく知っていた。


 メアリー・シャロン。生まれは日本でありながら両親の都合で数年間海外で過ごしていた帰国子女である。


 彼女は両親から受け継いだ才を早々に開花させると、女子ジュニア選手権と呼ばれるチェスの大会で欧州にその名を轟かせた。


 しかし、本人が勝負をハッキリとさせる戦いが好きだったこともあり、引き分けが多いチェスより勝敗が明確になる将棋の方に目を向けた。


 メアリーが将棋に手を付けたのは14歳を過ぎてからだった。これは本来であれば遅すぎる年齢であり、女流を目指すにもかなりの苦労を強いられる時期とされている。


 しかし、メアリーは特別女流を目指したいわけでもなく、ただ多くの大会で成績を残せればいいと考える人間であった。


 そしてその才は当然のように将棋でも発揮される。


 将棋を始めて僅か1週間、メアリーは中央地区の小さな地区大会で優勝を収めた。


 そして、ここで当時2位だったのが来崎である。


 中央地区で多くの研鑽を積み、着々を順位を上げていった来崎を一瞬のうちに追い抜いた存在。それがメアリー・シャロンという怪物であった。


「アナタ、自分が天才だと勘違いしてるでショ?」

「え……?」


 そんなメアリーから告げられた一言は、来崎の胸をいともたやすく貫いた。


「アナタみたいな人は、周りから天才だと思われているだけの凡人なのヨ。才能の壁を努力という紛い物で越えてきただけ。なら才能の持つ者が努力をした時に勝てないでショ?」


 才能──そう、来崎は自分に才能があると思っていた。


 多くの相手に勝ち、多くの格上を破り、そして大会で優勝とまではいかずとも入賞することは多々ある。


 これを才能と呼ばず何と呼ぶのか。まさに才能を持つ者、天才達が集まる凱旋道場に入るべき存在。


 来崎はこの時までそう思っていた。


「私に……才能がない……?」

「ええ。アナタは凡人、才能なんて持ってないわヨ?」

「し、知ったような口を! 私のどこに才能がないって言うんですか!」

「ウーン、そうね……。なら『ミクロコスモス』全部言ってみテ?」

「……は?」


 唐突に告げられた単語に、来崎は呆気に取られてしまう。


 メアリーの言った『ミクロコスモス』は、将棋界最長の詰将棋である。その手数は1525手詰。それを全部言ってみろとメアリーは告げた。


「あら、覚えてないノ? なら『寿ことぶき』は? 『メタ新世界』は?」


 次々と膨大な超手数として知られる詰将棋の作品を羅列していくメアリーに、来崎は狼狽える。


「……そ、そんなもの覚えたってなんの意味もないじゃないですか! そんな無駄なこと……!」

「そう、覚えても無駄。──でもネ、天才ならその無駄も全部覚えてしまうのヨ」


 メアリーの放った言葉が、来崎に重くのしかかる。


「アナタは確かに強いけど、その実力には限界がある。だって努力だけでここまでなんとかのし上がってきたんでショ? 対するワタシたち凱旋道場はこれからを切り開く場所、努力しなくても結果を出せるような天才だけが入ることを許されているノ。それを分かって頂戴?」


 そう、来崎は気づいていなかった。


 必死の研究。必死の研鑽。そうやって誰よりも努力してきたからこそ、才能の持つ者達に勝ってきた。


 勝てば才能があるのだと自覚する。勝てば自分には将棋の素質があるのだと勘違いする。しかし、それは努力だけで踏破してきた成績である。いわば費用対効果。実力を誤魔化すための対策。


 凱旋道場からしてみれば、既に全力に近い飛ばし方をしている来崎にこれからの成長は期待できない。


 天才であれば持っているはずの余裕がない。天才であれば培ってきたはずの無駄な知識がない。ただ限界まで切り詰めて出してきたギリギリの戦績。それが今の来崎を凡人たらしめているのだと。


 ──凡人は、凱旋道場に入る"資格"がない。


「……じゃあ、努力が報われなきゃ、凡人わたしはどうやって天才あなた達に追いつけるんですか……」

「さぁ? それをワタシに言われてもネ。死に物狂いで努力をすればいつかは届くんじゃないかしら? まぁ、それができるのは"努力の才能"がある者だけでしょうケド」


 メアリーは口元に手を添えて厭味いやみったらしくそう答える。


 天性の才能を持つ者と、才能に追いつけるくらいの努力を積み重ねてきた者。同じように見えてその差は歴然である。


「……」


 来崎は俯いて、それ以上の言葉を発せなかった。


「諦めなさい。今のアナタに凱旋の名は重すぎる。せいぜい生まれ変わって才を得てから来ることネ」


 メアリーの残酷な一言に、来崎はくしゃくしゃになった合否の紙をさらに強く握りしめた。


 ──どれだけの文句を言われようとも、実力で敵わない相手に反論する術はない。


 所詮は実力主義。言いたいことがあるなら盤上で返さなければならない。それが戦いに身を置く者達の宿命であり、凱旋道場の最たる信条でもある。


 今の自分の実力では目の前の天才には手も足も出ない。それは来崎が一番よく分かっていた。


「……いつか必ず舞い戻ります」


 来崎は俯きながらそう告げる。


「それは不可能ネ」

「じゃあ約束してください。いつの日か、私が貴女の前に戻ってきたとき、そのプライドをかけて全力の勝負をすると」

「……いいわ、約束しまショウ。最も、アナタがワタシの前に立てたらの話だけどネ?」


 そう言って余裕綽々な態度を見せるメアリーに、来崎は踵を返して背を向ける。


「──では」


 寸前、来崎から一瞬だけ溢れ出た将棋指しとしての片鱗に、メアリーは気づくことが無かった。


 ※


 メアリーの瞠目は止まらない。


 どうやってここまで実力を伸ばしたのか。努力だけしかしてこなかったはずの凡人が、どうして県大会の決勝の地に、凱旋道場の相手になっているのか。


「……"約束"でしたよね。プライドをかけて全力で勝負をすると」


 数年も前に交わした約束を今になって告げる来崎に、よほどの信念があるのだと窺える。


 しかし、メアリーがその動揺を表情に出すことは無かった。


「……ナツ、アナタ本気でワタシに勝てると思ってるノ?」

「はい」

「……!」


 即答。二つ返事でそう返す来崎に、メアリーは僅かに眉をヒクつかせた。


「……へぇ、随分と高慢になったものネ。凱旋の素質があるわヨ? ……でも、ワタシに勝てるというのは些か大言が過ぎると思うケド?」


 駒を並べ終えたメアリーは、強者の風格で来崎を見上げる。


 対する来崎からは明確な表情が窺えない。僅かに顔に影が掛かっている。


「私はあれから西地区に来て、ネット将棋を始めました。そこで様々な猛者たちと戦って、勝って負けてを繰り返しました。中には本当に強い方もいて、どうやっても勝てないような鬼才とも対峙してきたんです」

「……それが?」


 不穏な空気が醸し出される中、それを一気に弾けさせるように来崎は告げた。


「──凱旋道場って、本当にこの県最強の道場なんですか?」

「……は?」

「これはあくまで私の主観ですが、既に西地区は中央地区を越えてると思うんですよね。ずっと厳しい戦いを強いられてきたせいか、今の西地区には強豪が勢揃いしています。……それに対し中央地区は、少しぬるま湯に浸かり過ぎていたのではありませんか?」


 気でも狂ったのか、それとも何かに取り憑かれているのか。来崎はとんでもない言葉のレパートリーを次々とメアリーに吐き捨てた。


 それを聞いていた中央地区の面々も青筋を浮かべて今にも飛び掛かりそうな雰囲気を見せている。


「……弱小地区にしてはよく吠えるわネ?」

「貴女は喉が枯れるまで吠えたことがないのですか? 死に物狂いで研鑽を積んだことがないのですか? ……努力は、勝つために必要不可欠な要素ですよ」


 そうして影の隙間から見える来崎の表情には、一切の手加減はない。


 極限状態に入った者がどうして相手に敬意を払おうか。これから戦う相手、命を削り合う相手、本気の知略をぶつけ合う相手だ。


 来崎がここまでどうやって舞い戻ってこれたのか。そんなものは単純だ。


 ──努力。そう努力である。


 果てしない努力の先に見えた世界は、ただ余計なものが一切消えた加速と白色の世界だけが映し出される。


 努力で才能を凌駕するまで、永遠に努力を続けるのである。努力で結果が出るまで、無限の努力を続けるのである。


 そんな狂気に等しい努力の遥か先に、尊敬する男の後姿が見えた気がした。


 そこで来崎は初めて、自分の行いが正しかったことに気づけたのである。


「……ああ、そう」


 メアリーは静かに髪をかきあげると、表情を一変させて来崎を睨みつけた。


「──なら本気で相手してやる。覚悟しろよ凡人? 頂点に立つ凱旋の棋風が貴様とどれほどの差があるのか、その身に味わわせてやる」

「やっと本性を見せましたね、似非えせ外国人。でも、覚悟するのはそっちです。──貴女の言う才能は一瞬のきらめきでしかない」


 こうして来崎とメアリーの頂上決戦は幕を開けたのだった。





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 ここにきて4400文字も書くドアホちゃんです

 いつまでもストックたまらないよ……

 でも喜んで貰えるからヨシ!

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