第七十一話 強者達の睨み合いと、温泉と、恋バナ

 黄龍戦の県大会初戦、罠を仕掛けていた東地区を真正面から圧倒する西地区。


 その西地区のエースが自滅帝だということも明かされ、多くの観戦者たちはその戦いに注目している。


 だが、その奥の方でもう一つの戦いが巻き起こっていた。


「……茶番だな。そうは思わないか? 青峰龍牙あおみねりゅうが


 南地区のエース、天王寺魁人てんのうじかいとは目の前で足を組んでいる青峰龍牙にそう問いかける。


 南地区と北地区、互いに両地区の最強格がぶつかっている本試合では、二人とも全く動きを見せていない。


「……それはテメェもだろ、天王寺魁人」


 青峰龍牙は缶コーヒーを口にしながら退屈そうにそう告げる。


 それもそのはず、二人の対局は初期状態から全く動いていない。


 先手となった天王寺魁人は初手を指すことなくずっと放置しており、その持ち時間は減る一方だった。


 しかし、どれだけの時間が減ろうとも天王寺魁人が手を指すことは無かった。


「マインドスポーツたるチェスや将棋は、他のスポーツと比較して決定的に違う点がひとつだけある。──それは試合中に怪我をしないことだ」


 天王寺魁人は腕を組みながら語り始めた。


「盤上で行われる試合は盤上でのみ決着する。対局者が主に動かすのは脳だ。ここはどうやっても怪我のしようがない。……最も、お前と戦った場合はその限りではないようだが」

「……フン」


 その言葉を受けて、青峰龍牙はくだらなそうに鼻を鳴らす。


「先月行われた黄龍戦の個人戦。北地区で行われた地区大会の決勝で、お前と戦った14歳の子供が対局中に発熱で倒れたらしい。いや、その前の準決勝でも、お前と戦った男は何かしらのショックで、大会後はからっきし将棋を指すのをやめたそうだ。これまた不思議だな?」


 天王寺魁人は全てを分かっていそうな眼で龍牙に視線を合わせた。


「……はっ、お前はさっきから何を言ってるんだ? 将棋で出来るのは駒を動かすことだけだ、それ以外の何ができる? 妄言極まるな」

「あぁ、そうだな。お前はそこで野垂れている遊馬環多流と違って、やっていることは駒を動かすことだけだ。だから今でもこうして野放しにされているし、お前を咎める人間が現れない」


 天王寺魁人はそう言って周りの選手達の盤上を一瞥する。


 南地区は全てにおいて北地区を上回っており、天王寺魁人を除く全ての選手達の局面が優勢から勝勢だった。


「悪いが、そんなお前と戦う理由は無い。無駄な体力を使うだけだ」

「はっ、素直に俺に壊されるのが怖いと言ったらどうだ?」


 青峰龍牙の挑発に、天王寺魁人は静かに口角を上げた。


はこの中で暴れるだけの四五段しごだんが、天王寺の心臓を本気で潰せるとでも思ってるのか?」

「ハハハッ、いいねェその威勢。気に入った。──だからそこを負けろどけよ、雑兵モブ


 二人の殺気の混じった眼光が火花を散らしてぶつかり合う。


「天王寺はこの大会で名を轟かす。それを阻む者は皆潰える。この大会を締める結果はただそれだけだ」

「純潔気取りのガキを潰すのは俺の役目だ。古臭い道場の出る幕じゃねェんだよ」

「その大言を口にするなら、まずは勝ってからにするべきだな」


 天王寺魁人がそう言うと、横に置いてあった対局時計はブザーを鳴らしてすぐに時間切れとなる。


 二人の対局は天王寺魁人の敗北。──と、同時に、他の選手が6勝をあげて南地区の勝利が決定した。


「遊びなら個人戦でやってろ青二才。中央の壁はお前個人でどうにかなるものじゃない」

「チッ……ならせいぜい足掻けよ。お前の言うはこの中でな」


 こうして、南地区と北地区の試合は幕を下ろした。


 天王寺魁人は席を立つ。すると南地区の副エースを担当している柚木凪咲ゆずきなぎさが駆け寄ってきた。


「先生!」

「おう、凪咲か。北地区はどうだった?」

「はい! 弱かったです!」

「そうか、各々反省して次の試合に臨め」

「はいっ!」


 元気よく去っていく凪咲を見て、天王寺魁人は何とも言えない表情を浮かべていた。


「純粋すぎるのも考えものだな」


 そう呟いて休憩室へ向かおうとした天王寺魁人は、前方から歩いてやってくる面々に眉をひそめた。


 ──中央地区だ。


 その先頭を歩いている中央地区のエース、青薔薇赤利あおばらあかりはすれ違うことなく、天王寺魁人の前で足を止めた。


「随分と余裕そうだな?」

「……おー、オマエが天王寺の後継者かー。玄水は腰を下ろしたのかー?」

「あぁ、そうだ。『中央如きワシの出る幕じゃない』ってな」

「ウソが下手なのだー。南地区は中央に傷ひとつ付けたことのない弱小区、出る幕じゃないとは随分と大口なのだー」


 赤利は嘲るように笑いながら天王寺魁人に告げる。


 子供のようなその様子に、天王寺魁人は惑わされることなく睨みを利かせ、強気な一言を口にした。


「俺がお前を倒す。西地区の自滅帝も含めてな」

「おー、オマエが赤利を倒すのかー、それはすごいなー」


 赤利は穏やかにそう返した後、雰囲気を変えて声のトーンを落とした。


「──なら、A級棋士でも連れてくるんだな。天王寺魁人」


 瞬間、赤利の放つ殺気が天王寺魁人を貫く。


 その圧迫感を間近に受けて、天王寺魁人の後ろに控えていた何人かの南地区の選手たちは、息を吞みながら目線を外した。


「アマ県の世界でプロ気取りかよ。言っとくが、あまり弱小を舐めるなよ? 女王の椅子は今日限りだ」

「……それは楽しみにしてるのだー!」


 赤利はワハハと笑いながら天王寺魁人の横を通り過ぎていった。


 天王寺魁人はそんな赤利の背中を睨みながら、次の相手のことを小さく呟いた。


「……次は西地区か」


 ※


 高校生活なんて帰宅部でいいと思っていた。帰宅部こそが至高だと思っていた。


 だが今でこそ分かる。その判断が誤りだったと。間違いだったと。


「はぁぁぁ……疲れがとぶぅぅ……」


 俺は今、大会の会場の隣にある大きな旅館の温泉に浸かっていた。しかも露天風呂だ。


 素晴らしい景色と新鮮な外の空気、木々の枝から見える広大な青い空。


 西ヶ崎高校の将棋部はこれほどまでに素晴らしいものだったのか。どうして今まで入っていなかったんだ、1年の時から入っとけばよかった……!


 因みに東城のお誘いはお断りさせてもらった。何故なら俺が二つ返事で頷いてしまった場合、社会的に抹殺されるからである。そしてこの旅館に混浴はない!


「色々大変だったそうじゃないか! 渡辺君!」


 ザブーン!! と豪快な音を立てて温泉に浸かる武林先輩。ほんとガタイだけは運動部のそれだ。


「いえ、俺の方はそんなに。それよりも部長たちが色々とやってくれてたみたいなので……その、ありがとうございます」

「なーに、感謝不要! オレはオレにできることを全力でやったまでだ! それに、約束も守ってくれたみたいだしな!」

「約束……?」


 俺は一瞬疑問を浮かべたが、すぐにその答えにたどり着いた。


『県大会はこれまで以上に信頼関係がカギになる! だからオレたちはそれまでに互いの絆をより深め、一心同体となって戦うことを心掛けよう!』


「お前達の顔を見てすぐに分かったよ。地区大会の時とは違って、仲間同士でピリついた空気がない。全員が絆を深め合っているとな。これも渡辺君が主軸となってやってくれたのだろう?」

「……過大評価ですよ」

「ハッハッハッ! 来年の部長は渡辺君に任せてもよさそうだな!」

「ちょ、ちょっと。やめてくださいよ。俺には荷が重すぎますって」


 あまり褒められることに慣れない俺は、武林先輩の言葉に思わず慌てる。


 すると、後ろの方から声が聞こえてきた。


「──まぁ、今回の主役はお前だからな。気に入らねぇが部長の座は譲ってやるよ」


 振り返ると、佐久間兄弟が全身から湯気を醸して立っていた。どうやらサウナ上がりのようだ。


「お、佐久間君じゃないか! 対局の結果はどうだった?」

「千日手、引き分けですよ。コイツが下手に粘るから」

「はぁ? 兄貴が攻めのターン譲らなかったからだろー?」

「ハッハッハッ! 仲の良いことだ。では二人とも、これを上がったらオレと一局指そうじゃないか!」

「やですよ、部長強いですもん」

「俺もお断りします」


 流れるように対局を誘うも、流れるように断られ、武林先輩は泣きそうな顔で俺の方を見た。


「……いや、俺もやらないですよ。部長も明日に向けて英気を養ってください」

「部長ショック! ぐすん」


 そのガタイでぐすんとか言うな。


 ※


 その一方、女性陣の方では将棋とは別の意味で盛り上がっていた。


「……東城先輩、着やせするタイプなんすね。アオイ失望しました」


 目の前に浮かぶ膨らんだものを見ながら、葵と来崎は失望の眼差しを送っていた。


「いや、アタシはいっても平均くらいだから……葵とそんなに大差ないわよ」

「そうですよ。この中で一番小さいのは私なんです。発言権は私にだけあるべきです」

「いや、ライカっちはスタイル良すぎなんすよ! そのスレンダーな体つきに刺さる男性陣がどれだけ多いことか……」


 温泉に入ってまでプロポーション合戦を繰り広げる三人。普段顔ばかりで評価されている三人にとって、胸の大きさはそれほど強調するものではなかった。


 しかし、だからこそ差を付けるのならそこしかない。


 温泉に浸かったことで、その火照った脳が思わぬ一言を告げてしまう。


「真才くんって、どの大きさが好みなのかな」

「……!」

「……!」


 来崎と葵の目の色が変わり、鋭い視線が東城に向けられる。


「み、真才先輩は将棋一筋な男性ですし? 胸の大きさとかどうでもいいと思ってるはずですよ!」

「い、いやー、アオイはミカドっちの好みとか興味ないっすけど? まぁ強いて言うなら大き過ぎず、小さ過ぎずー……、というか懐いてくれる女性に惹かれるんじゃないっすかね!」


 両者とも必死である。


「……じゃあ、このあと聞いてみる?」

「「えっ!?」」


 東城の思わぬ言葉に二人は慌てる。


 その後も東城たちはきゃっきゃと騒ぎ立てており、温泉でのガールズトークは盛り上がりを見せていた。


 しかし、露天風呂で盛り上がっていた彼女達の声は、当然同じ外の露天風呂に浸かっている真才達には丸聞こえだった。


「……聞こえてるんだけど」

「渡辺、お前モテモテだな」

「こんな男のどこがいいんだか」

「わっはっはっは!」


 黄龍戦の二日目を前にして、西地区の面々はより一段と絆を深め合っていた。




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 ★3500が近づいている、だと……?

 ランキング上がり過ぎてプレッシャーでゲボ吐きそう

 き、期待はほどほどにね……?

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