第七十話 直球という名の妙手

 初対面の印象はよく覚えていない。


 それほど影が薄くて、すぐに忘れてしまいそうなほど興味のない存在だったから。


「──東城さん?」

「あ、ううん。なんでもない」


 窓際でぼーっと空を眺めている彼を見て、今までのアタシは心底どうでもいい感情を持っていた気がする。


 何も考えていない顔。将来の夢も、目標も無くて、ダラダラと人生を生きて終わる人なんだろうと、そう思っていた。


 そんなアタシが今の彼に抱く印象は、純粋な尊敬だった。


 もうすぐ迎える県大会を前に、彼の不正に関する噂は留まるところを知らない。


 初めはクラスでも一部の人達だけがしていた噂も、西ヶ崎の生徒がやったという特定された記事が出回れば、自分達の学校に通う生徒がやらかしたのだと認識する。


 それはやがて疑惑や不信感へと変わっていき、大衆の視線は彼をよく思わないという感情が込められて向けられる。そして、肝心の教師たちも生徒と同じように彼に対して疑いの目を持っているため、擁護の介入すらしてこない。


 そうしてみんな、腫れものを見るような目で見るだけで何もしない。そんな現代ならではの小さなイジメが西ヶ崎高校では起きていた。


 それでも彼は、全然効いていなさそうな様子を見せる。


 普段通り、誰の目にもとまらないような影の薄さで立ち回り、静かに1日を終えている。


 アタシはそれを見て、彼はメンタルが強い人間なんだなと勝手な思い込みをしていた。


 ──放課後。部活が終わって帰ろうとしていたアタシは、ふと忘れ物をしていることに気づいた。


 既に正門を通って学校の外まで出てしまったアタシは、このまま踵を返して正門へと戻るより学校の裏庭から入る方が近道だったため、誰もいない裏庭の方へと向かっていった。


 そこで、まだ帰っていない彼を偶然見かけてしまう。


「……はぁ……」


 片手で顔を覆いながら、泣きそうな声で静かにため息をつく彼の姿に、アタシは思わず胸がキュッと苦しくなった。


 いつも平気な顔をしていたから、気にしないように振舞えってアタシ達に言っていたから、だから彼はきっと大丈夫なのだろうと思っていた。


 だけど、そんなことなかった。


 たったひとつのそのため息に、彼の感じていた辛さの全てが詰まっていた。


「真才くん……」

「……っ!? と、東城さん……!?」


 アタシに見られたのがよほどの想定外だったのか、真才くんは目を泳がせながらあたふたとしていた。


「ご、ごめん。変な所見られちゃったかな、ははは……」

「……ねぇ、やっぱり今すぐ本当のことを言いましょう? 真才くんが自滅帝だって知ったら、きっと誰も疑わなくなるわ」


 アタシは最善の案を彼に告げた。


 だけど、真才くんは首を横に振ってそれを拒んだ。


「……ここで対応策にでるのは、相手に逃げる隙を与えてしまうようなものなんだ。俺が自滅帝だという証拠は、今俺が持っているカードの中で最大の切り札に等しい。その手札をこんなところで切るわけにはいかない」

「でも……っ! それで真才くんが傷つくなんて……」


 耐えられない。アタシは耐えられなかった。


 なんでこんなにも一生懸命に頑張っている彼が、どうして身に覚えのない疑惑の目を向けられなければならないのか。


 そしてアタシは、どうしてこんなにも彼が傷つくことを嫌っているのか。


 同時に浮かんだ二つの疑問に、アタシは自問自答する間もなく彼に笑顔を向けられる。


「ありがとう、東城さん。誰かが心配してくれるだけで本当に心の支えになるよ」

「……」

「でも、大丈夫。きっと全部上手くいくから。……それに、俺達は将棋を指してるんだ。将棋以外の盤上戦に目を向けてやる義理はないよ」


 それでも彼は強かった。強くあろうとしていた。


 ずっと独りで戦ってきたであろうその背中に宿る信念には、小さくも決して消えない炎が灯されている。


 それは決して強さから来るものじゃない。弱くとも、脆くとも、諦めずに必死に研鑽を重ねてきたからこそ今の彼ができている。


 その事に気づいた時、アタシは真才くんに対する評価が180度変わった。


 初めは影の薄いクラスメイトだと思っていたのに、初めて戦った時は気に食わない人だと思っていたのに。今ではそうじゃない。


 それはきっと、彼の本質に少しでも触れてしまったからなのだろう。


「……ずるいわよ、ほんと」

「?」


 首をかしげる真才くんに、アタシは手を差し伸べて告げた。


「県大会、絶対優勝しましょう」

「当然。……でも手を握るのはちょっと、今手汗ヤバいから……」

「ん!!」


 アタシは無理やり真才くんの手を握った。


 ※


 県大会の初戦が終わり、絶望する東地区の面々が会場に転がっている。


 俺は彼らを一瞥するだけで、それ以上何かを言うことも無かった。


「……」


 逆に環多流の方が唇を噛み締めながら俺に何かを言おうとしていたが、それが敗者の弁で在ることを悟ったのか、拳を握りしめて悔しそうに机に突っ伏していた。


 彼らの敗因は盤上以外の戦いに注力してしまったことで、俺達の勝因はこの1ヵ月ひたすら将棋に打ち込んだことだ。


 誰もが地区大会での戦績を参考としている。過去のデータを基準にするのはよくある考え方だが、それでは成長という可能性を排除してしまっている。


 特に将棋は成長の遅い部類だ。短時間で棋力を上げるなどそう簡単にできることではない。


 誰も成長した相手を想定しない。過去の記録が今後の相手だと誤認している。だから東地区は負けたのだろう。


 いいや、原因なんて結果から辿る軌跡だ。俺もまだ渦中の烏合、県大会は終わっていない。


 勝者の弁を語るのなら、この大会に優勝してからだな。


 俺はそう思いながら会場の外に出ると、将棋部の部員たちが久々に全員集まっていた。


「──もう! 心配したんすよ三人とも!」

「ハッハッハ! 心配かけて悪かったな! だが、問題は全て片付いたぞ!」


 武林先輩は手を突き出してブイの字を作る。


「それにしてもアンタたち、随分と強くなったみたいね?」

「当然、こちとら死ぬ思いしてきたんだぜ?」

「将棋で死ぬ思いすることあるんですか……」


 佐久間兄弟は以前と比べて見違えるように強くなったらしく、さきほどの試合は残り5分というところから圧勝を決めたらしい。


 彼らも彼らなりに色々と強くなるための方法を試したのだろう。……それにしても、この短時間で東地区の面々を楽々倒すほどに成長するって凄いな。


 さっき聞いた話では、佐久間兄弟は誰かにスパルタで教えてもらっていたらしいのだが、一体誰に教えてもらったのだろうか?


 いや、わざわざ聞くのは野暮か。


「あ、真才先輩、おかえりなさい!」


 来崎がお茶を飲みながら、いの一番に挨拶してきた。


「ただいま。次の試合はまだ始まらないっぽいけど、何かあった?」

「それが聞いてくださいよミカドっちー! なんか2回戦は明日になったみたいっすよ!」

「……明日?」


 俺が疑問符を浮かべると、武林先輩が答えてくれた。


「今大会の責任者である立花徹が、なにやら鈴木会長に詰め寄られてるらしくてな。……まぁ、理由など想像つくだろうが。とにかく! オレ達はこれにて今日の戦いは終了だ! 2回戦は明日から始まるぞ!」


 なるほど、どうやら上はごたついているらしい。十中八九俺の件が絡んでいるのだろうが、今回に関しては騒ぎを起こした俺に責任はないと思っている。


 疑われたのだから証明した、ただそれだけだ。


「一回戦終わってもう暇か。なぁ、渡辺、一局指さねぇか?」


 初戦の相手が物足りなかったのか、魁人はやる気に満ちた顔で俺に対局を申し出てきた。


「いや、せっかくの誘いだけど遠慮するよ。下手に脳を刺激すると疲労がたまりそうだから」

「そっか、なら仕方ない。おい隼人、俺と指すぞ」

「散々今日まで指してきただろ兄貴……一局だけだからな」


 そう言って佐久間兄弟は会場へと戻っていった。


(さて、俺はどうしようか……)


 そんなことを考えていると、東城が細い指で俺の肩をトントンと叩いてきた。


「……ねぇ、真才くん、今回の県大会は二日制なの知ってた?」

「え? あ、うん。知ってるも何も今その話してたよね?」


 謎の問答を一回挟んで、東城は機械的に話を続ける。


「アタシたち、今日あそこの旅館に泊まるのよ」

「うん」

「綺麗な温泉と露天風呂があるのよね」

「うん……」

「真才くんは温泉、好き?」

「う、うん、めっちゃ好きだけど……」


 俺がそう答えると、東城は深呼吸をしたあと、妖艶なポーズをとって信じられない言葉を発した。


「──ねっ。温泉さ、一緒に入ろっか?」

「え」

「はぁっ!?」

「ブゥーーーッ!?」


 今度は来崎のお茶が東城の顔に掛かった。


 妖艶なポーズをしていた東城はびっちゃびちゃになった。




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