第四十四話 一流の手法1

「救う……? 私を……? な、何言って──」

「俺はこう見えても結構欲張りなんだ。県大会が控えてるこの状況で、貴重なメンバーを失うわけにはいかない」


 困惑する葵を他所に、俺は静かにその場から立ち上がった。


 外からは運動部の終わりの号令が聞こえてくる。もうすぐ部活の終わりを告げるチャイムが鳴る時間だ。


「……は、ははは。何言ってるの、ふざけないで。先輩の目的は私を退部させることでしょ……!?」


 葵は俺の言葉を信じていないようで、顔を引きつらせながら机を叩いた。


「俺はそんなこと言ってないが?」

「言ってる、言った!」

「負けたら退部してもらうとは言ったが、俺はお前を退部させたいとは一言も口にしていない」

「じゃあなにが狙いなの!?」


 葵の激昂に、俺は呆れながら答える。


「二度も言わせるな、狙いなんてない。俺は初めからお前を救うのが目的だ」

「大言壮語もいい加減にしてよ、私を勝手に救う必要のある人間だと決めつけないで!」

「散々自分には後がないって言っておいて、今さら気丈に振舞うのか?」

「……っ。そ、そもそも先輩は私に同情してないんでしょ!」

「あぁ、同情はしてない。だからやるべきことはもう終わらせた」

「はぁ……?」


 葵が理解できない顔でこちらを見てくる。


「お前がこの部でのし上がろうとするのは勝手だ。俺には俺の夢があるし、将棋部の皆にもそれぞれ違った夢がある。俺にそれを止める資格はない」


 そう、俺はあくまでも葵の夢に対しては部外者だ。俺は人の夢に干渉できるほど何かを持った人間じゃない。


 だから、俺に葵の夢を止める資格はない。その想いを踏みにじり、別な道を示唆させる権限はない。


「ただ、お前もその夢を叶えるために他人を排除しようとするな。人を蹴落とすことで相対的に自分を上げようとするな。その行為はいずれ自分を蝕む、今のこの状況みたいにな」

「っ……」

「邪道で得た栄誉なんて光るだけの愚物に過ぎない、いずれほころぶ。だからこういった方法を取るのはやめておけ」


 葵は深いため息をついて生気のない笑みを浮かべる。


「……そんなの、もう取らないよ。取りたくても取れない。だって私は負けたんだから」

「お前はまだ負けてない。投了してないからな」

「さっきから何言って……! 私は負けたんだよ、ここから巻き返せる手なんてもうない! あるなら言ってみてよ!」


 俺は盤面を指さすと、終わっていない局面に新たな解を見出した。


「あるさ」

「どうやって……!」

「簡単なことだ。──千日手引き分けにすればいい」

「なっ……!」

「勝負が引き分ければ賭けが無くなるのも道理。言っただろ? 俺は負けないし、お前も救うと」

「さ、最初からそれが狙いだったの……!?」


 驚きで言葉が出てこない葵。


 この提案を出すには、葵を追い詰めながら、かつ俺自身の王様が詰まない局面を作る必要があった。


 だから中段玉にして入玉を目指し、葵の戦意を削ぎながら絶対に勝てないと思わせる状況を作った。


 千日手のルールは簡単だ、同じ局面を4回繰り返せば引き分けになるというもの。


 もし俺が普通の将棋を指して葵にこの案を持ちだしたら、向こうが千日手の条件を破って逆転されるような裏切りの展開もあったかもしれない。


 だから俺は絶対に詰まない状態を築いた。そして葵がこの条件を飲まざるを得ないように、あえて詰まさず葵の王様を包囲した。


「どうする? 条件を飲まないならこのまま詰ますだけだが?」

「っ……!」


 葵は複雑な表情で駒を動かす。


 それを見た俺も適当に駒を動かした。


「……こんなことしても、私は救われないよ」

「そうかもな」


 互いに繰り返し、交互に手が動く。


「先輩を潰さなきゃ、退部させなきゃ、私の夢は叶わないんだよ……!」

「今はそうかもしれないな」


 2回、3回、そして4回目──互いの手は同じ局面を4回繰り返した。


 葵はその局面を呆然と見つめながら、何かを言おうと口を動かす。


「……私は」

「お前がどんな手を使って俺を退部させようと画策していたのかは知らないが、少なくとも俺にはお前を退部させる材料なんて無いし、あったとしてもできない」

「……え?」


 僅かな間をおいて、葵は素っ頓狂な声を漏らした。


「で、できないって、どういうこと……?」


 俺は目の前の対局が引き分けになったのを確認してから、ようやく真実を口にした。


「部活に入ったばかりの新人が、これから活躍する後輩を退部させたなんて知られてみろよ。周りから白い目で見られるし、部長になんて言われるか分かったもんじゃないだろ」

「……何言ってるの、部長には言ったって」

「言ってないぞ?」

「えっ……?」


 驚く葵に、俺は続ける。


「俺は部長に何も言ってないし、何も伝えてない」

「が、学校側に泊まる許可をもらったって」

「もらえるかよ。公共施設だぞ? たかがいち生徒の戯言で泊まり込みが許されるわけないだろ」

「な、な……っ!!」

「お前が初めに言った通り、無限の時間を盾にして永遠に勝負をつけなければ俺の負けだった。だが今の時間は19時、ちょうど部活が終わるピッタリの時間だな」


 そこまで言ったところで、ちょうど終了を知らせるチャイムの鐘が鳴った。


 葵は絶句した表情を浮かべていた。


「う、ウソでしょ……! 騙してたの……っ!? 最初からずっと……!!」

「言葉の伝わり方には差異がある、そして流れもな。俺は最初から何も行動なんてしてないし、できるほど勇敢でもない。そもそも俺は陰キャなもんでね、部長や学校側に頼みごとをする勇気なんて持ち合わせちゃいないんだ」

「そんな……っ」


 それを聞いた葵は、脱力し崩れ落ちた。


「何もかも、手のひらの上……」


 俺はそんな葵を他所に将棋盤を片付けてカバンを背負うと、去り際に一言告げた。


「人の夢を奪おうとしたんだ、人に夢を与える罰を受けろ。それで許してやる」

「夢を、与える……?」

「鍵、閉めていくんだぞ」

「あ……」


 葵がその意味を理解する間もなく、俺は問答無用で部室を出ていった。


 そして廊下で思いっきり息を吐いた。


「はぁぁー……しんどい役回りだった」


 久々の重労働。しかも陰キャにとっては地獄のようなトーク祭り。将棋を指しながら心理を誘導するなんて人間のすることじゃないな……。


 そんな事を思っていると、陰で見守っていた一人の少女が顔を出した。


「あ、東城さん。お帰り」

「……いいの? 退部させなくて。アタシにならできるけど」

「聞いてたんだ。──必要ないよ、葵は仲間だ」

「強い考えね。真才くんならそう言うと思ってた。……でも、大丈夫なの? また突っかかってくるかもしれないわよ?」


 東城の問いに、俺は余裕をもって答えた。


「それは無いと思うよ。だから東城さんも安心して明日から部活に来てほしい」

「……何か仕掛けたのね?」


 仕掛けたとは言いづらいが、俺にできることはもうしてある。後は葵がどう選択するかの問題だ。


 それに……。


「勝負に負けるようなら三流だけど、ただ相手に勝つだけじゃ二流でしかない」

「じゃあ、一流は?」


 すぐに聞き返す東城に、俺は屈託のない表情を向けてこういった。


「──もう一度仲間にすること」

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