第十七話 自滅帝、正体バレる

 暗がりの室内、閉じられたカーテン。

 パソコンの光だけが部屋の中を照らす最悪の環境で、一人の少女──来崎夏らいざきなつはパソコンをガン見していた。


「……」


 瞬きひとつせず覗き込むモニターの先には"将棋戦争"のアプリが立ち上がっており、その対戦相手には今世紀史上最強の名前が表示されていた。


 ──自滅帝・九段(49連勝中)──


「……っ」


 圧倒的な威風、恐怖、そして戦慄。

 対戦相手にその者の名前が表示された時、大半のプレイヤーは勝負を諦めてしまうという。


 先日不正垢に負けて連勝数が0になったはずだったのに、いつの間にか復活して49連勝もしている。


 むしろ以前より連勝数の伸びが早い。成長速度も段違いな姿を見せ続ける帝王の歩み。


 ネット将棋最強のトップランカー。不動の九段に居座り続ける正体不明のアマチュア強豪──『自滅帝』。


 たった今、そんな怪物と来崎は戦いを繰り広げていた。


「今度こそ勝つ……!」


 局面は中盤、最新型まで研究しつくされている『角換かくがわり』と呼ばれる戦法で、両者の戦いはノーガード戦に突入していた。


 プロ公式戦さながらの戦いを繰り広げる二人の棋風はまさに研究戦。どちらがより深くまで研究をしているかの知識勝負となっていた。


 本来なら圧倒するはずの自滅帝も些か慎重になっているのが伝わる。

 それを感じ取った来崎は、自身がより先の定跡を熟知していることを察して早指しで攻めを繋げていった。


 それに呼応するように自滅帝の指し手もまた早くなる。


 両者ノーガードの殴り合い、互いに背水の陣で生み出される攻防。一瞬の油断が死に直結する。


 しかし、先に足を滑らせたのは来崎だった。


「え、まって、なにそれ……っ」


 終盤への入口で定跡外の一手を放つ自滅帝に、来崎は動揺して悪手を指してしまう。


「あっ……」


 背水の陣で戦うリスク、それは一度でも足を踏み外してしまえば助かる道は無くなるということ。


 崖から落ちた来崎の王様は流れるように追い詰められ、一切の抵抗もできずに終止符を叩きつけられた。


 ──画面に表示される『敗北』の文字。


「……あ"ぁー……」


 たった一手のミスからパズルでも解くかのように寄せられ決着。


 来崎は重くなった頭を机に突っ伏しながら呻くように愚痴をこぼした。


「もう何なんですかこの男ー! いや男かどうか分からないですけど! 強すぎますよ! もおぉぉぉ……!!」


 早すぎる指し手、追いつけない読みの数、そしてその圧倒的な思考回路から導き出される一手は未来の勝敗すら決定づける。


 来崎と自滅帝では、単純なスペックの差が桁外れだった。


「もおぉぉぉ~~!!」


 牛になりながら両手両足をジタバタさせる来崎。

 普段冷静沈着なキャラとして振舞っている彼女がここまで取り乱すのは珍しいことだった。


「……こんなんじゃダメだ。もっと頑張らなきゃ」


 そう言って来崎は再びパソコンと向かい合い、先程の自滅帝との対局を見返してどこが悪かったのかをAIで解析し始めた。


 ふと画面の右上を見て見れば、ベルアイコンのところに赤い通知マークが表示されており、それを開くと『次の動画投稿待ってます!』とコメントが来ている。


 来崎は将棋指しでありながらYoutuberとしても活動していた。


 普段は『将棋系Youtuberライカ』として、対局動画や解説動画、生放送で仲間内と研究会を開いたりしている。


 しかし、大会が近づいている今の来崎に動画を撮る余裕はなかった。


「はぁ、なんでこうなっちゃったんだろ……」


 来崎はため息をつきながら自滅帝との棋譜を並べる。


 ──秀才は天才に勝てず、天才は鬼才に勝てない。


 自滅帝は鬼才なのだろう。


 どんな相手でも自分の戦いを繰り広げ、恐れることなく突き進む。まるでAIのように全てが計算しつくされた一手を彼は指せる。


 だから凄まじく強い、鬼のように。


 来崎も数年前までは鬼才と呼ばれていた。

 地区の王者に完勝し、県のトップに黒星をつけ、全国の強豪に辛勝を果たす。


 当時女子中学生大会で無双を繰り広げ、周りから『神童』ともてはやされていたあの東城美香にも土をつけたことがある。


 まさに旭日昇天きょくじつしょうてん。女流への道は確実とまで称されていた。


 しかし、それほどまでの強さを持っていながら、来崎はただの一度も大会を優勝したことはなかった。


 運が悪いのか、力が安定しないのか。どれだけ格上を薙ぎ倒してもその分格下にやられてしまう。


 何回出場しても、何回戦いを繰り返しても、2位や3位を取るばかりで1位が取れない。優勝ができなかった。


 気付けば周りから期待される声も減っていき、強敵とすら認識されなくなり、やがて一人の一般的な将棋指しとして見られるようになっていく。


 それ以来、来崎は家に引きこもるようになり、学校にも行かなくなった。


 家ではずっと将棋の研究に励んでおり、その副産物として生まれるYoutubeの動画の収益でなんとか食いつなぐ生活。


 なんとか打開の糸口を見つけようとしても、自分が何で負けているのかはっきりせず不安感に駆られるばかり。


 将棋戦争では『七段』という最上位クラスに位置しながらも、勝率は安定せず『六段』に落ちたり『八段』に上がったりを繰り返している。


 常に安定の勝率を叩き出す格上の自滅帝からみればいい笑いものだろうと、来崎は心の中で自虐する。


 そんな来崎の背後には、これまで得てきた様々な大会の商品が飾られていた。


 強者でありながら、ただの一度も優勝したことが無い。

 圧倒的な強さと棋風を見せながら、たった一度すら頂点に君臨したことが無い。


 彼女の名は来崎夏。またの呼び名を──。


 ──『無冠の女王』。


 ※


「……」


 将棋大会が近日に迫ってきているのを感じ取りながら、俺は将棋部の部室で将棋戦争をやっていた。


 この部活は基本的に各自の自主性を重んじており、メニューやスケジュールなどで部員を拘束することはない。


 今回武林先輩が言ったのは『研究や暗記を切り上げ、対局に専念すること』。

 つまり、対局をするのであればこうしてネット将棋などアプリで行ってもOKというわけだ。


 そして俺が今対戦している相手は将棋系Youtuberのライカだった。


 俺は今まで彼女に負けたことはない。

 それどころか、負けそうになったこともない。常に作戦通りに勝つか、そのまま棋力差で圧勝する試合が多かった。


 だが、今回は負けそうだった。

 ギリギリまで追いつめられ、崖際まで押されていた気がする。


 最後に向こうがミスをしてくれたから勝つことができたが、もし最後までミスをしなかった負けていたかもしれない。


 とはいえ勝ちは勝ち、これで50連勝だ。


「ようやく折り返し地点か」


 そう呟いた俺の声が届いたのか、横でお茶を飲みながら作業していた東城は何げない顔でこちらに身を寄せてきた。


「折り返しってなんのこと? ていうか真才くん何やってるの?」

「将棋戦争だよ、見る?」

「あ、そうなんだ! みるみる! 実はアタシもやってるからさ、よかったらフレンドとか──」


 そんなやりとりの中で、俺はふとスマホ画面を東城に向けてしまった。


 そこには──『自滅帝』と書かれたアカウント名と、50連勝中と表示された画面が映っていた。


 あ、やっちまった。


「ブーーーッ!!!?」

「!?」

「なんだ?」

「東城君!?」

「先輩!?」


 東城が口に含んでいたお茶を噴き出してしまい、俺の顔面に全部かかった。

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