第1話 魔石使いは世界を変えた
干した海藻の香りが漂う店先に一人の男が座っていた。
革のジャケットに革の服という地味な服装。
彫りの深い整った顔。
眉間に皺を寄せ、組んだ足の上の紙束に一心不乱に何かを書きこんでいる。
その店に客は来ない。というよりかは、集中している彼の邪魔をしたくないからか、訪れた人は気を利かせて引き返しているようにも見える。
そこに、軽薄そうな一人の大男が彼の思考を遮るように話しかけてきた。
「やぁ、ゴード。今日も魔石の研究かい? そんな難しい顔をしていたら子供に怖がられるぞ」
「おはようセノ。難しい顔をしてなくとも元々俺はコワモテなんだ。子供なんて十分に怖がらせているさ」
ゴードは紙束を紐でまとめて店内に放り込み、ペンを胸元にしまうと、立ち上がってどこかへ向かおうとする。
「おい? どこに行くんだ?」
「どうせ冒険者組合からの呼び出しだろ? この前の研究のコトだろうし、キッチリ話し合ってくるよ」
「さすが天才研究者様。俺がここに来た意味をよく理解しているようで」
大げさに拍手したセノは、人差し指をゴードに向け、悪辣な笑顔を浮かべてこう言った。
「組合様からは『良い返事を期待している』と言われている。この話を引き受ければ研究費用に困ることは無いだろうし、お前が熱く語っていた魔石製品の大量生産も可能になる。それと、『身の安全』も考えるならそろそろ組合に降ったほうが良いと思うぜ」
それじゃ、とセノはゴードの返事も待たずに立ち去ってしまう。
「良い答え……か……」
ゴードに苦しみの表情が浮かぶ。なにか取り返しの付かないことをしてしまったことを悔やむような表情だ。
「自分のケツは自分で拭かないとな」
明るく美しい景色と爽やかな香りが漂う海岸線には似合わない、憂鬱な雰囲気を漂わせながら、ずんと重力がのしかかったような体を冒険者組合へと進める。
眩しすぎる海の煌めきと磯臭さにむせ返りそうになりながらも、冒険者組合にたどり着いた。
冒険者組合はこじんまりとした民家のようになっており、大規模な組織の拠点とは思えない作りになっている。
ノックするべき扉は近くに立つだけで軋む音を上げ、蝶番から外れて倒れてくるのではないかと思うほどだ。
そんな扉をゴードは慎重にノックし、中にいるであろう支部長に声を掛ける。
「失礼。ゴードだ。要件はセノから聞いている。」
「おぉ! 来てくれたのか! 早く中に入ってくれ! 研究結果を私に聞かせてくれないか?」
中からやんちゃそうな男の声が聞こえる。以前ここに来たときは支部長を名乗る女性がいたはず、と疑問を抱えながらその扉を開ける。
「おやおや、そんなに緊張しなくても大丈夫だ。この私がやってきたんだ。その光栄を心に刻みつけてその研究結果を提出してくれて構わないよ!」
白髪白目、白いローブを着た、魔導士を思わせる風貌の男がささくれ立ったおんぼろの机を挟んで座っている。
にこやかに笑う男は友好的な雰囲気を出しているが、ありとあらゆる意見をねじ伏せようとする威圧ともとれるオーラを纏っている。
存在そのものが異物であるとゴードは確信するが、それと同時にここにいることが当たり前であり、旧くからの友人であるとも錯覚するような奇妙な感覚を覚える。
「……研究結果は渡すことは出来ません。なぜなら全ての研究はすでに終えて、魔石研究学会に提出していますから。研究の結果はそちらにお問い合わせ頂きたい」
「ふーん……でも学会は全ては公開してくれなかったんだよね。君の『属性及び性質が異なる魔石の融合と効果の調整』の論文。君から直接公開してくれないと組合も困ってしまうんだ。君は魔石の融合方法を提供してくれるだけで良い……もちろん対価は払うからね」
「対価……? いくら金を積まれても俺は……」
白い魔導士は机の下から大きな袋を取り出す。そして机の上に置いたが、机は袋の重みに耐えきれず壊れてしまう。それと同時に大量の金貨が零れ落ちてくる。
「ッ!?」
「おっといけないバラまいてしまった。これはこの話を了承してくれたら渡すつもりだったものだよ。ここの管理をしていた支部長は、これだけあれば君は首を縦に振ってくれると言っていたけど……それだけじゃ足りない。君が情報のヒントを1つ出すごとにこれの3倍の金貨を与えると組合は約束しよう。どうだい? やりようによっては大量の金貨が君のものになる」
ゴードは大量の金貨を前に脳が一瞬麻痺しかけるが、すぐに理性を取り戻した。
「いや、技術の提供はできない。あの技術は人々の生活を豊かに……幸せにするためのものだ。組合が何に使おうとするかは知らないが、蛮族の集まりの組合の事だ。何か新しい兵器でも作るに違わないだろう」
「そっか……そうそう。これは関係ない話なんだけどね」
白い魔導士は技術の提供を拒否したゴードに落胆した様子を見せて、新たな話を切り出してくる。
「今ね、君のお店。つまり君の研究所に組合員を向わせているんだ」
「まさか……」
「お察しの通り、技術の提供をこちらが勝手に進めさせてもらうことになったよ。あまり酷いことはしたくなかったんだけど。全部君が悪いんだからね」
あはははは、と楽しそうに笑う。すると突然、白い魔導士の口元に魔法陣が浮かび、その魔法陣から彼と同じ声が響いてきた。
『聞こえるかな? 研究の結果は確保したよ。そろそろ僕の所に戻っても大丈夫かな?』
彼はその声に了承の言葉を返すと、彼の手元に今まで無かったはずの紙の束が現れた。
その紙束の一番上の紙には『属性融合』と雑な字で書かれている。
「それは俺の研究日誌!?」
「良かった。これが目的のものだと確認できたよ。本当は研究結果をまとめた物が欲しかったのだけど……これさえあれば君の技術を再現できるはずだよね」
白い魔導士は指をパチンと鳴らしてその場から消えてしまう。まるで最初からそこにはいなかったかのように。
「これはマズい事になったな……」
マズい。ゴードはその一言で済ませてしまっているが、あの技術を使えば人々の生活だけではなく、世界の勢力図や戦争の形態ですら大きく変えてしまう。
彼の生み出した叡智は、文明の大きな進歩と、それとは比べ物にならない大きな犠牲を払う技術であった。
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