22:全ては思い出と共に

 


 アキラの店に出勤する最後の日は今週末までと、春人自身が決めた。

 働いた分は春人に渡すとアキラは言うが、正直春人からすればお金よりみんなとまだ居たいという気持ちでいっぱいだった。

 本当は今月末までと春人は言ったのだが、早く元の生活に戻った方が良いと言われ、渋々今週末になったのだ。

 辞める話を聞いた高崎は驚きのあまり、春人を抱きしめそうになっていた。

 しかしそこは浅木に止められ、抱きしめることはできなかったが、本気で残念そうに言った。


「本当に辞めるの?もうずっとここで働けばいいのに」


 しかし、アキラの店は借金返済用の居場所として置いておきたいという浅木の配慮で、ずっとは難しいと言われてしまったのだ。

 もう既に春人の後釜候補がいるらしく、春人が辞めたらその人を入れる予定だった。

 春人はそんな高崎を見て、


「またお店に来ますよ。今度はお客としてね」


 笑顔で言うが高崎の残念な気持ちを完全にはぬぐえなかった。

 それだけ高崎は春人を気に入ってたのだろう。

 帰り道、浅木は思わず呟いた。


「あの人、マジでハルのこと狙ってたんじゃねぇか?」

「まさか、そんなことないでしょ?」

「いや、だってお前と飯食いに行きたがってたじゃねぇか?」


 随分昔のことを言う浅木に春人は苦笑いをした。


「懐かしいね、昔そんなこと言ってたね。っていうか、まだ覚えてたの?」

「当たり前だ!かなり高崎さんのことは警戒してたからな」


 むくれた表情で言う浅木に春人は思わず笑った。

 何もかも懐かしい。

 あの時はそんな気持ちになれなかったが、全てが思い出になっていく。


「お前とこうやって夜中、帰れるのもあと二日ってことか」

「……うん、そうだね」


 それ以上二人とも沈黙になり、言葉にするのが嫌でお互いのいる空気を感じていたいと思った。

 いつかは来ることだ。

 ただ思っていたより早く来て、動揺しているのは確かだ。

 ゆっくりとした歩調で春人のアパートまで歩く。

 季節は10月に入り、夏の暑さもだいぶ陰っていた。

 周りの木々の葉は緑から茶色へと変わっていく。

 風もどこか肌寒く感じられる。


「それじゃあ帰るな」


 珍しく春人の部屋に入らず、春人に優しくキスをした。


「上がっていかないの?」

「今日は帰るわ。なんか一人で居たい気分でさ」


 その言葉が妙に寂しく感じ、春人は浅木を見つめた。


「俺、浅木とこれからも一緒に居たい」

「……知ってる」

「浅木は?」


 切ない目で見られた浅木は動揺し、言葉を濁した。


「俺もだよ。そうしたいとは思ってるけど……」

「けど?」


 再度尋ねても浅木は返答をしなかった。


「また明日な。最後まで頑張ろうな」


 春人の頭を撫でてくるりと背を向けると、一度も春人の方へと振り返らず歩いて行く。

 浅木の気持ちの葛藤を理解したつもりでいても、それでも前向きな返事が春人は欲しかった。






 アキラの店で働く最終日、何人かの常連さんたちが春人の最後の就業を祝ってくれた。


「これ、みんなから」


 そう言って、ブランド品のバッグをくれたのだ。


「あ!ありがとうございます!」


 嬉しくてそのバッグを春人は思わず抱きしめた。


「いつも持ってくるバッグだとちょっと冴えないなぁと思ってたから、ちょっとお洒落目なのをね」


 いつも肩掛けのバッグを使っていたのだが、だいぶ使い込んだ物で少しみすぼらしさもあったが、貰ったバッグは同じような肩掛けで黒と白を上手く合わせたデザインだった。

 春人は見た瞬間にとても気に入った。


「じゃあこれは私からね」


 言ってアキラからは洋服を差し出された。


「あ、かっこいい!ありがとうございます!」

「ハルちゃんはカジュアルな恰好が多かったから、ちょっと大人っぽい服もあった方がいいかなって思って!有名ではないけどそれなりに良い服を作るお店なのよ」


 貰った服はシャツで、可愛過ぎずデザインがお洒落で、自分の趣向とは違った雰囲気の服ではあるけど、春人は大事にしようと思った。

 そんなお客とのやり取りを穏やかな表情で見守る浅木に、高崎は声をかけた。


「あんたはハルちゃんに何もあげないのか?」

「俺は後で渡すから大丈夫ですよ」

「そうかよ、まぁ、ハルちゃんの監視もこれで最後だしな~」

「………」


 空気が少ししんみりとする。

 そんな空気を感じた春人は、すっとお客に向かって頭を下げた。


「本当に、最後まで色んな物もいただき、ありがとうございました」

「ハルちゃん」


 高崎は声が思わず上擦った。


「最初は本当に慣れていなくて、皆さんにだいぶご迷惑もかけたし、嫌な気持ちにさせてしまった方たちもいると思います」


 そう言うとある常連客が恥ずかしそうに口を開いた。


「いや、あまりにもハルちゃんの反応が可愛くてつい、弄ったりして困らせてしまったなって思ってたんだよ」

「そうですね?確かに、俺、随分悩みましたよ~」


 春人は言いながらも笑っていた。


「でも、俺もまだ慣れていなかったこともあって、冗談と本気の区別ができなくて気分を害してしまったお客さんもいたし、本当に接客って難しいなって思いました。でも、ちょっとずつ慣れてできるようになると、その区別もできるようになったし、楽しく会話できるようになりました。色々勉強させてもらったって思ってます。きっとこの経験がどこかで活かせる気がしてますし、本当に感謝しかないです」

「………」


 みんなが黙る中、春人は話を続けた。


「本当にありがとうございました!この言葉に尽きます。これからもまたお客として来たいと思ったので、その時はよろしくお願いいたします」

「待ってるよ!」 


 そんな挨拶を締めにちょっとしたお別れ会が終わった。

 そして再び、いつもの和やかな店の雰囲気に戻ったのだった。






 店を念入りに掃除をした春人は、最後アキラに抱きしめられ、


「本当に約半年間だったけどありがとうね。大変だっただろうけど、何の力にもなれなくて……申し訳なかったって思ってたわ」

「そんなこと……」


 目に涙を浮かべた春人は、必死に声を出した。


「全然そんなこと思っていないです……俺も弱くて色々迷惑かけました」

「仕方ないわよ。接客初めてだったんだし、あなたは色んなことを抱えてここへ来たんだから」


 ポンポンとアキラは春人の背中を優しく叩く。

 それが再び春人の涙を誘った。


「また来てね!待ってるわ!」


 と泣きながら最後の挨拶をすると、何度もアキラに振り返りながら春人と浅木は帰って行った。

 二人で最後の帰り道を手を繋ぎながら歩く。

 不思議と会話はあまりなく、春人は周りの景色を忘れないように堪能しながら歩いて行く。

 そしてアパートに着くと、そのまま浅木は春人の部屋へと入った。

 電気をつけると浅木はベッドの傍らに座り、春人に隣に座るよう促した。

 ストンと春人が座ると、浅木のスーツのポケットから何やら出そうとしているのが見えた。

 見るとそれはシルバー製のペンダントが二つ出てきたのだ。

 そのペンダントのデザインは、チェーンに雫型のリングが二つ組み合い、一つは長さが3cmほどで、もう一つは2cmほどの大きさだった。


「これ、お前にやるよ」

「え?」

「一応お揃いだから。俺、こんなことするの初めてだからよ」


 赤面しながら春人の首にそのシルバー製のペンダントをかける。

 嬉しくて春人は思わず浅木に抱きしめた。


「ありがとう!ずっと大切にする!」

「そうか、嬉しいよ。それじゃあ俺のも首にかけてくれよ」

「うん」


 嬉しそうに春人は浅木の首にペンダントをかけた。

 二人同じ物を持つ喜びがこんなに嬉しく感じるなんて思っていなかったのだ。

 世の中のカップルがペアで何かを持ったりするが、少し気持ちがわかった気がした。


「浅木が選んでくれたの?」

「え?ま、まぁ……」


 少し視線を逸らす浅木に春人は怪訝に思った。


「……ごめん、これを売ってる店は小林に少し教えてもらった。でもこれを最終的にデザインを選んだのは俺だけどな」

「そうなんだ。どっちにしても嬉しいかな」


 満面な笑みで浅木を見つめる。

 浅木は春人に愛おしい目で見つめ、軽く唇にキスをした。


「……ずっと俺はお前のことを見てるから」

「浅木?」


 ふと浅木はそう言った。


「ずっとお前の事、想ってるから」


 再び浅木は春人にキスし、そのまま深い口づけが始まる。

 ゆっくりと春人をベッドに押し倒し、そのまま浅木は春人の上に乗った。


「ずっとお前のことが好きだから」

「あ、あさ……」


 名前を呼ぼうとする春人だが、再び唇を深く重ねられ、そのまま浅木に抱かれた。

 春人は浅木がするのをそのまま静かに受け止めるだけだった。






 携帯のアラームで春人は目を覚ました。

 上体を起こすが、ベッドには春人しかいなかった。

 室内はシンとして静まり返っている。

 嫌な予感がしたので慌ててベッドから出て、部屋を歩き回り浅木を探すが、どこにもいなかった。

 ふと、テーブルに一枚の紙が置いてあるのに気付く。

 慌ててそこへ近づき紙を取り見ると、一文が書かれていた。

“表の世界で、笑顔で生きることを願う”

 不安が一気に胸の中を渦巻き、春人は浅木に連絡した。

 何度もコールするが出る気配がない。

 留守番電話にもメッセージを残してみるが、何時間も時が過ぎても、折り返しの連絡、LINEのメッセージは一切なかった。

 既読すらならない。

 春人は愕然とし、その場を座り込んだ。

 浅木は春人のことを考え、繋がりを切ったのだ。

 昨夜言っていたことを思い出す。

“ずっとお前のことを想っているから”とか“ずっとお前のことを見ているから”と、まるで春人を宥めるようなことばかり言っていたのだ。

 やっぱり浅木は自分との関係を続ける気はなかったのだ。

 それは浅木が裏社会の人間だから。

 春人の目から涙が静かに流れていく。

 止まることなく涙が溢れ出る。

 浅木自身、別れの言葉を言えなかったのだ。

 別れは本人が望んだことじゃない。

 でも別れなければならない。

 どんなに気を遣って逢瀬を重ねたとしても、きっといつか誰かに知られ、春人が追い込まれることになる。

 それが一番浅木としては嫌だったのだと思う。

 理解しても簡単に納得なんてできない。


「……納得なんてできないけど……」


 それが浅木の最大限の優しさなのだ。

 ずっと涙を止めることができず、一日中春人は泣き続けた。




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