21:終わりは必ず来る

 


 久しぶりに春人の母親から連絡が入った。

 春人は一カ月振りに声を聞いた気がした。


『あのね、お父さんがね』


 母親は少し躊躇しながら話し出す。


『工場と土地を売ることにしたの』

『え……』


 春人は驚き、しばらく母親の話を黙って聞いていた。


『本当は工場を復活させたかったんだけど、契約していた会社がもう他のところで頼んでしまって、うちへの依頼が全くなくなってしまったの。それでもう工場を動かすことはできなくなってしまって、あの土地と工場を売って、別のところで住むことにしたわ』


 しばらく聞いていた春人だが、思わず声を挟む。


『止めるって、父さんはどこで働くの?』

『だいぶ体調も良くなって動けるようになったから、知り合いの工場で働かせもらえることになったのよ。』

『え、じゃあ借金は?』


 春人としては一番の問題だった。


『だからその土地と工場を売ると、三千万くらいになるみたいで、そのお金で今、あなたが頑張っている借金を一括で払うつもりよ。利子分含んでも大丈夫なはず』


 母親の話を聞いているうち、春人の中で何かが失望していた。

 この不安になる気持ちはなんだろう?

 母親は続けて話し始める。


『だから、父さんがそのヤクザ事務所まで行って、ケリをつけるなんて言ってたわよ』

『え?』


 ヤクザ事務所にケリをつけると言われ、春人は酷く動揺した。

 つまり、金を返済して全てを終わらせるということになる。

 それがどういう意味か春人はわかっていた。


『やっとあなたも自由になれるのよ、今までありがとうね』


 母親は嬉しそうに言うが、なぜだが春人は素直に喜べなかった。

 つまりもう、アキラの店に行く必要がなくなるのだ。

 それがどういう意味になるか、アキラや高崎にも会えなくなるが、それ以上に会えなくなる人がいる。


(浅木にもう会えなくなる)


 恋人同士になったのだから全く会えなくなるわけじゃない。

 春人が住んでいるアパートは、借金を返す前から住んでいた場所だし、そこで会えば良いことだ。

 けれどそう言い聞かせても春人の不安が拭えないのはなぜなんだろう。

 もう二度と浅木と会えなくなるかもしれないと、そう心の中で過るのだ。

 アキラがずっと言っていた言葉。

“どうあがいても借金取りと債務者の関係”

 借金を返済するまでその関係は続くとずっと言われ続けていた。

 ではその借金が無くなったら?

 浅木は恋人でもあるが生業はヤクザだ。

 それが全て二人の関係を固めてしまう。

 そして常に弊害になる。

 わかって、理解して付き合うことを決めたはずなのに、どうしてこんなにヤクザ業が憎くなるのだろう。

 それを仕事としてたから浅木と出会ったのだ。

 それでも納得できない気持ちに春人は苛まれた。






 暗い表情のまま、春人はアキラの店へと向かう。

 先ほど母親が話していた話をどう浅木に伝えるべきかと、ずっと思考しながら歩いていた。

 半年前の自分だったら、待ち望んでいた話だったのに、今はそれが逆になるなんて予想できなかった。

 悩むがいいが、でもまだその話が実行されたわけじゃない。

 売る予定なだけで、ちゃんと売ってお金を手にしたわけじゃない。


(何細かい言い訳を考えてるんだろう)


 頭の中が混乱し思わず頭を掻きむしる。

 話が確実になるまで待つべきだと思い、大きく息を吐きながら店へと向かった。






 なぜか今日に限って浅木はまだ店に来なかった。

 10時ぐらいには来るとLINEに入っていた気がするが、すでに10時30分になろうとしている。

 どこかの店でトラブルでもあったのだろうかと思うが、あまり気にせず仕事をしていると、ゆっくりと店の扉が開くのが見えた。


「いらっしゃいませ」


 春人はそう声掛けすると、浅木はゆっくりと店内へと入ろうとしていた。


「あ、浅木!お疲れ様」

「よお」


 小さく返答し、いつものようにカウンターの端へと座った。


「ビールでいい?」

「ああ」


 いつも笑顔で言う浅木の表情が暗い。

 気になって春人は浅木に尋ねた。


「どうしたの?元気がない気がする」

「ちょっと疲れてな。さっき見に行った店が丁度客同士が揉めててよ。キャバ嬢の取り合いしてた。自分の方がキャバ嬢に金を入れてるとか言いながらな」


 呆れた表情で薄く笑う浅木に春人は同情をした。


「大変だったね、お疲れさまです」

「だから今日、お前の部屋行ってもいいか?」


 浅木はニヤリと笑みを作りながら春人に尋ねる。

 その意味がどういうことか理解した春人は少し頬を赤らめた。


「癒して欲しいんだよな~」

「……いいよ」


 一言そう言って、春人は浅木が飲むビールの準備をしに行った。

 今日母親が言っていたことは今は浅木に言わなくてもいいだろうと思った。

 というか、まだ現実を見たくない。

 





 春人の母親から電話があって一カ月程してからだった。

 朝の10時頃、世山組の事務所にある初老の男が現れたのだ。

 驚いた小林は中年の男を見るや否や話しかけた。


「あんた確かハルさんとこの……」

「ハル?春人のことか?」


 小林は静かに頷いた。


「息子が世話になったみたいだな。金の目途が立ったから息子を解放してほしい」

「ちょっと待ってて下さい。担当の者を連れてくるので」


 そう言って、小林は慌てて二階に上がり浅木を探しに行く。

 丁度事務所の休憩室で、コーヒーを飲もうとしていたところだった。


「兄貴!」

「なんだよ、朝っぱらから」


 怪訝な顔で尋ねる浅木に小林は変わらず焦った顔で言う。


「……ハルさんの親父さんが来てます」

「は?ハルの親父さん?」


 驚いて飲みかけたコーヒーをテーブルに置き、慌てて一階へと行く。

 玄関先には初老の男が立っているのが見えた。


「ど、どうも……」


 思わず声を上擦らせながら浅木は挨拶をする。

 昔のイメージと違う浅木に初老の男、春人の父親は気味悪そうに見た。


「さっきそちらの人に言ったが、金の目途が立ったから借金を返したいんだが、どこへ振り込めばいい?」

「え……」


 浅木は予想外の展開に言葉が出て来なかった。


「すみませんがあんな大金、どうやって工面できたんですか?」


 当然の質問だった。

 何も知らない浅木からすれば、突然沸いた話だ。


「工場と土地を売ることにしたんだよ」

「え……」

「もう私の体力的に中心となって工場を切り盛りするのが無理でな。だからあそこを売ってその金を借金返済にしようと思って、不動産屋に相談したらそれなりの金で売れることがわかったから、その手続きが終わったからあんたのとこに来たんだよ」

「……ちなみにいくらくらいになったんですか?」


 浅木は思わず尋ねた。


「三千万くらい。場所的にもそれぐらいらしい。他の不動産屋にも聞いたら相場がそれくらいだと言われたんだ」

「……そうですか、確かにそれぐらいだと思います」


 浅木は工場の大きさと土地の広さを思い出しながら頷く。


「だから今すぐにでも金を払って、息子を助けたいんだよ」

「………」


 春人の父親の話を聞いて、確かにそれが正しい思いだと理解する。

 自分は倒れて知らなかった借金を勝手に息子が背負うことになったのだ。

 どれだけ申し訳なさを感じていただろう。

 おまけに工場が動かくなった瞬間から春人は無職で、ヤクザに言われるままバーの仕事をさせられていたのだ。

 当時の状況だったら春人もやっと解放されると喜んでいただろう。

 しかし今だったらどうだ?

 少なくとも浅木は離れたくない。

 春人もそうであって欲しいと思う。

 でもお互いそう思っていても世間はなんて思う?

 自分はいい。

 既に世間の意見なんか聞く立場じゃない。

 でも春人は?

 元々表の人間で、運命の狂わせで裏の世界に入り裏の世界に生きている浅木と出会って、深い関係になってしまった。

 浅木が良くても、春人からすれば周りはまず良く思わないだろう。

 噂さえるだろうし、下手したら再就職先にも噂が届いて退職させられるかもしれない。

 そう思うと個人だけの気持ちを優先するのは無理なんじゃないかと思えてくる。


「聞いてんのか、あんた」


 春人の父親の言葉に我に返る。


「す、すみません。わかりました。兄貴たちに話をしてくるので少し待っててもらえませんか?あと小林、隣の部屋で待っててもらえ」

「わかりました」


 言って小林は、こちらへどうぞと言いながら左にある扉へと案内する。

 部屋に入る瞬間、春人の父親はくるりと浅木の方へと顔を向けた。


「あんた、半年前と随分変わったな」

「え?」


 驚き浅木は春人の父親を見る。


「以前は随分な口の利き方をしていたのに、やけに丁寧に言うじゃないか?何かあったのか?」

「……いいえ」


 浅木はそれ以上何も言えず、二階へと歩いて行った。






 浅木が春人の働いている時間帯に珍しくレストランへ来たのだ。

 少し息を切らしながら現れたところを見ると、慌てて来たのがわかる。

 しかしなぜか浮かない表情だった。


「浅木!」


 驚き春人は思わず声を出してしまった。


「……仕事終わったらすぐ来てくれ。外で待ってるわ」


 そう言い残し、外へ出て行く。

 春人は驚きのあまりそのまま見送ってしまったが、一抹の不安を覚えた。






 レストランの仕事を終え、春人は後片付けを終わらせ慌てて外に出た。

 階段の下まで降りると、煙草を吸いながら浅木は春人が来るのを待っていた。

 やっぱり気のせいではなかった。

 浅木の表情が浮かない。


「どうしたの?何かあった?」


 暗い表情のままジッと浅木は春人を見つめるが、静かに話し始めた。


「今日、お前の親父さんが事務所に来てな、借金、全て利息込みで払えるって言ってきた」

「え……」


 もう工場の売却の話は終わっていたのかと思うと、春人は言葉をなくす。


「工場と土地を売ったらしいな。ハル、お前知ってたか?」


 そう言われ嘘をつくことができなかった春人は静かに頷いた。


「一カ月前に母から連絡があって、売る話があるってことは聞いていた」

「知ってたのかよ」


 少しショックを受けた顔をする浅木に春人は、なぜか申し訳ない気持ちになる。


「売るみたいだって話だけ。いつ売るとかは全然知らなかった」

「……そうか。今日はどこに振り込めばいいって聞いてきて、振込先を教えたけど……」


 そう言い少し黙る。

 春人は浅木の気持ちを気遣いながら言葉を待つ。


「金を振り込んだら、お前を……解放してくれって」

「………」


 浅木の話を聞いて春人は黙り込んだ。


「よかったな、やっとこの仕事から離れられるじゃねぇか」


 作り笑顔で言うが、どこか突き放すような言い方に春人は少し悲しくなった。


「そんな言い方しないでよ」

「だって本当だろうが?」


 傷ついた目で見られ、春人はどう言ったら良いか悩みながら口にする。


「アキラさんの店を辞めたとしても、また浅木とは会えるでしょ?」


 問いかけるように尋ねるが、浅木は何も言わない。


「借金を返せたとしても俺たちの関係は変わらないよね?」

「………ああ」


 返事はするが、どこか上の空だ。


「俺、一旦事務所に戻るから、お前は休憩してアキラさんの店に行けよ。あと、まだ正式に金を貰ってるわけじゃないから、まだアキラさんに言うのは止めておいてくれ」

「……わかったよ」


 そう言って浅木は春人に背を向け歩いて行く。

 その姿がいつもより寂しそうに見え、春人はぐっと胸を締め付けられた。




 


 借金の振り込みが終わったという話を春人は浅木からではなく、父親から直接電話で知った。


『すまなかったな。お前に随分迷惑をかけてしまった……』


 少し泣いているのだろうか、すすり泣く声も聞こえる。

 複雑な気持ちを抱えたまま、春人は父親に言った。


『大丈夫だよ。なんとかやってこれたし、バーの店長さんたちはみんな優しくて助けてくれたから……』


 そう言いながら春人は当時の思い出に振り返っていた。

 浅木のアドバイスがあったから、ここまで来れたのだ。


『そうか、そう聞いて安心したよ。キツイ仕事をやらされてるんじゃないかって心配だったんだ。よく聞くだろう?借金返済でマグロ漁船に乗せられるとかな』


 春人とはふふと笑みを作り答える。


『そうだね、俺も最初思ってた』


 初めて事務所に連れてかれて、色々最悪なことを考えていた。

 あの頃が酷く懐かしく感じる。

 全ては思い出になっていくのかと思うと、苦しくなって泣きそうになった。


『これでもう大丈夫だ。お前に借金はなくなった。自由の身だ』

『……うん』


 感謝すべきことなのに、父親にありがとうと言えずにいる。

 でも言わなければ父親の思いが無駄になってしまう。


『ありがとう』


 飾りのような感謝の言葉を口にしたが、春人の中ではまだモヤがかかったような気持ちのままだった。






 開店しカウンター席のテーブルを春人が拭いていると、浅木がゆっくりとした足取りで店内へと入ってきた。

 二人は目が合うと、何も言わないがお互い何を言い出したいか理解できた。

 今日あった出来事。

 借金返済。

 全てが終わったということだった。


「……俺からアキラさんに言うから、ハルは黙っていてくれ」

「うん……」


 静かに浅木を見つめながら頷く。

 すると誰かがきた気配で気が付いたアキラが、スタッフルームから出てきた。


「あら、今日は早いのね」

「ちょっと話があってさ」


 言いながら浅木はカウンター席の椅子に座りながら話し始めた。


「実はさ、ハルの親父さんが抱えてた借金、全額返済したんだ」

「え?」


 突然の予想していなかった話にアキラは目を見開いた。


「あの金額をもう返済できたっていうの?どうやって?」

「工場と土地を売ったらしい。それで利息入れても払える金額だったから一気に」

「そうだったの……良かったじゃない!ハルちゃん!」


 アキラは満面な笑みで言うが、春人のぎこちない笑顔に怪訝に思った。


「どうしたの?嬉しくないの?」

「……嬉しいです。重荷がなくなったんですから。でも……アキラさんや高崎さんたちと会えなくなるし……」


 そう言いかけ視線は浅木の方へと送る。

 視線に気が付き浅木も春人を見つめた。

 お互いの見つめ合いでアキラは全てを悟った。


「……彼に会えなくなるのが辛いってことね」


 そうはっきり言うアキラに抵抗するかのように春人は言い返した。


「でも会えますよ!だってアパートは変わる気はないので、そこで会えばいいし」

「………」


 しかし浅木は何も言わない。

 その様子を見てアキラも少し援護した言葉を投げた。


「そうね、アパート内だったら誰にも見られないし、二人っきりで過ごせるしね」


 そうは言ってもこれはアキラの本音じゃなかった。

 浅木が何も言わないということは、どこかで浅木が関係を続けるか迷っているのだ。

 当然自分の立場が春人の関係の壁になっていること。

 ずっとアキラが春人に言い続けた言葉だ。

 どうあがいても浅木はヤクザだということ。

 彼といることで春人にマイナスとして影響があるんじゃないかってことだ。

 何よりもそれをずっと浅木は恐れている。

 病院ですら正式なところには行かず、一部の人しか知らない闇医者へ行ったくらいだ。


「とにかく、ハルちゃんのことわかったわ。寂しくなるわね」

「はい。本当に色々助けていただきありがとうございました」


 目に涙をうっすらと浮かべ春人は言った。


「楽しかったわ。最初は本当に暗い表情のままだったから心配してたけど、途中から元気になってきて嬉しかったわね」

「……そうですね」


 目を少し擦りながら春人は返事をした。


「それも……彼のおかげかしらね?」


 ちらりとアキラは浅木に目配せをし、浅木は驚いた表情になった。


「え?そ、そうですかね」

「そうよ、あなたのおかげでハルちゃんはここまで頑張ってこれた。感謝してるわ」

「アキラさん……」

「あなたがいたからハルちゃんは色んなことに自信を持って、あなたのことを大事に思うようになった。肩書も性別関係なくね」

「………」


 アキラの言葉に浅木は胸が熱くなる思いだった。


「あなたにとってハルちゃんはどんな存在なの?」


 問いかけられ浅木は真っすぐ春人を見て言った。


「同じです。誰よりも大事な存在です。俺に人を好きになることを教えてくれた、大事な存在です」


 浅木の言葉にアキラはゆっくりと頷き言った。


「そう、だったらこれからもその気持ちを大事にしていきなさい。その思いでハルちゃんに接しなさい」

「………」


 アキラが言わんとすることが少しだけ浅木は理解できた。

 これからのこと、あとは浅木が答えを出す番だと言うことだった。




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