15:不安な気持ちと願い



 試験的な付き合いが始まって一カ月が経った。

 恋人としての段階はまだハグまでだ。

 ほぼ毎日、浅木が店に行ける時は手を繋いだり、抱きしめることはしていた。

 いつも春人は大人しくして、浅木がすることを静かに受け止めている感じがするが、嫌がってはいないような気はする。

 それもあって浅木はかなり慎重に見ているのか、かなりゆっくりめに関係を進めようとしている。

 確かにそうなって当たり前だと思った。

 春人はノンケだ。だから浅木は少しずつ自分の耐性をつけていきたいのだ。

 初日で手も繋いでしまったし、ハグもしてしまった。

 となると、次は………。


(キスだよな………)


 事務所で電話番をしている最中、そんなことを浅木は考えていた。


(でも男にキスするって春人からすればハードル高くねぇか?)


 そう思いながら、ボールペンでメモ用紙に円をぐるぐると書き出す。


(頬とかおでこから始めてみるか?)


 思考しながら浅木はメモ用紙に更に四角や三角を描き出す。


(唇はやっぱまだ早いよな……)


 ボールペンの先を描いた落書きの上に落とす。


(でも手とか抱きしめたりする時、なんか静かなんだよなぁ~我慢してるってことなのか?)


 色んな思いがひしめき合い、浅木の頭はいっぱいになっていく。


(考えてても仕方ねえんだけど………)


 散々書いたメモ用紙を丸めてゴミ箱へと捨てた。

 一つ大きな溜息を吐くと、兄貴と声をかけられた。


「小林」


 小林はいつの間にか部屋に入って浅木の隣に立っていたのだった。


「疲れてます?電話番変わりましょうか?」

「あ……まぁ大丈夫だ」

「もうじき次の電話番が来ると思いますよう。そしたら交代しましょう」

「そうだな」


 そういう浅木の隣に小林は一緒に座る。

 しばらく雑談をしつつ、次の電話番が来るのを待っている矢先、ふと小林がぼやくように話始めた。


「そういえば、名古屋へ今度本家が行くみたいですよ」

「え?そうなのか?」


 浅木は一瞬にして眉間に皺を寄せた。


「兄貴たちが噂していて、そうなると俺ら下っ端も兵隊として行かされることになるかもしれないですね」

「……そうか」


 真剣な眼差しをする浅木に小林は心配そうに尋ねた。


「ドンパチっすかね?」

「……それはないと思う。そんなことをしてもなんの得もねぇし」

「じゃあなんでなんすかね?」


 再度尋ねられ浅木は少し考えた。

 おそらく今の極道世界が継続していくのが難しくなっている。

 お互い助け合いながら共存し、付き合っていく話し合いとかをするのではないかと感じていた。


「まぁ細かいことは上が決めることだ。俺らは親が言うことを黙って従うだけだ」

「………そうっすね」


 そう小林と話していると別の組員の二人が室内へと入ってくる。


「交代します」

「お願いします」


 頷き浅木は椅子から立ち上がり、小林と共に外へと出た。

 タバコを吸いにぶらりと事務所から近い公園へと向かい始めた。


「そういえば兄貴、あの人とどうなんすか?」

「あの人?」


 聞かれて浅木はポカンとする。


「あの人って誰だよ?」

「……長谷部さんっすよ」


 名前を出されて浅木は一瞬言葉を失った。


「あ、何だよ」


 少し動揺しているように見えて、小林は少し笑った。


「一時期俺にあの店押し付けて逃げてましたけど、無事、何にかの問題が解決できたんですね?」

「………」


 黙ってそれ以上言わないことを見て、小林は納得した。

 しばらく浅木が春人に固執していたので、まさかとは思っていた。

 実は小林は浅木の性癖を知っている。

 知っていると言うか、偶然知ってしまったというのが正しい。

 小林が世山組の組員になってからしばらくして、夜中に小林が繁華街辺りをぶらついていた時だった。

 偶然ホテル街近くを歩いていた時、浅木がイケメンの若い男と、いちゃつきながらホテルから出て来る場面を目撃してしまったことがあった。

 最初は見間違えかと思っていたが、見つからない程度の距離で再度見直したが、やはり浅木だったし声も本人で、愕然としたのだ。

 尋ねるのが怖かったが、浅木がアキラの店のケチモチ担当になると言った時に、なぜ自ら志願したのか気になって、思いっきって本人にホテル街の話をした途端、すっと表情が変わり本気で怖い顔をして脅されたのだ。


「他の組員に話したか?」


 詰め寄られ、小林は浅木の迫力に押された感じはあったが、必死な声で返した。


「話してません」

「絶対話すんじゃねぇぞ?」

「わかってます。絶対言いません」


 しばらく睨まれ疑われていたが、小林は浅木の性癖は話さなかった。

 同性愛者だったとしても、浅木の人間性や喧嘩の強さを尊敬していたので、性癖とは関係なく兄貴分として小林は浅木の傍にいたのだ。

 しかし今まで見てきた浅木は、付き合うではなく、適当に相手を見つけて遊んでいる印象が強かった。

 相手の為に動くとか、そういう繊細さは全くなかったのに、春人が現れてしばらくしてから、少しずつ態度が変わっていったのだ。

 最初はなぜそんなにアキラの店へ行くのだろうとしか思えなかったが、河和田組の襲来があった時に全てを悟ったのだ。

 浅木は春人のことが好きなのだと。

 彼を闇医者へ連れて行く時の浅木の必死な顔は、三年間一緒にいて見たことがなかった。

 無言になる浅木に小林は更に質問をしたくなった。


「闇医者に行ってから、なんだか兄貴、浮かれてる感じがするから………」

「うるせぇ」


 静かに遮る。でも嫌がっている感じはしなかった。


「……今は静かに見守っててくれ。答えが出たら言うかもしれねぇから」

「わかりました」


 頬を赤らめている兄貴分に小林はほくそ笑む。

 どうやら浅木に遅めの春が来ているのは確かだった。

 





『どう、元気してるの?』


 春人が店に行く前、突然母親から電話がかかってきた。

 久しぶりの電話に春人は驚きつつも、ホッとする気持ちもあった。


『元気だよ、なんとか。母さんは?』

『私は大丈夫。父さんが少しずつだけど、色々と動けるようになったからちょっと安心しはいるわ』

『そうなんだ、よかったね』


 父親の体調を仕事の都合でなかなか見に行けることができず、母親からの連絡等で知ることしかできなかったが、聞く話ではなかなか体調が元に戻らずにいたのだ。

 ようやく光が少し見えた感じがして、春人は安堵した。


『梨絵は?』


 春人は妹の心配をした。

 梨絵も今働いているお金を少しだけ借金の足しにしているのだ。

 母親も短い時間ではあるが、パートをしている。

 三人必死で働いて、生きる為と借金の為に頑張っていた。


『梨絵は大丈夫よ。それよりあんたのことを心配してたわ』

『え?』


 春人はなぜ心配されているのかわからず戸惑う。


『どうして心配してるんだ?』

『そりゃあ、あなたがしている仕事がヤクザからの紹介だからじゃないの?』


 言われてそうかと納得した。

 確かにそう思われても仕方ないと思う。


『大丈夫だよ、なんとかやっていけてるから』

『そうなのね。本当最初は心配で何をされるのか私たち心配だったのよ』

『………そうだよね』


 ぎこちなく返答する春人は、実はまだ本当の仕事内容を母親には伝えていない。

 理解できるかもわからなかったし、ただ給料のいいバーで働いているとしか言っていなかった。


『まぁ、あんたが元気そうで何よりだわ。また暇が出来たら顔を見せに来てよ』

『うん、ありがとう。また行くよ』


 そう言って携帯を切った。

 親には絶対言えない。ましてやこれがきっかけでヤクザと仲良く………別の意味でも仲良くなりかけていることも言えるわけがなかった。

 とにかく今は現実に、色んなことを頑張っていくしかないと思い、春人は自室を出た。






 急にLINEの通知が来たので慌てて確認をする。

“今日は他の店周るから、1時頃に店に行くわ。少し話しようぜ”

 浅木からのメッセージだった。

 先ほど母親から電話があった矢先にこのLINEは、少し複雑だ。

 そんな気持ちを抱えつつ、春人は“わかった。待ってるよ”と返信する。

 なんだかこういうやりとりがくすぐったくなる。

 仮とはいえ付き合っているのだから、こういうやりとりがあってもおかしくはないが、今までにはない動きに、変な戸惑いがあるのだ。

 花見に行く前に連絡先は交換したが、特にやりとりがあったわけでもなかったし、あったとしても仕事についてだけだった。

 それも一カ月に一、二度程度。

 だが現在、アキラの店以外、店周りがあっても浅木はほぼ毎日会いに来る。

 春人が休みの日は流石に遠慮しているみたいだが、休みの日はLINEや電話がかかってくるのだ。

 とにかく毎日春人と触れ合っていたい。

 そういう想いがあるのか、毎日なんだかんだと浅木漬けになっていた。


(浅木ってちょっと可愛いというか、面白いかな)


 思わずふふっと一人で笑ってしまい、そっと携帯を自分用のバックに入れた。

 笑顔になってスタッフルームから出てくる春人に思わずアキラは声をかける。


「何ハルちゃん。楽しそうね?」

「あ……すみません」


 春人は思わず謝った。


「別に謝ることじゃないわ。楽しそうで何よりよ!」


 笑顔で言うアキラに、春人は少し後ろめたさを実は感じていた。

 散々浅木との関係は距離を持つよう言われたのに、今はかなり近い距離になっている。

 おまけにそうなりたいと申し出たのは自分だ。

 あの時の春人は浅木の色んなことを知ったことで、更に知りたくなったし、もっと近くにいたいという気持ちが芽生え、試験的な付き合いをしたいと言ったのだが、もうアキラに止められても春人の気持ちが言うことを効かない。

 春人自身が望んだことなのだ。

 第三者に言われたところで、春人の気持ちは変わることはなかった。

 だからこそ申し訳ないと思っていた。

 もうアキラの言葉を聞き入れる気持ちがないということ。

 そう決めた以上、春人は腹を括る覚悟を持たなければならなかった。

 自分が選んだ相手なのだから、もし、何かあっても自分で責任を取るということ。

 今後、何が起きるのかわからないが、今はただ浅木の関係をちゃんと考えようという気持ちしかなかった。


「開店準備しましょうか?」


 春人はアキラに尋ねた。


「そうね、よろしくね」

「はい」


 ふっと笑みを作りながら春人は返事をし、そしていつもの準備に取り掛かり始めた。






 1時になると浅木は慌ててドアを開け入ってきた。


「あ、浅木さん!」

「よ、よお。間に合ったな」


 息を切らしながら来る浅木に春人は優しく笑む。

 浅木の様子を呆れた表情でアキラは口を挟んだ。


「何が間に合ったのよ?お店、今日の営業は終わったわよ。今日のケツモチのお仕事はなしね」


 やや皮肉っぽくアキラは言った。


「あ……そうだな?明日は来るから」

「そうね、お願いします」


 アキラはそう返事をすると、カウンター内の掃除を始めた。

 浅木はちらりとアキラを一瞥し、そして軽く頭を下げた。

 そして春人の方へと近づく。


「今日、ちょっと話がある。お前の部屋に入ってもいいか?」


 囁く声で言われ、春人はドキッと心臓が高鳴った。


「あ……部屋ですか?」

「そう、ちょっと大事なことだ」


 少し真剣な表情の浅木に、春人はふと本当に大事な話なのだと理解する。


「わかりました。早く片付け終わらせます」

「俺も手伝うわ」


 二人は慌ただしく店じまいの手伝いを始めたのだった。

 表情が真剣でそして硬さを感じた春人は、もしかして浅木の仕事関係で何かがあったのだろかと、少し予測する。

 勘違いであればいいけど、少しだけ春人は不安な思いが過った。




「実は……来週名古屋に行くことになった」


 急に浅木は春人の部屋で向かい合うように座るや否や、そう口を開いた。


「え?名古屋!?」

「ああ、名古屋の組の奴らと話合いをするために、俺ら末端組織の組員も出ることになったんだ。まぁ全員じゃねぇけど、他の兄貴たちと俺と。親父の命令だからよ」


 春人の予感は的中した。

 やはり仕事関係のことだったのだ。

 それでも名古屋のヤクザと話合いって、本当に話合いだけで済むのだろうかと不安になる。


「浅木さんは付いていって何をするんですか?」


 不安げな眼差しで言う春人に浅木は少し笑った。


「なんて顔してんだよ。そんな顔すんな。俺らは親父の身を守る為に行くんだよ」

「身を守るって……それって抗争するんですか?」

「いや、親父含め、上の人たちは本当にただの話合いをするだけなんだけど、それをよく思わない輩もいるから、そいつらから親父たちを守る為に付いていくんだよ。最初からやり合うことが目的じゃねぇよ」


 春人を安心させようと話すが、あまり春人の不安はぬぐい切れていない。


「でも確実に安全に話合いが終わるわけじゃないんですよね?」

「仕方ねぇよな、そればっかりは。ただ、楯突けばその輩も今後どうなるかわかってるはずだから、よっぽどのことがない限り大丈夫だと思うけど」


 宥めようと浅木は春人に言い聞かせるが、春人の表情は暗いままだ。


「いつまで行くんですか?」

「一週間くらいかな」

「一週間………」

「だからその間、小林はこっちに残るからアキラさんの店は小林に任せようと思って。今回はちゃんと毎日、1時までいるよう言っておいたからよ」


 浅木はそう言って、優しく春人の頬を掌で撫で、春人の不安げな表情を晴らそうそしていた。


「抗争になったら、銃とかドスとか出て来るんでしょ?」

「……お前、どこからそんなこと知ったんだよ」

「今はネットで調べればいくらでもでてきますよ」

「常にお前はそんなこと調べてんのかよ?」


 呆れた表情で言う浅木に春人は少しムキになって言い返した。


「前に調べたんです!ヤクザの人たちってどんな感じなのかって思って。そしたら色々武器が出てきたから……」


 再び不安な顔に春人はなる。

 一つ溜息を吐いた浅木は、春人を自分の元へと抱き込んだ。

 驚いた春人は思わず変な声が出る。


「わっ!」

「これは俺らのやる仕事だ。お前が心配してくれるのはスゲー嬉しいけど、これが俺らの世界なんだ」


 抱きしめられた春人は黙っていることしかできなかった。

 確かにそうだ。

 組は一つの家族として例える。組長は親で浅木たちは子。

 親の命令は絶対の世界で、親が黒と言ったら黒であり、白とは絶対言えない世界だと聞かされたことがある。

 だから浅木は例え危険かもしれなくても行かなければならない。

 親から指名された以上、行かない選択はない。

 浅木の胸元で、うんと静かに春人はようやく頷く。

 その様子に浅木はホッとし、春人を離した。


「ごめんな。行く前日になったらちょっとお前にお願したいことがあるから、それまで待っててくれ」

「……わかりました」


 春人は静かに頷きはするが、それでも表情が暗い。

 その表情に浅木は苦笑するが理解してもらうしかない。


「ごめん、悪かったな。遅くにすまなかった」

「いいえ、大丈夫です」


 俯きながら言う春人に浅木はどうしたら笑ってくれるか思考する。


「じゃあ大丈夫なら、俺に何かしてくれよ」

「え?は、はあ?」


 急に変なことを言う浅木に春人は思わず慄いた。


「大丈夫なら俺に何かする元気あるだろうから、何か……ね?」


 じっと見つめてくる浅木に春人は戸惑いながら見つめ返す。

 見つめ合いながら浅木は少しずつ春人の顔に自分の顔を近づけようとした。

 春人の瞳は激しく動くが、逃げることはない。

 ゆっくりと浅木の手が春人の頬に触れようとしている。

 触れるか触れないまで来た時、春人は思わず目を背けた。

 その姿を見た瞬間、やっぱりまだダメなんだと浅木は悟り、すっと手を離した。


「嘘だよ、ごめん」

「………」


 言って春人の顔を確認するが、真っ赤に染めているだけまだ救いなのかもしれない。


「ごめんなさい、俺……」

「いいって。わざとだからよ」


 優しく笑いながら浅木は春人の髪を撫でる。

 そのしぐさに春人は少しドキッとしつつも浅木が部屋を去る姿を見る。

 一緒に玄関までついて行くと、くるっと春人の方へと振り向き言った。


「とにかく心配するなよ」

「……わかりました、信じます」

「おう」


 笑みを作り浅木は春人の部屋を出て行った。

 浅木の前ではそう言いはしたが、やはり完全には不安を拭いきれず、不安な表情になったまま浴室へと入って行った。






 浅木から名古屋に行くと言われてから、スマホで色々とヤクザ絡みを毎日検索していた。

 見ると、どこどこ会の幹部〇〇が△△を襲撃とか、撃ち殺した等の決して穏やかではない文言が出てくるのを見ると、再び不安が押し寄せてきた。

 春人が何かしかたからって浅木が無事なんて確証はないが、それでも情報だけでも知っておいて損はないんじゃないかと思い、ついつい検索してしまうのだ。

 スマホを自室の机に置きながら大きく溜息を吐く。

 こんな気持ちで一週間、浅木が帰ってくるのを待たないといけないのか?

 仕方ないとわかっていても、春人は浅木に何かできることはないだろうかと悩んだ。

 お守りとか買ってきて渡すとか。

 買うはいいが、何のお守りを買えばいい?

 必勝祈願?勝つって何に対して勝つのか?

 これではまるで、ドンパチやりに行くことが前提みたいで更に春人は困惑する。

 浅木は、上との話合いの為に行くのだと言っていた。

 だから喧嘩をするわけじゃないと。

 そう聞いていてもどうしてこんなに不安でいっぱいになるのだろうか?

 春人の身近にヤクザなんていない。いない人の方が大半だろう。

 だから具体的なことはわからないし、だからこそ不安になっているのだと思う。


(神社にでも行って、無事帰ってきますようにってお願いしてこうようか?)


 そんなことを考えていると、あっという間に時間は夕方4時になっていた。


「あ、店に行かないと!」


 慌てて準備し、春人はアパートを出た。






「高崎さん、ヤクザの世界って詳しいですか?」


 高崎が好きな酒を出しながら春人は思わず質問する。

 丁度アキラは注文を聞きに行った後、馴染みの客と話し込んでいたので、チャンスだと思い、思い切って聞いてみたのだ。

 驚いた高崎は春人とをまじまじと見つめる。


「珍しいこと聞いてくるね?何、チンピラとなんかあった?」


 高崎はいつも浅木との関係を尋ねてくる。

 確かに気になるとこではあるんだろけど、今回はあまりそれについて話したくなかった。


「な、何もないですよ。もし何か知っていることがあれば教えて欲しいなぁ~なんて思たんです」

「なんだ~そうだなぁ?俺は普通の人間だけど、以前元ヤクザってやつと話したことあるよ」

「そうなんですか!?ヤクザっていつも抗争とかするんですか?」

「は?いや、そこは知らないけどまぁ、お家騒動的なことは昔、ちょくちょくあったみたいだよ」


 春人の口から抗争なんて物騒な言葉が出てきたので、高崎は少々面食らう。

 いったいあのチンピラと何があったのだろうと、思わず思考した。


「最近は少ないんですか?」

「ああ、みたいだね。色々お互いの立場とか世間とかあるみたいで、大ぴらにできるものでもないらしいよ」

「……そうなんですか」


 そう言ったまま、急に春人は表情が暗くなった。

 春人の情緒が安定していないのはやはりチンピラのせいなのだろうか?

 そう高崎が思考していると、黒スーツ姿の浅木がふらりと現れた。


「どうも、お疲れさまです」

「あ、浅木さん。こんばんは」


 暗い表情から少し明るくなった春人は、浅木へと向かって話かける。

 完全に春人は浅木と会話したくて仕方ない感じだった。


(俺の考えが当たっていればだけど……)


 残された高崎はそう一人思う。


(もしかしてハルちゃんって……このチンピラのこと……)


 そう思うがどうしても高崎の中でしっくりこない。

 だって春人はノンケなのだ。異性愛者だ。

 浅木を好きになるわけがない。そう思うのだが、どうしても今の二人を見ているとそうは思えなかった。

 以前の春人はここまで浅木に対して、心を開いていなかったと思う。

 けれど最近の春人は浅木にべったりだ。

 時々アキラからも愚痴を零されたこともあった。

“最近のハルちゃんが浅木さんのことばかりかまっているように見える”と。

 アキラからすれば、堅気がヤクザと仲良くなるのが不安なのだろうが、高崎の予想からすれば自分の常識が覆されそうで、気持ちが複雑になる。

 自分が思っていた常識がなくなるかもしれないということだ。

 もし高崎の考えが正しかったら、春人の心を捕らえた浅木の魅力っていったいなんだろうと思わずにはいられなかった。

 正直高崎からして浅木はタイプじゃない。

 完全にタイプなのは春人のように、普通で素朴な感じの子が好きだ。

 だから全く理解できず、ノンケの春人が惹かれるって何があったんだろうと思って当然だと思う。

 カウンターから二人のやり取りを傍で見つつ思う。

 二人はもしかしてできているんじゃないかと。

   





「この前の話なんだけどよ」


 浅木から切り出された話は、三日前に聞いた名古屋へ行く話だろう。

 春人の表情がすうっと重い表情になる。


「明日行くことになったから、今日、少しだけお前の部屋へ行っていいか?」

「……はい」

「悪いな。ちょっと預かって欲しいものもあってさ」

「預かる?」


 不意に言われ春人はきょとんとした。


「まぁ、店が終わってからな」


 ポンポンと春人の肩を叩き、少しだけビールを口にする。

 いったい何を渡されるのかと想像すると、春人は泣きたい気持ちになってしまっていた。






 店も終わり二人で春人の自室へと向かう。

 帰る途中、珍しく春人から手を握られ浅木は少々焦る気持ちになった。


(いったいなんでこんな風にハルは積極的になってんだ?)


 しかし手を繋がれても春人の顔が浮かない。

 また悪い想像でもしているのかと思うと、重く溜息を吐く。


(まぁ想像できない世界だから不安になるのもわかるけど)


 そう思いながら手を繋ぎ、春人の自室へと入って行った。





「これ、預かっておいて」


 言われて渡された物は浅木の携帯だった。

 驚き春人は思わず尋ねた。


「え、携帯?」

「ああ、もしかして俺の携帯が向こうで拾われたりしたら色々情報が洩れるとヤバいからな。信頼してるお前に預けるんだよ」


 そう言い渡された携帯を春人は大切に受け取る。

 信頼していてくれることもすごく春人は嬉しく思い、春人は少し安心した。

 もしかして遺言状のような、手紙みたいな物を渡されるのかと想像していたのだ。

 相当自分がマイナス的なことばかり考えすぎてたことが恥ずかしくなる。


「でも他の組の人たちとどうやって連絡するんですか?俺とは……」


 言いかけたが浅木は遮るように口を開く。


「春人には連絡しない。したらお前のこともバレるしな。組の連中とはプリペイド携帯を使うから大丈夫だ」

「……そうなんですね」


 自分とは一週間連絡できないと知り更に不安と寂しさが募った。


「俺らのことでお前や他の奴らを巻き添えるわけにはいかねぇから」


 ぽんっと肩を叩かれ春人はぐっと胸にきた。

 今にも泣きたい気持ちを必死に抑えているが、きっと浅木にはバレていると思う。

 浅木の表情からしても複雑な表情になっている。


「一週間ぐらいだけどよ、頼むな、携帯と店と。あと……」


 言いかけて浅木は少しだけ止まる。


「お試しの付き合いの結果のことも考えておいてくれ」

「え?」


 そう言われて春人は驚いた。

 浅木が帰ってくる頃が丁度二カ月になるのだ。

 試験的の付き合い期間は二カ月。

 急に現実を目の当たりにした春人は少しドギマギした。


「お前、忘れてたな?」

「……忘れてないです」

「いいや、忘れてた」

「わ、忘れてなんか……」


 笑いながらそう浅木に言いかけたとき、浅木が真剣な表情で春人を見ていた。

 春人とも笑顔から真剣な表情へと変わる。


「忘れてないです………だから」


 春人はそう言いながら浅木の前まで立ち、浅木を見つめながら言った。


「絶対、無事に帰って来て下さい」


 すっと浅木の顔へ近づき軽く背伸びしながら浅木の唇と自分の唇を重ねた。

 触れるだけのキスを、春人としては祈願としたのだ。

 浅木が無事帰って来られますようにと。

 驚いた浅木は金縛りにあったかのように何も動けず、ただ春人の顔を見つめることしかできなかった。

 唇が離れた瞬間、ようやく浅木は動けるようになる。


「ハ、ハル……」


 ずっと待ち望んでいたキスがまさか春人から来るとは思わなかったが、ちょっと自分が思っていたイメージとは違ったので、少し不満が残り色々と複雑になるが、


「……絶対無事に帰ってきて下さい」


 本気で心配している春人を見ると、一旦その気持ちは心の奥底に閉まっておくことが良いと思い黙ることにした。

 こんなに思っていてくれたなんて、浅木は少しずつ嬉しさが沸き上がってくる


「……ハル、わかった」


 そう春人の名前を口にしながら浅木は春人を抱き込むと、春人も静かに抱きしめ返した。


「待ってますね」


 しばらく春人を抱きしめたまま、浅木はこのまま死んでもいいとまで思うほど、幸せを噛みしめていた。

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