14:初々しく
店内でお客さんたちが楽しく飲んだり会話している中、春人と浅木は静かにお互いの仕事をしていた。
春人はカウンター内で皿を洗ったり、調理済みの肉じゃがを盛ったりして準備をする。
浅木はカウンターの端っこでビールを飲みつつ、店内を見渡している。
時々浅木はちらりと春人を見るので、春人は恥ずかしくて顔を逸らす。
そんなやり取りを深夜一時まで続くことになった。
「さて終わったわね。店を閉めましょう!」
アキラの声で春人、浅木は動き出した。
カウンターを出て椅子を片付ける春人に浅木が近寄る。
「俺やるわ」
春人はいちいち浅木の動きに動揺し、ありがとうございますと言いながら別の仕事を始めた。
なんだろう、なぜこんなに浅木の近くにいると緊張するのか。そしてこんなにドキドキするのか?
今まで何もなかったのに、どうしてこんなに意識してしまうのか。
ただただ春人の胸の中で騒ぎが収まらなかった。
店が開店する前、浅木が急に試験的の付き合いを了解したことで、色々と春人の意識が変わったような気がした。
まずは向こうから付き合おうと言われて春人は驚いたのだ。
「でも、なぜですか?この前は嫌だって言ってたのに……」
「……なんていうか」
珍しく赤面しながら浅木は言った。
「さっきあの女と一緒にいてるのを見たら……なんていうか……」
「………」
春人は浅木の言葉を待った。
「お前を取られたくないって思って……」
「え……」
浅木の嫉妬心で関係を変えたいと思ったことに、春人は少し笑みを浮かべた。
「そ、そうなんですね」
「だから、その、どうなるかわらねぇけど、お試しで付き合ってみてもいいんじゃねぇかって思ったんだよ」
今まで冷静だと思っていた浅木が、感情的に行動するとは、春人は嬉しさが更に増した。
「わかりました……それじゃあこれから、とりあえず二ヶ月間付き合ってみましょう」
自分から言うのがこんなに照れくさいのかと、春人は実感する。
「わかった。二ヶ月な」
浅木はすっと春人の方へと向き直る。
「店に行くか?」
「は、はい」
すっかり春人は沙希のことも忘れ、今後の浅木への関係のことを考えながら、二人並んで歩き店へ行ったのだが。
まさかここまで意識されるとは思っていなかったので、視線を送られると堪らなく恥ずかしくなるし、どういう態度をとっていいかわからず、春人はただ困惑するばかりだった。
店を出てアキラと別れると、二人並んで歩き出す。
黙って歩いていると、浅木は春人の近くに寄り添い、すっと春人の手を握り出した。
驚き春人は思わず浅木を見た。
「あ、浅木さん!人が見てるかも………」
しかし浅木は動じることなくさらりと言う。
「大丈夫だって。ここは同性愛者が集う場所なんだぜ?手を繋いだって何もおかしくねぇんだよ。それに」
浅木は続けて言う。
「お前、試してみたいって言ってたじゃねぇか。俺とどこまで触れ合えるのかって」
「そ、そうですけど………」
「仮とはいえ、恋人同士なんだ。恋人繋ぎしてみようぜ」
言いながら指を絡め合うように、春人の掌と自身の掌を握りだした。
春人は心臓の鼓動が堪らなく高鳴り出した。
恥ずかしさと緊張で春人の心が戸惑うばかりだ。
「いいもんだな、こういうの」
浅木はそう言って繋がれているお互いの手を軽く振りながら、見つめた。
珍しく浅木も少し緊張しているのが表情に表れていた。
「浅木さんならこんなの慣れてるんじゃないですか?」
少し意地悪に春人は言ってみるが、浅木はぎこちなく答えた。
「別に慣れてねぇよ。こんなふうにちゃんと付き合ったことねぇし」
「え?どういうことですか?」
信じられないことを口にするので春人は問い質さずにはいられなかった。
「つまり……セフレの関係しかしなかったから」
「せ、せふれ……」
「だから、体の関係しかしたことないから、ちゃんと付き合うのってお前が初めてっていうか………」
言って浅木は顔を逸らした。
嘘だろうと春人は思ったが、アキラの言葉を思い出す。
綺麗な人が好きって言っていたけど、それは体しか求めてないから内面なんてどうでもよく、見た目重視で関係を作っていたということだろうか?
それを納得するのは少し憚れたが、それでもその理由が近い気はしていた。
それにしても、ひたすら驚くことばかりで春人の心臓は先ほどから、ずっと鼓動が激しく鳴りっぱなしだ。
「どうだ、俺と手を繋ぐの。気持ち悪いか?」
顔を覗き込まれるように尋ねられる。
「え?いや……全然」
「だったらこれは大丈夫だな」
嬉しそうに笑む浅木に春人は更に鼓動が高鳴った。
今思えばこんなに自然な顔している浅木は、本当に珍しいのかもしれない。
怪我をした時に何回は自然な笑顔を見たことがあったが、ここまで自然で柔らかいのは初めてじゃないだろうか。
浅木の無防備な笑顔は確かに人を惹きつけ力があるかもしれない。
見た目も相まって、すごく魅力的に見える。
(……浅木さんを魅力的に見えると思ってる俺もどうかしてるのか?)
先ほどの沙希の件といい、春人の中で浅木の存在が形を変えつつある。
それも急激に……。
少し不安もあるが、もう少し変化する自分に素直になってみてもいいんじゃないかと春人は思い始めていた。
ブンブンと繋がれる手を嬉しそうに振っている浅木がなんだか可愛らしくも見える。
「……そんなに俺と手を繋ぐのが嬉しいですか?」
ずっと離さないので思わず春人は浅木に尋ねた。
「わりぃかよ。嬉しいよ」
嬉しさを噛みしめるように言う浅木を見て、春人の心がふわりと温かくなる。
そしてなぜだが愛おしく見えて、今まで見てきた浅木なのだろうかと思うほど、彼のギャップに驚くばかりだった。
極道の世界で笑顔は必要ない。
見栄の張り合い、恐怖、脅威と支配の世界だ。
だからひょっとして、極道にいなかった浅木の姿は本来、こちらだったのかもしれない。
色んな運命の流れで浅木の人生は今のような形になった。
春人は思わず自分の今まで生きてきた人生を思い出し考えた。
今でこそ借金抱えて誰もが経験しないようなことをしているが、浅木の人生はそれの連続だ。
親は離婚し、母親は浅木を見捨て自分の人生を生きることに必死。
守ってくれて悩みを打ち明ける存在がずっとおらず、今の組長に出会うまでは人の愛情もあまりわかっていなかったのかもしれない。
組長に出会ったことで浅木の人生は組長の為に生きるという主軸になって、今ここで春人と出会い、また人生が変わり始めている。
(俺は正直、ずっと自分の不甲斐ない性格を悔やむこともあったけれど、浅木にとっては俺の何気ない言葉が響いて、そして彼の心の中を少しでも癒したのなら……)
ふと自分がここにいる意味が分かった気がした。
そう思うのは気が早いかもしれないが、なぜだがそう感じることが自然に思えた。
だから自分がここにいることは決して無駄ではないんだと。
夜中でもわかる、幸せそうな浅木の顔を見て思う。
二人は春人のアパートまで来ると、静かに止まった。
時間はあと少しで夜中の二時になろうとしている。
浅木は春人を見つめ言った。
「恋人だったら普通ここでキスするみたいだな」
そう言われて春人は一気に顔が赤くなった。
「あ……いや、その……」
戸惑っている春人に浅木は苦笑する。
「わかってるよ、まだそれは先だよな」
「……ごめんなさい」
「謝ることはねぇよ。だって今日お付き合いが始まったんだもんな?」
ニヤリと笑む浅木に春人は更に顔が熱くなった。
「だったらさ」
言って浅木は春人の真ん前に立つ。そして優しく春人を抱き込んだ。
驚き春人は身動きできなくなってしまった。
「これぐらいはいいか?」
声のトーンがやたらと優しくなり、春人は抱きしめられながら静かに頷いた。
「嫌じゃないか?」
「……はい、大丈夫です」
「よかった……」
静かに春人は浅木に抱きしめられながら頷いた。
浅木の体温の温かさが伝わってくる。
まだ夏なのでTシャツ越しからも腕からも掌からも伝わってくる。
仄かにタバコとアルコールの匂いもする。
なぜだが春人は安心している自分がいた。
(こんなにホッとするのはなんでなんだろう……)
しばらくこうしていても苦じゃない。それよりもずっとこうしていても平気かもしれない。
浅木も放したくないのか、ずっと春人を抱きしめたまま何も言わずこのままでいる。
何も言わないけどお互いわかっているんじゃないだろうか?
二人でこうしていることが、安心していることを。
しかし近所の犬が鳴く声で二人はハッとする。
「まぁ、夜中だしな」
照れくさそうに浅木は春人を放した。
「まだ始まったばかりだから、焦ることねぇよな」
「……はい」
春人は恥ずかしいのか、ずっと顔を俯いたままでいる。
浅木は少しでも自分を見て欲しくて、思わず声をかけた。
「ハル」
「は、はい」
「また明日な。明日はちょっと遅れて……そうだな10時くらいには行けると思うけど」
「わかりました。待ってますね」
「ああ、おやすみ」
最後はお互い見つめ合い別れた。
春人は階段を上がりながら、何度も浅木が帰る姿を見送る。
そして何度目かで浅木も振り返った。
振り返った瞬間、春人はまたドキッと心臓が高鳴った。
浅木は何も言わず、笑顔で手を振りそして去っていく。
(俺、どうしちゃったんだろう……浅木のことばかり見つめてしまう)
再び春人は戸惑いが始まってしまった。
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