13:信じられない展開



 浅木にお試しで付き合いたいと言い出してから、三日程経っていた。

 あれからちゃんと浅木は約束通り、店に顔を出してくれている。

 でも浅木は春人に対してどう接していいかわからずにいるのか、少しまた距離ができた気がした。


(やっぱり自分がしたことって間違いだったのかな?)


 春人は正直、浅木に対する気持ちが以前よりは変わったんじゃないかと思うことがあったのだ。

 優しく触れられたり、笑顔で返された時に自分の中で変化が起きていることが多くなっていて、それは自分に向けられた浅木の気持ちを理解したから、素直にそれを受け入れているせいじゃないかと考えていたのだ。

 なんだか面倒くさく考えているけれど、でも、だからこそ試したいと思ったのだが、自分以外の人間から受けている傷が多い浅木からして、それは恐怖でしかないのかもしれない。

 ふうっと大きく一つ溜息が漏れる。

 昼休憩が終わり、買い出しへとスーパーへ向かう。

 最近ずっと浅木の事ばかり考えている。

 自分もどうしてしまったんだろうと思うが、それでも診療所で話した色んなことを考えていると、いつの間にか浅木のことばかり考えているのだ。

 そしてぼおっとしていたせいか、誰かに声をかけられたことにも気づかずにいた。


「ちょっと長谷部君!」


 背中を軽く叩かれ、慌てて春人はそちらへと顔を向けた。

 背後に久しぶりに見た沙希が立っていた。


「沙希ちゃん、久しぶりだね」


 驚く春人に沙希は不服そうに答えた。


「さっきから何度も呼んでいたのよ、全然気づいてくれないんだもん」

「ご、ごめん。考え事をしてたから……」


 俯きながら春人は沙希に向かって謝罪をした。


「考え事?何を考えてたの?」


 問われて春人は少し顔を赤らめる。


「何?何?どんなこと?」

「ごめん、ちょっと言えないこと……」

「気になるなぁ~仕事かな?」


 適当に沙希は言うが、頬の赤らみを見ると仕事じゃないことぐらいわかる。

 ここしばらく会わなかった間に何があったのだろうと思考した。

 疑っている沙希に春人は慌てて話を逸らした。


「ところで沙希ちゃんはまたここで買い物?」

「う~んそれもあるけど……」


 言って沙希は春人を見る。


「長谷部君にまた会いたいなって思ってきたの」


 ストレートに言われ、春人は少し戸惑った。


「俺に?」

「そう」

「……どうして?」

「どうして?会いたいから会いに行っちゃだめなの?」


 問いかけに更に問うのはずるいと春人は思った。

 おまけに沙希がどういう意図で自分に会いたいと思っているのか、全く検討できなかった。

 沙希は春人を見つめて言う。


「買い物が終わってから歩かない?」






 とりあえず店用の買い物は終え、歩きながら沙希と会話が始まった。

 なるべく店に近い方へと向かってほしくて、春人から歩く行先を誘導する。


「話があるんだよね?」


 ちっとも話をしようとしない沙希に、春人は堪らず尋ねた。


「うん、そうだね」


 ややためらいがちに話し始めた。


「さっき言ったけど、会いたいから会いに来たってこと。本当だよ」

「……なんで俺に会いたいの?理由がないってことはないよね?」


 伺うように聞くと沙希は笑顔で答えた。


「もう少し、長谷部君と親しくなりたいって思ったの」

「え?」


 驚いて春人は沙希を見た。


「ダメかな?」

「でも俺……前も言ったけど、仕事が忙しくて君と会う余裕は多分ないと思うんだ」

「知ってる。だから何の仕事をしているか教えて欲しいの。そうすれば仕事の休みを合わせて会う時間を作ればよくない?」


 名案を思い付いたような顔で沙希は言うが、春人の中で少し溜息を吐くような気持ちだった。


「いや、その………」


 言いかけ春人はハッと思いつく。

 いっそうの事、今の自分の全てのことを伝えてみようか?

 それで彼女の反応を見て、次を考えればいい。

 その考えを思い付いた瞬間、春人は彼女に今、何を感じているのか戸惑いを覚えた。


(俺、沙希ちゃんのこと、面倒に思ってないか?)


 昔の自分だったらこの展開はかなり嬉しい出来事で、大学時代ダメになった恋を実らせるきっかけになるはずなのに、春人は早く話を終わらせたいと思っている。


(なんだこれ……?どうして……)


 戸惑いながらも、それでも話を切り上げ店に行きたいと思っている自分がいるのは無視することができない。

 すっと春人は沙希を見て、今まで隠していたことを話し始めた。


「実はさ俺、今、借金を抱えててさ」

「え?」


 笑顔だった沙希の表情がみるみる顔色が変わっていく。

 それでも気にせず春人は続けた。


「親が自営業をしててそれを手伝ってたんだけど、経営がうまくいかなくなって気づいたら一千万の借金を抱えてたんだ」

「………」


 沙希は無言で春人の話を聞いていた。


「それで、おまけに街金融にお金を借りてて、そこからの紹介で仕事をしてるんだけど、そこがゲイバーなんだ」

「え?ゲイバー?」


 次から次へと自分の予想を斜めいく言葉が出てくるので、沙希はただただ困惑しているのがわかった。

 そりゃあ驚くだろう。

 一千万の借金抱えて、今働いている仕事がゲイバーなのだから。

 沙希は春人の話を突っ込むことすらできず、ただ黙って聞き入るしかなかった。


「夕方の5時から夜中の1時まで働いて、次の日は3時間半くらいレストランの手伝いをするっていう毎日を送っているから、遊ぶ時間なんてないんだ。あ、ちなみにこの買い物も店の買い出し用なんだよ」


 言って中身を見せられ沙希は納得したような表情になる。


「そういうことなんだね。だからこの時間帯に買い物に行ってるんだ」

「そういうこと。ごめんね、この前は言わなくて。恥ずかしくて言えなかったんだ」


 この言葉は事実だ。

 あの時は自分の現実と彼女の現実があまりにも違い過ぎて、自分の生きている位置がわからなくなって混乱していたから、本当のことを言うことができなかったのだ。

 でも今は違う。

 不思議と春人は今の自分を受け入れ、前を向いて歩く気持ちになっていた。

 でもなぜ?どうして自分は急にそういう気持ちになれた?

 ………浅木のせいなのか?

 浅木の気持ちを知って、その時だって混乱していたけれど、彼の身の上話を聞いているうち、春人の中で色々と変わったような気がしたのだ。

 そして浅木と試験的に付き合ってみたいと思ったことも、春人の中で何かが動き、沙希のことは過去になったのかもしれない。

 そう感じたら先ほどの春人が早く沙希の会話を終わらせたいと思う気持ちは、何となく理解できた。

 伺うように春人は沙希の言葉を待つ。

 しばらく黙って思考している沙希は、ややあって春人に答えを出した。


「た、大変だったんだね」

「うん、借金の額を聞いた時はどうしていいかわからなくなったよ」

「そうだよね……私でも焦るよ」


 同情の言葉は出てくるが、これからのことを言おうとしない。

 言えないのかもしれないが。

 その様子を見て、春人は彼女に別れの挨拶をしようと思った。


「ごめんね、変な話して。だから俺にあまり拘わらない方がいいと思う。君に迷惑かけるかもしれないし」


 それじゃあと言いながら春人は例の桜並木がある橋で別れようとした。


「元気でね、沙希ちゃん。頑張ってね」


 言って去ろうとした瞬間、沙希に腕を捕まれた。

 驚き春人は沙希を見る。


「それでもいいよ、私。長谷部君と一緒に頑張りたい」


 一緒に頑張りたいと言われ、いつから自分が沙希と付き合っていたのだろうと思ってしまった。


「待って、いいよ!沙希ちゃんは俺と付き合っているわけじゃないし、彼女じゃないでしょ?」

「彼女じゃないけど長谷部君と一緒にいたいの!ダメなの?」

「それは変じゃない?ただの大学の同級生なんだから……」


 必死に沙希の伝えたい言葉を回避しようとしているが、負けずと沙希は攻めてくる。


「だったら未来を見据えて一緒に頑張りたいじゃダメ?」

「え?」


 新手なことを言ってくる沙希に春人は困っていると、ドスの効いた声が春人を呼んだ。

 見るとそこには、


「あ、浅木さん!」

「え?」


 二人同時に浅木を見た。

 浅木は仁王立ちをしており、表情はいつもの落ち着いた顔をしているが、明らかに目だけは怒りに満ちていた。

 浅木は感情が目に出るタイプだと春人は改めて感じた。


「あ、あなた誰よ?」


 流石の沙希も浅木の雰囲気が堅気ではないことを察したようだ。

 そう問われた浅木は沙希を無視し、春人を見て言った。


「ハル、お前、ここで何やってんだよ。仕事が始まるだろうが」


 声のトーンは落ち着いているが、明らかに重みを感じる。

 当然沙希も春人同様、同じことを感じていた。


「街の金融って長谷部君言ったけど、まさか本当は闇金融?」


 尋ねられるが春人は何も言えなかった。

 そして浅木も無言で春人を見ているだけだった。

 何も言わない春人に沙希は全てを悟った。


「それじゃあ沙希ちゃん、元気でね」


 これが終了の合図だった。

 ここで終わらせないと誰も動くことはできないと感じたのだ。

 沙希もそれ以上何も言わず、今にも泣き出しそうな顔でくるりと春人の背を向け、帰って行った。

 しばらく春人と浅木はその場で立ち尽くし、沙希の後姿を見送っていた。

 そしてしばらくすると、ふっと浅木が口を開いた。


「あいつか、大学時代に好きだった女って」

「よくわかりましたね」


 驚き春人は浅木を見た。


「そりゃあ、少しお前らの話が聞こえたからな」

「なるほど………」


 言ってまたお互い無言になった。

 ここしばらく二人には僅かな距離ができた。

 それはハルが試験的に付き合いたいと言ったことでできてしまった溝だ。

 もうこの溝は埋まることがないのかもしれない。

 そう感じると春人は堪らく、自分がしたことに後悔でいっぱいになった。

 なんであんなことを言ったんだろう。

 お互い気まずいことになるなんて、その時は思わなかったのだ。

 沙希と同じく、名案だと思っていたのに。

 いつまでもここにいても無意味なので、春人は浅木に声をかけた。


「行きましょう」


 そう言って春人が歩き始めた瞬間だった。


「……お前が言ってたお試し期間付きのお付き合いのことだけど」

「え?」


 驚き春人は浅木を見た。


「いいぜ、付き合ってみようか」

「え、え、え……」


 突然の展開に春人は再びその場で立ち尽くした。

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