10:思わぬ代償
いつものように店の開店準備をする。
今日は小林が来ない日らしく、春人は少し溜息を吐いた。
浅木はしばらく来ないと言っていたが、いつまで来ないのだろう。
ヘタしたら自分がいなくなるまで来ないかもしれない。
そんなマイナス思考していると、ポンっと春人の肩を叩く人がいた。
振り向くと高崎が早々と店に入ってきたのだ。
「高崎さん、まだ開店してないですよ!」
春人は高崎に注意するが、ヘラヘラ笑いながら言う。
「まぁまぁいいじゃないの。ほら、あと10分だしさ」
時間を見ると、確かにあと10分で開店時間ではあったが、少し困った表情で春人は言った。
「でもこちらもギリギリまで準備とかしているんですよ」
「そうなんだけどさ~今日に限って早めについちゃったんだよね」
頭をペコペコ下げる高崎に春人は溜息を吐きながら言った。
「じゃあ始まるまでそこの椅子に座って待ってて下さいね。俺、まだテーブルとか拭いてないので」
「OK~」
言いながら高崎はカウンター席の椅子に座ると、春人はカウンターを拭き始めた。
じっと高崎は春人と見つめていたが、ふと再び口を開いた。
「あのチンピラ、もう来なくなったんだね?」
春人は少し動揺し、隠しながら返答する。
「そうですね。今は小林君が来てくれることになりました」
やや真剣な目で見る高崎の視線を何気に感じ、春人は視線を逸らしながら拭くのを止めない。
「なんであいつ来なくなったの?」
「他の店を周るのに忙しいみたいで、こちらに来られないみたいですよ」
「ふ~ん、そうなんだ」
どこか含みのある返事に春人はそれ以上その話題を避けるように、奥にあるテーブルを拭きに行った。
高崎はそんな春人を何も言わずじっと見つめていた。
時刻が10時頃になると、店内がお客さんでいっぱいになる。
金曜日ってこともあるのか、賑わいお客さんたちが酒を飲むことに楽しんでいた。
春人はカウンター内に入って皿やグラスを拭いていて、アキラはテーブル席でオーダーを聞いていた時だった。
バンっと扉が大きく音を立てて開くと4、5人、見た目が明らかに堅気ではない男達がぞろぞろと入ってきた。
驚いた春人やアキラ、その他の客たちは一瞬に静まった。
「おい、この店の店長は誰だ?」
一人、背も高くガタイの良い男が口を開く。
明らかに何人かいる中のリーダー的存在だと見えた。
「わ、私です」
テーブル席にいたアキラは、警戒しつつ静かにその男達の方へと向かう。
アキラの姿を見るなり嘲笑しながら、
「あんたか、この店、結構繁盛してるみたいだな?」
ぐるっと店内を見てその男は言った。
「は、はい。おかげ様で有難いことに」
そう返答するアキラに男は話を続ける。
「おまけにここのケツモチは世山組の浅木か管理してたよな?」
浅木と名指しで言われ、春人はドキッとした。
なぜ浅木を名指しで言ったのだろうか?知り合いなのだろうか?
「そうですけど、それが?」
そうアキラが尋ねると男は鼻を鳴らしながら言う。
「だけど、ここ2週間くらい姿を見ない。つまり、ここは俺たちのシマにしてもいいってわけだ。今だって世山組の者もいないしなぁ」
再度店内を見渡し、それらしき人間を探そうと見回していた。
この男の言う通り、残念ながら運が悪く小林はここにはいない。
いたとしても1人でこの5人を相手するのは難しいかもしれない。
しかし2週間くらい見ていないと言っていたが、常にこの店がマークされていたのかと思うと、春人はゾッとした。
極道の世界は常にシマの争いの連続ということなのだろうか?
このままではマズイと思った春人は、カウンター内から後ずさりをし、自分の携帯から浅木に連絡しようと思い、動いた。
震える指で慌てて浅木に連絡するが、なかなか出てくれない。
早く出て欲しいと心で祈りながら何度かコールする音を聞いて待っていると、ようやく何度目かのコールで浅木が出た。
『なんだよ』
短くぶっきらぼうに浅木の声が聞こえる。
春人は小声で浅木に伝えた。
「今、店に知らない組の人が来ていて、アキラさんに話をしているんです」
『え?』
春人の話を聞いた瞬間、声のトーンが落ちる。
『小林はどうした?』
「今日に限って小林君は来てなくて……」
『マジかよ』
携帯越しから舌打ちが聞こえ、春人は更に不安になる。
「どうしたらいいですか?」
必死な思いでそう尋ねた矢先だった。
「おい、お前、誰に電話してんだよ?」
先ほどのガタイのいい男が春人の背後から声をかけてくる。
驚いて振り返ると、その男はカウンター内に入り、春人の胸倉をぐっと掴んで、その衝撃で春人の携帯は床に転がった。
『おい、ハル!どうした!?』
携帯から浅木の声がするが、男は無視し春人の顔を自分の元へと近づけた。
「ぐっ!くる、苦しい……」
「誰に電話してんだって聞いてんだよ?」
低いトーンで脅されながら尋ねられる。
怖いがどうしても春人は口を開かない。
体格的に雲泥の差で、掴まれている胸倉を払うことができない。おまけに掴まれている手がぐっと首を押さえられ、息をするのも難しい状態になる。
一向に口を割らない春人の態度に腹を立てた男は、更に春人の胸倉を締め付ける。
「おい、答えろ!誰に電話してんだってんだよ!!」
体は震えるが春人は絶対に言ってはいけないと思った。
この男はここのケチモチが浅木だって知っていた。ということは個人的に何かあったかもしれないということだ。
浅木に迷惑をかけたくない、その一心で口を割らなかったのだ。
目つきが更に鋭くなった男は、大きく春人の頬はたき、更に揺さぶる。
「誰だよ!!」
「………」
黙る春人の態度に最高潮に苛立ち、春人を拳で春人を一発殴った。
一発殴られた重みが、感じたことのない痛みで眩暈が起きる。
そして口の中で血液の味がした。
痛みに耐えるが再度拳が春人の頬を殴った。
そして男は動かなくなった春人を掴みながらカウンターから出て、床に放り投げ、転がった春人の横っ腹を1回蹴った。
「うっ!!」
口から血と唾液が出る。
今度は春人の腹を蹴った。
春人の体全体に痛みが走り、何も動くことができなくなってしまった。
「ハルちゃん!!」
アキラの泣きそうな声が聞こえてくる。でも春人は痛みのあまりうずくまり、反応することができなかった。
「ちょっとあんた方、やりすぎじゃないか?彼は電話してただけだろう?」
高崎は流石に春人の姿を見て、春人の前に立ちはだかった。
「おい兄さん、どけよ。こいつ、サツに電話した可能性があんだよ?」
「だからってそこまでやる必要性あるか?」
「うるせぇ、そこどけよ」
ドスの効いた声で高崎に言う。しかし高崎はどかなかった。
「流石に見逃せないよ、これは」
「待って高崎さん!」
アキラも一緒に高崎の隣に立ち、春人を守ろうと立ち塞いだ。
「どけよ、店長さん」
「いいえ、お金が欲しいなら渡します。だからこれ以上彼らに攻撃するのは止めて!」
「ダメだよ!アキラさん!」
「いいの、いくら欲しいですか?」
言ってアキラはカウンターに向かい、レジを開けようとした。
「ダメだってアキラさん!お金あげたら今後も要求されるよ!」
「いいの、あなたたちを助けられるならこれぐらい……」
必死の表情で言うアキラに高崎はどうしていいかわからなくなる。
アキラの発言に嫌らしく笑う男は、にじり寄ってきた。
「店長さん、あんたよくわかってんじゃねぇか、儲かってる店を経営してる店長はやっぱ違うねぇ~」
ニヤニヤ笑っている男を高崎は思わず睨んでしまう。
本当に嫌な男だと思いながら、アキラの傍で立ち尽くした。
春人が電話した相手が誰なのかわからないが、なんとかこの状態から脱却しなくてはならない。
必死に高崎は頭を巡らせている時だった。
出入口の扉から風が入るのを感じ、誰もがそちらへ視線を送る。
「来たじゃねぇか、浅木さんよぉ」
男はニヤリと笑み、扉に立ち尽くす浅木を見つめた。
「浅木さん!」
アキラは思わず声を出す。
その声に春人は閉じていた目をわずかに開けた。
視界に入って来た浅木の顔は冷静に見えたが、目だけは怒りに満ちているように見えた。
気のせいかもしれないが、なぜか春人はそう感じたのだ。
「お前、
「覚えてたか、一度やり合った関係だもんなぁ?」
再び笑む男、武村は浅木を見た。
しかし浅木はその視線を無視して、スタスタと真っすぐ春人の元へと向かった。
「おい!浅木!!」
無視をされた武村の怒鳴り声が浅木へと向かうが返答もせず、春人が倒れている場所へ膝を突きしゃがみこんだ。
「……ハル、大丈夫か?」
床に転がっている春人に小さく声をかける。
腫れているのか、口を開けずらくなっていて、でも必死に返事をしようとした。
「あ、さぎさん……大丈夫…」
「馬鹿野郎、大丈夫じゃねぇよ……」
弱々しい声で小さく言う浅木は、優しく春人の頬を撫でる。
しかし撫でただけでも春人は痛みを感じ、ぎゅっと目を閉じた。
「痛いか?」
不安そうな声で浅木は尋ねた。
「……はい」
短く春人は答えた。
「クソ……ごめんな、ハル、俺が馬鹿だったわ」
「………そんなこと」
「クソが!!」
ぐっと拳を握りしめ怒りを我慢していたが、とうとう我慢の限界を超えたのか、浅木の顔は完全に怒りに満ち、体中から怒りのオーラを纏いながら、くるっと武村の方へと向き直ると、
「おい武村、表に出ろ!!」
全身怒りを露わにし、浅木は武村に向かって怒鳴った。
その声に更にニヤリと気味悪く笑む武村は、待ってましたと言わんばかりの表情になった。
「待ってたんだよ、浅木!お前と再びやり合うのをよ!前の分もお返ししねぇとな?」
「うるせぇんだよ!さっさと外に出ろよ!!」
怒りのあまりに完全に浅木は冷静さを失っている。
聞いたことのない浅木の怒声に、春人は心配になって彼に弱々しく声をかけた。
「あ、浅木さん、大丈夫ですか?……相手は、多人数ですよ?」
「……大丈夫だ、もうじき小林も来るから。あいつには今回の責任を取らせる!!」
春人の顔は一切見ず、そのまま外に出ようとした時、タイミングよく息を切らしながら小林も到着した。
「あ、兄貴!すみません!!」
小林の顔は完全に焦っている。浅木に殴られる覚悟で駆けつけたのだ。
浅木を見るなり小林は謝るが、浅木はその声を無視して、
「今からお前、喧嘩できるよな?」
当然だよなと言わんばかりに問われ、全力で、はいと返事をする。
「死ぬ気で喧嘩しろ、相手は5人で、河和田組の武村だからな」
「……わかりました!」
そう言って、5人と浅木、小林は外へ出て行った。
扉越しから聞こえる男たちの怒号が始まるが、次第に声が聞こえなくなっていった。
「あれ、どこ行ったんだ?」
高崎は不安げにアキラに尋ねる。
「多分、路地裏とか行って人気にないところでやり合うんじゃないかしら?人のいるところだと警察呼ばれたりするとマズイしね」
そう言いながらアキラは春人の元へと向かい、優しく春人を抱き起した。
「大丈夫?ハルちゃん」
「……痛いです」
「どうして浅木さんのこと、言わなかったの?」
「……言ったら浅木さんに迷惑をかけると思って」
「馬鹿ね、こういう面倒なことを始末するのがあの子らの役割じゃない」
今にも泣きそうな顔で春人の髪を拭った。
「とりあえずカウンター内にある、休憩室にハルちゃん入れた方がいいんじゃない?」
高崎も心配そうに春人を見つめた。
「そうね、あと氷を入れた袋も作るわ」
春人は高崎に抱きかかえられ休憩室にある椅子に座らせる。
ぐったりともたれながら春人は再び小さい声を出した。
「ごめんなさい……アキラさん、高崎さん」
「いいのよ、気にしなくてもいいから」
そう言いながら殴られた頬に優しく氷を入れた袋をあてがう。
冷たさが頬に染みて少し痛いが、腫れている部分の熱を落ち着かせてくれている気がする。
「今はちょっと冷やしてから病院へ行こう」
高崎は優しく春人に言った。
店から少し離れた裏路地で、かなり河和田組の連中と暴れた後、喧嘩の最中、浅木は自分の顔に一発武村から殴られた部分があったことを思い出し、そこを手で擦ると、わずかに痛みと共に血が付いた。
周りは廃ビルに囲まれた路地裏で、場所もかなり奥に入ったところで人気が少なく、第三者から目立たず喧嘩しやすい場所といえた。
おかげでこの騒ぎはあまり周りには聞こえかっただろう。
5人はその場で倒れたまま起き上がらず、近くで座り込んでいる小林の方へと浅木は歩いた。
「立てるか?」
「………はい、なんとか」
肩で息をしながら、ゆっくりと起き上がった。
「帰るぞ」
言って小林と一緒に歩き始めた瞬間、背後から気絶していると思われた武村が浅木に弱々しく声をかけてきた。
「ま、待て……よ」
静かに振り返り浅木は武村を睨みつけた。
「二度とあの店に入るんじゃねぇ。もしまた入ったらてめぇ、命はないと思えよ」
「く……くそ………」
再びパタッと倒れ込み、うずくまった。
舌打ちをすると浅木は早足でアキラの店へと向かった。
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