11:語らいの中で
大きく扉を開き、浅木はアキラに声をかける。
「ハルは!?」
「今休憩室の椅子で顔を冷やしてるわ。もうじき救急病院に行こうと思ってるんだけど」
アキラはそう言い、時計を見ると時間は11時を過ぎていた。
「いや、俺の知り合いの医者に連れていくわ」
「え?ちょっと……」
「大丈夫だ、そこはいつでもやってんだよ」
「でも………」
言いかけるアキラに浅木は止める。
「こいつの怪我を見て絶対病院は警察に連絡するだろう?そうすればここに警察も入ってきてハルの立場的にも色々マズくなる」
春人の立場を考えると、下手したらテレビやネットニュースに名前が載って、今後の春人の生活が危うくなること危惧しているのだろう。
何をきっかけに身元を調べられるかわからないのだ。
「わかったわ。大丈夫なのね?そのお医者は」
浅木のことを理解したアキラは尋ねた。
「大丈夫だ、保証する」
「それじゃあよろしくね」
浅木は春人を抱きかかえ、痛みで目を開けない春人を見つめた。
「痛いか?」
「………はい」
ゆっくりと頷く春人に浅木の胸は締め付けられた。
ぐっと春人を抱きかかえる力を籠めると、小林に言った。
「俺、これらか例の医者に行ってくる。あとはアキラさんの指示に従って店の後始末を手伝えよ?」
「わかりました!」
そう言って浅木は春人を知り合いの医者へと走りながら向かっていった。
浅木の背中を見送ったアキラは小林に声をかける。
「知り合いの医者って誰?」
「……まぁ、その、裏社会ご用達の闇医者ってやつです」
息を切らしながら浅木は必死な思いで春人を抱きかかえながら走る。
季節も6月に近づいてることもあって、走っただけで汗ばんでくる。
男の大人を抱えているのでかなり負担のはずだが、不思議と思ったより軽く感じた。
春人は大人の男でも軽めであるし、筋肉もそんなについてはいない。
だからなのかわからないが、抱えていても思ったよりスムーズに動けた。
走りながら時々ちらりと春人の様子を伺う。
どこが痛いのかわからないが、時々目を開けようにしているが、自分が走っている振動のせいで痛みが来るらしくぐっと堪えていた。
浅木が向かっている闇医者は、アキラの店から15分ほど離れた古いビルの2階にあった。
ビルの中のテナントもあまり入っていない感じだ。
駆け足で階段を上がり部屋の前までたどり着くと、春人の足を抱えている方の手からドアをノックした。
「
暫くドアを叩き続けたが、ちょっと待てと声が室内から聞こえた。
すっとドアが開き、そこには白髪交じりの60代ぐらいの男が、寝間着姿で現れた。
「浅木か?どうした?」
そう言いながら視線は抱えられている春人の方へと行く。
「こいつか?患者は」
「はい、お願いします!深夜で迷惑かけているのはわかるんですけど、どうしても今、診ていただきたいんです!!」
今まで見たことのない必死な浅木に若干多澤は驚いたが、緊急を必要とするのは見てわかった。
「わかった、入れ」
「ありがとうございます!」
開けられた扉に浅木はすぐに入る。
春人を抱え、浅木は診察用のベッドにゆっくりと降ろす。
多澤は春人の殴られた頬を触れると、春人はビックっとして目を開けた。
「頬が痛いのか?」
春人の反応みて多澤が尋ねる。
「ほ、頬も痛いですけど、口の中が…痛いです……」
「口開けてみろ」
言われるまま春人はゆっくりと口を開き、それを多澤は覗き込むように見る。
「あ……ちょっと口の中が切れてるみたいだな。口内が出血してる」
そう言いながら治療を始めた。
一旦口の中を綺麗にし、軟膏を傷口に塗る。
時々染みるので春人は時々ビクッとしながら痛みに耐えた。
それを浅木は黙って見守る。
辛そうな表情に浅木も一緒になって、心が痛くなった。
「あとはどこが痛い?」
身体検査をするかのように、春人の体に触れる。
「横っ腹が……」
「横?」
言って春人のTシャツを少し捲り見ると、横っ腹と腹に青痣が出来ており、多澤は苦笑いをした。
「確かにこれは痛そうだなぁ~ちょっと触るぞ?」
青痣の箇所を多澤は軽く押さえると、春人は少し呻く。
「痛いよな、だが骨まではいってないから、ここは痛みを取る湿布を貼っておくか」
「ほ、本当に先生、こいつ大丈夫ですか?」
「ああ、骨折れてたらこんなもんじゃない。かなり痛いぞ?」
「そ、そうですか………」
ホッとした様子で浅木は溜息を吐いた。
「打ち身と口内の出血だな、まぁ本人の痛み以上に大事に至らないで良かったな」
春人の胴回りに多澤は湿布を貼って包帯を巻き、服を着させ治療を終わらせた。
「よし、とりあえずこれで大丈夫だな」
「ありがとうございます、多澤先生!」
浅木は頭を下げ多澤にお礼を言う。
あまりにも素直に感謝された多澤は、やや面食らってしまい苦笑いをした。
こんなに切羽詰まった浅木を見たのは今日が初めてで、浅木にとってこの患者はどんな存在なのかと思考する。
ひょっとして随分仲の良い相手なのかもしれないと。
浅木は春人に向き直り、診察用のベッドで横になっている春人の顔を見つめた。
「痛みは?」
「は、はい。ちょっとありますけど…湿布が冷たいです……」
思わぬ発言に浅木は苦笑した。
「そうか、見た目よりは大丈夫そうだな」
ホッとした表情で浅木は春人を見ていると、多澤は鉄パイプの椅子を差し出され、少し慌てた。
「あ、先生!すみません……」
「座れ、俺はもう寝るから、あとは好きにしろ」
「あ、まだ治療代払ってないです!」
慌てて多澤を引き留めるが、多澤はヒラヒラと掌を振った。
「明日でかまわねぇよ。じゃあな」
言って多澤は奥にある部屋へと入っていった。
かなり眠そうな表情をしていたので、早く眠りたいのだろう。
二人きりになると、立ち上がっていた浅木は静かにパイプ椅子に座り、春人に視線を送ると、心配そうな顔をして浅木に尋ねてきた。
「浅木さん、顔に傷がありますよ?痛くないですか?」
たどたどしく指摘され、浅木は自分の顔を触れた。
おそらく先ほど武村から一発殴られた時にできた傷のことだろう。
「大丈夫だ、大したことない」
「そうですか………」
そう会話をするが、ここからどう話を続ければいいかわからず、二人はなんとなく黙り沈黙の時間が流れた。
春人はずっと天井を見て疲れた顔をしている。
浅木は春人が横たわっている診察用ベッドから見える窓から、夜の街の景色をぼんやりと眺めていた。
見ながら浅木は春人に伝えたいことがあるのに、どうやって言えばよいかわからず、思考し続けたが、
「……悪かったな、こんなことに巻き込んじまって」
浅木はそう口火を切ることで話を始めた。
これではただの謝罪だが、実際、まず春人をヤクザ同士のシマ争いに巻き込んでしまったのは何よりの失態だ。
とにかく謝るのが先だと思ったのだ。
「浅木さん……」
春人は視線を天井から浅木へと移すと、二人の視線が合った。
「俺が馬鹿なことをしたから……お前に」
「馬鹿なことって……」
「いや、俺がお前から逃げたからだ」
真剣な目つきで春人を見据えたが、春人はそれを受け止めるように見つめ返し言った。
「俺のことを気遣ってくれたからですよね?気持ちを言ったのって」
「え?」
春人からそう言われ一瞬浅木は止まる。
「俺に気持ち伝えてしまって、それはきっと本位じゃなかったのかなって思ったんです」
「……ハル」
「俺のせいで言わざるを得なかったのかなって、あの時の俺は本当に情けなかったし」
「………」
「だから俺のことを考えたら気まずくなって、会うのが辛くなったのかなって」
浅木は何も言えず黙って春人の話を聞いていた。
実際、彼の言っていることは間違っていなかったからだ。
黙って自分を見つめる浅木に春人は続けて言った。
「だから申し訳なかったって思ってました」
「馬鹿野郎」
浅木は静かに言う。
「……確かにお前に気持ちを伝える気はなかった。言ったところでお前も面倒になるだろうし、仕事もやりづらくなるだろうしな」
「………」
「だからあの時言ってしまったことは想定外だったのは確か」
「……そうですか」
表情を少し歪める浅木に春人はそれを見て辛くなった。
「俺の気持ちを言ったところで、お間にとってはなんも励ましにはならねぇのに」
「浅木さん……」
言って浅木は再び窓の外へと視線を送った。
今更ながらなんで春人に言ってしまったのか。
本当に伝えただけ面倒なことになるだけだったのに。
言えば春人なら応えてくれると勘違いでもしたのか?
考えれば考えるほど、自分の自惚れに嫌気が差し、恥ずかしさと悔しさで顔を合わせることができなくなっていく。
「浅木さん」
再び春人に呼びかけられた。
「俺、確かにすごく驚きました。正直、信じられない気持ちでいっぱいになって、どう言ったらいいかわからなかったです」
「………」
浅木は伝えた時の春人の表情を思い出す。
言葉通り驚いて言葉を失っていた。あの様子を見た瞬間、自分が口にした言葉を死ぬほど後悔したのだ。
今までの関係が壊れるくらいなら言わなければよかった。
時間が戻せるのなら戻したいくらいに。
「最初は戸惑って言われたことをずっと考えて悩みました。でも冷静に考えたら自分が悪かったんだってことに気づきました」
そう話す春人に再び浅木は視線を合わせた。
「さっきも言いましたけど、俺が酷く落ち込んでいたから、喝を入れる為に気持ちを伝えてくれたんだって思い直したんです。だから俺、気持ちを伝えてくれたことに対して不快とか思わなかったです」
「ハル……」
春人が気遣って言ってくれているのだと思うが、それでもその言葉に偽りを感じず、浅木は素直に受け取めることができた。
「でも、今後どうやって付き合っていけばわからなくなっただろう?」
告げてしまったことで起きた問題を浅木は迷わず春人にぶつけた。
「それは……確かに。どういう態度が浅木さんにとって良いんだろうって思いました」
「え?俺にとっての良い態度ってどういうことだ?」
浅木は春人が言っている意味がわからなかった。
なぜ春人が自分に対してどう態度をとれば良いとか考えているのだろう?
「お前何言ってんだよ、お前が困惑するんじゃねぇのって言ってるのに、なんで俺にとって良い態度って言うんだよ」
「だって浅木さんも言ったでしょ?気持ちを伝える気はなかったって。それを言わせてしまったんだから。俺は逆に申し訳ない気持ちになったんです。だからどうしたら浅木さんが傷つかずすむのかなって」
浅木は言葉を失った。
恥ずかしい気持ちと戸惑いと、そして春人からすれば親切心を出しているのかもしれないが、全てが間違いだった。
「やめてくれ、どういう態度とか気にしないでくれ」
「でも……」
「でもじゃねぇ」
静かに重みのあるトーンで浅木は遮った。
「俺のことを考えてくれるのなら、お前は自然に今まで通りにしていてくれ。変に気を遣われても俺が惨めになる」
「……ごめんなさい」
ようやく気付いたのか、春人は悲しそうな表情をして謝った。
「そうですよね……俺、酷いことを言いました」
春人は自分の失言に落ち込む。
「ああ、そうだな。ただ俺が言いたいのは……」
言いかける浅木を春人はじっと何を言うか待った。
「俺がお前のことを好きなんだってことを、その、胸に納めてくれればいい。特に俺に何かしなくてもいいし、する必要もない」
「浅木さん……」
春人自身それ以上、どうしたらいいかわからないのは事実であり、浅木が言うのならそれを黙って受け取り従うしかないのかと思った。
「わかりました。浅木さん、これからもよろしくお願いします」
「ああ、今日はもう寝ろ。お前、スゲー疲れた顔してる」
「……そうですね。色んな経験をしたので疲れたのは確かです」
疲れてはいるが微笑む春人の髪に、浅木はスッと手で優しく撫でた。
触れられた瞬間、春人は少し心が動揺したが浅木は変わらない表情でいる。無意識にした行動だったようだ。
なぜだが触れられた感触がいつまでも離れられなかった。
「んじゃあ寝ろ。俺はそこのソファーで寝るわ」
浅木はパイプ椅子から立ち上がり、ソファーに置いてあるタオルケットを春人の上にのせた。
「え、あ、浅木さんのタオルケットは?」
「俺は大丈夫。こういう何にもないの、慣れてるから。じゃあなお休み」
浅木はそう言い、スタスタ歩きソファーへと寝転がった。
「浅木さん」
春人は呼ぶが浅木はもう何も答えず、目を閉じていた。
「………お休みなさい」
黙って春人も目を閉じ、眠ることにした。
目を閉じた瞬間、もう何も覚えてないほど春人は夢の中へと入って行った。
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