7:過去と現在と今後と
毎日のようにアキラの店に来ていた浅木がぱたりと来なくなった。
本人が来ないので理由はわからないが、もしかして春人はもう大丈夫だと思われているから、来る必要がないと思われているのかもしれない。
メールで聞けば良かったかもしれないが、鬱陶しいと思われるのも嫌なので連絡はせず様子をみようと思ったのだ。
ふぅと春人は溜息を吐いた。
毎日来ていた人が急に来なくなると妙にその人の行動が気になるのが人間だ。
そんなことを思いながら店支度をしていると、アキラが笑いながら尋ねてきた。
「何よ、溜息なんか吐いちゃって」
「え?溜息なんか吐いてました?」
「吐いてたわよ。無意識?」
呆れた顔で言われ春人は複雑な表情になった。
「すみません、自然と吐いてました」
「そう、もしかしてあの借金取りが来ないから気になってるとかないわよね?」
伺うような目で問われ春人は更に驚きを隠せなかった。
「借金取りって……浅木さんのことですか?」
「あなたの借金取りは浅木さんしかいないでしょ?」
「そ、そうなんですけど……だってここ一週間くらい顔を見てないですよね?」
「まぁそうね。いいじゃない、監視がいないとのびのび仕事できるじゃない」
アキラは言うが春人はそうですよねと呟くように返す。
「確かに…本当そうですよね、すみません!俺、頑張りますね!」
そう笑顔で言うが、コップを洗いながらも表情が寂しそうにしている春人にアキラは複雑になる。
なぜ急に春人が、浅木がいないと寂しくなっているのがわからないからだ。
最近二人がよく話している姿を見たが、だからそれが寂しい原因になるだろうか?
最近見かけないなぐらいは思うだろうが、寂しいはないと思う。
(それとも私が知らない間に何かあったとか?)
思考してみるが特に思いつかない。思いついても春人には全く当てはまらない。
(ハルちゃんが浅木さんを好きになるなんて考えられないわ。だってこの子ノンケよ)
そういう解釈になるのは自分が同性を好きだからかもしれない。
それとも春人が勝手に浅木に懐いて寂しいだけかもしれないと思いつくと、少し納得する。
なんだかんだ言って春人の悩みを解決したのは浅木で、この店で頑張る力をくれたのは浅木だ。
恩義や親しみを感じていても仕方ないかもしれない。おかしくはないが、残念ながら浅木はヤクザなのだ。
春人のそういう純粋な気持ちを利用してくる可能性だってある。
あまりそういう汚い手を使う男ではないが、それでも気を付けた方がいいんじゃないかとアキラは思い、春人を呼んだ。
「ハルちゃん、あのね」
「はい」
くるっと振り返る春人の顔は少し元気がないように見える。
「浅木さんのこと、あんまり親しくならない方がいいわよ」
「え?なんでですか?」
明らかに春人の表情が強張り、それを目にしたアキラは更に戸惑う気持ちが湧いた。
「あなたの悩みにアドバイスをあげたり、木立さんのことから助けて貰って親しみを覚えたかもしれない。だけど彼はヤクザなのよ、どうあがいても」
「………」
「わかる?」
「わかります、知ってます。でも……」
言い訳をしようとしている春人をアキラは敢えて遮った。
「あくまでも浅木さんは、あなたからお金が欲しくてあなたをここに来させ、働かせているのよ。わかる?」
「わ、わかります!」
必死に訴えるように春人は言い返した。
「あなたたちの関係はどこまで行っても借金取りと債務者なの。それを忘れないで欲しいわ」
「……債務者」
「借金を返す者ってこと。それは借金を返すまでずっと続く関係よ」
そう言うと春人は黙り込み、それ以上口を開かなった。
人間、辛い時に優しくしてくれた人に心許すのは仕方ないと思う。
それが普通の堅気同士だったらここまで言わないが、相手は騙しのプロだ。
人の心理を利用して金を騙し取る。それを生業として生きてきている人間で、春人のように純粋な人間ではきっと手駒にされ、いいように利用されるのがオチだ。
この借金は春人が作った借金ではなく親の借金を肩代わりしていて、来たこともないゲイバーで急に働けと言われ、今日まで大変な毎日を送ってきたのだ。
セクハラに悩むことが多くて落ち込むこともあっただろう春人に、これ以上傷ついて欲しくない気持ちがアキラにはあるので、珍しく厳しいことを口にしたのだ。
「アキラさん……」
真剣な表情で言うアキラに春人は現実を突きつけられ、少し悲しい気持ちになったが、彼の言葉は自分を心配してくれていることはとても伝わった。
自分を心配してくれていることで厳しく現実を教えてくれているのだと。
実際そうかもしれないと、ふと春人も我に返る気持ちになる。
今まで経験したことがない世界に入り、自分の感覚がマヒしていたのかもしれない。
「わかりました、俺、ちょっと境目を間違っていたかもしれません」
その言葉を口にした春人にアキラはホッとした表情になった。
「理解してくれてありがとうね」
「はい、俺が甘過ぎるんですよね。本当に浅木さんは借金取りですものね。だから俺はここに来たんだから」
「……そうね」
「以後、浅木さんとの付き合いを改めます。ご心配かけてすみませんでした」
頭を下げる春人にアキラはポンっと優しく肩を叩いた。
「早く借金返せるといいわね、私も陰ながらお手伝いをするから」
ニッコリと笑むアキラに春人は笑顔になるが、心中複雑な気持ちが巡っていた。
アキラが言いたいことは理解できる。春人自身も浅木の態度を信じていいか迷っていた。
でも自分が誘った花見に短時間だが来てくれて、ヤクザの内緒話や自分を助けてくれていた話を知ると、更に信頼度が高まってしまった。
春人にとってそれが逆に、彼を信用してもいいんじゃないかと思えたきっかけだった。
けれどアキラは何度も言った。
『浅木は助けてもらってもヤクザ』
『借金取りと債務者の関係』
再び春人の心に暗い気持ちが湧く。
あまり深入りは良くないのかもしれない。
借金を返してしまえば関係はなくなり、やっと普通の生活に戻れるのだ。
本来、春人からすれば今いる状況は異常なのだから、やっぱり自分がマヒしていたのかもしれないと思った。
(そうなんだよね、俺、どうかしていたのかも)
来たこともない環境に急に放り込まれて冷静な判断を失っていた。
そこへ浅木が助け船を沢山出してもらって、春人は浅木へと信頼を置くようになっていった。
自分だけじゃなくとも他の人でも自分と同じ立場に置かれたら、なってもおかしくはないのかもしれない。
(アキラさんの言う通りかもしれない)
そう思うと急に自分のテンションが落ち、浅木に対して寂しく思う気持ちも落ち着いた気がした。
自分の思考を改め、春人はふっと大きく息を吐くと、バーの扉に向かって歩き、札を“CLOSE”から“OPEN”に変えた。
お昼の仕事を終え、春人はアキラから頼まれていた買い物をしようと、近くのスーパーに行き、メモした紙を見ながら買い物をしていた時だった。
「あれ?長谷部君だよね?」
女性の声が春人を呼びかける。驚いてそちらへ顔を向けると一人の可愛らしい女性が、スーパーの籠を持ちながら立っていた。
最初誰か気づけなかったが、次第に春人の記憶から蘇り、
「
「良くわかったね!」
伊沢沙希と言われ女性は満面な笑みになった。
彼女の笑顔を見て春人は大学生の時に、彼女に片想いをしていたことを思い出した。
気持ちを伝えたが、付き合っている彼氏がいると言われ恋は終わってしまったのだが、まさか向こうが自分を覚えていたなんて驚きだった。
「こんなところで何やっているの?買い物?」
春人の籠にいくつか商品が入っていたので、それを見て沙希は言った。
「ま、まぁ……」
詳しくは言いたくなかったので濁しながら返答した。
「そうなんだ、私もたまたま近くを通ったから買い物しようと思ってこのスーパーに寄ったんだけど、まさか大学時代の知り合いに会えるとは驚いたよ!」
笑顔で言う沙希に春人は少し嬉しい気持ちになる。
久々に普通の感覚に戻っている気がした。
「長谷部君は元気?」
「え、ま、まぁ」
春人はぎこちなく笑顔を作った。
「でもちょっと痩せた気がするけど、いい男になったじゃない?」
そう言われ、春人の心に柔らかな思いが灯った。
好きだった女性からいい男と言われ、本来己の性を意識させられた気がした。
ずっと男性対象の世界に居たせいか、自分の性に対してやや混乱していたところがあったのだ。
「褒めたって何もでないよ」
「なんだ、残念!」
お互い笑いながら話す会話が色々と懐かしさを感じ、春人は彼女の近況を尋ねた。
「そういう沙希ちゃんは今何をしているの?結婚とか?」
尋ねられた沙希は少し気まずそうに返答した。
「実は三ヶ月前に離婚したんだ」
「え?離婚!?」
お互いまだ27歳だというのに離婚と聞いて、随分濃い人生を送っているなぁと他人事ながら春人は驚いた。
「そうなんだ、大学卒業して当時付き合っていた相手と結婚したんだけど、なんだか合わなくて、それで別れるなら早めがいいかなと思って離婚したの」
「そ、そうなんだ。付き合っていた元旦那さんはもしかして・・・」
「そう、長谷部君から告白された時に付き合っていた時の彼氏よ。お互い若かったから気持ちだけで結婚したんだよね。だけど生活リズムが合わなくてね、それが理由でこの若さで離婚したんだよ。私、馬鹿だよね」
少し情けない表情で言う沙希に春人は首を振った。
「そんなことないよ、結婚してみないとわからないことってあると思うし、いい勉強になったって思えばいいんじゃない?」
そう励ますとそうだねと少しだけ微笑む。
「ありがとう、長谷部君は優しいね。昔からそうだった」
「どうかな?優しくはないと思う」
励ます為に言っているだけだと春人は自身の中で思う。
ただかっこつけたかっただけだ。
「今、長谷部君はどんな生活を送っているの?」
案の定、聞かれたくないことを質問され、春人は再びたどたどしく口を開いた。
「あ、うん。まあ普通に生活してるよ?」
「彼女とかいるの?」
「え…?」
彼女と言われ複雑な気持ちになった。
今の自分は自身の生活を犠牲にして生きているのと同じで、彼女とか結婚なんていつの日になるかわからない。
いったいいつの話になるんだろうと、一瞬春人の中で不安な気持ちが刺した。
「いやいないよ」
「そうなの?じゃあ暇でしょ?」
笑顔でそう言われたが春人は静かにそんなことないよと返した。
「結構忙しいんだ、仕事がね」
「そうなんだ、仕事が恋人みたいな感じ?」
「……そうだね」
暗い眼差しで答える春人を見て沙希は怪訝に思った。
「そんなに大変なの?」
「うん、結構大変かな」
「どんな仕事をしてるの?」
辛そうな顔をして返答する春人が気になって当然尋ねてみたが、それに対して春人は彼女に答えることができない。
なぜならどうしてその仕事を選んだか、理由を聞かれるに決まっているからだ。
父親の借金を肩代わりしているなんて、恥ずかしくてどうしても言えない。
「ちょっといえない仕事をしてるんだ。ごめんね」
そう返答すると少しだけ沙希は引いていた。
厨二病だと思われただろうかと心配し、沙希と目が合うとぎこちなく笑った。
その様子に春人は慌てて謝った。
「ご、ごめんね。内緒にして」
「い、いいのよ。色々あるよね」
そう言いぎごちなく笑いながら二人で買い物を続け、レジを済ませると、
「また会えるといいね」
笑顔で二人はその場で別れた。
トボトボと足重く春人は買い物袋をぶら下げながら歩き、アキラの店から近くにある、いつもの川が流れている橋の欄干へ荷物を降ろし、体を預けしゃがみ込んだ。
ふと桜並木に目をやると既に葉桜になっていて、約2週間前に浅木と花見をした時より時間が経っていることに気づいた。
時間はあっという間に過ぎるのだと思うと、更に虚しさが春人の心を渦巻いた。
好きだった女性はすでに結婚し、離婚を経験している。
彼女はこの年で離婚なんてと言っていたが、自分からすれば好きな相手と結婚できただけ羨ましく思ってしまった。
今の自分の立場を考えると一気に不安が過る。
春人は好きな相手と結婚できるんだろうか?
借金を背負った自分なんか好きになってくれる相手なんているのだろうか?
借金を全て支払い終えるのは、いったいいつになるんだろう?
アキラが言っていた、浅木とあまり親しくならないようにと釘を刺されたが、もしそれを無視してもっと親しくなったら、浅木から利息だなんだと言われ、一生借金返しの生活になるんじゃないかとか、マイナスの気持ちにどんどん占拠されていき、悲しい気持ちでいっぱいになった。
浅木に言われるまま今の仕事をしているが、本当にこれが正解だったのだろうかと不安になる。
いろんな思いが春人の中で起き、顔を伏せて苦しみを必死に堪えた。
「また悩んでんのか?」
聞き覚えのある声色に春人はびくっとし、顔を上げた。
ゆっくり見ると、いつものように静かな佇まいで浅木が立っていた。
なんだか酷くこの光景が懐かしく思い、春人の胸が少しだけ締め付けたが、アキラの提言が再び心をかすめた。
「お久しぶりですね、2週間ぶりですか?」
「お?2週間も経っていたか?ちょっと他の店周りが忙しくてな、しばらく放っておいたら色々揉めててびっくりしたわ」
そう少し笑いながら春人の隣に立って言う。
いつもの黒スーツの浅木は改めて見てもかっこいいと思う。
端正な顔立ちで切れ長の目で見つめられたら、世の中の女性たちはみんな浅木を好きになるだろう。正直そういう意味で浅木の容姿が羨ましかった。
浅木ほどの顔の良さだったら借金を抱えていたって付き合うことを止めないだろうし、そう考えると春人はどんどん落ち込んでいった。
しばらく春人から見られていることに気が付いた浅木は、恥ずかしそうになんだよと言った。
「いえ、浅木さんは端正な顔立ちでさぞかし女性にモテるんだろうなって思って」
やや嫌みっぽく言ってみるが、浅木は一つ溜息を吐き、
「何言ってんだお前、どうしたんだよ」
普通に返され更に春人はいじけた口調で話し出した。
「俺は借金をめちゃくちゃ抱えて、こんな俺を好きになる人なんていないんですよ」
「は、はぁ?」
春人の唐突の話の展開に浅木は更に怪訝そうに言う。
「借金はお前の物じゃねぇし、それに少しずつだけど返してるじゃねぇか?」
浅木は必死にフォローするが春人の暴走は止まらなかった。
「……さっき片想いしていた女性とばったり会ったんです」
「え?」
更に別の話に変わり、浅木は黙ってしまった。
「スーパーへ買い出しに行ったら声かけられて、その人が大学時代に片想いしていた人だったんです。近況について話をしていたら彼女、既に結婚をして3か月前に離婚をしたって言ったんです。それを聞いたら俺…」
「………」
浅木は黙って春人の話を聞いていた。
春人は静かに川の流れへと視線を送っている。
「俺だけ取り残された気持ちになってしまって、ずっと俺はこのまま一人になって孤独になって……」
「おい、色々と急激な思い込みだな。何一人でいじけてんだよ!」
浅木は春人の右肩を掴み揺さぶったが、春人は止めて下さいと言いながら浅木の手を振り解いた。
「俺なんてずっとこのまま誰にも愛されず死んでいくんです。ずっと一生借金を返しながら……」
「落ち着けって……」
浅木の言葉もあまり耳に入らず春人は延々と一人語りを止めなかった。
「地道に返してますがいつになったら完財する日がくるんですかね?教えて下さいよ、浅木さん!」
「ハル・・・」
「俺はずっとこのまま・・・」
そう言って春人は静かに涙を流した。
気持ちが爆発したら一緒に涙が溢れ始めたのだ。
「お前……」
浅木は泣く春人をじっと見つめた。
必死に涙を拭う姿にしばらく黙って見つめていたが、ゆっくりと浅木の口が開いた。
「……お前のこと、好きな奴いると思うぜ」
急に眉唾的なことを言い出す浅木に春人は強く泣きながら反発した。
「なんでそんなこと言うんですか?証拠でもあるんですか?」
「ああ、あるぜ」
静かに見つめる浅木に春人は再び続けた。
「嘘は止めて下さい!そんな適当なこと言われても俺、全然嬉しくないです!」
「嘘じゃねぇ」
変わらず静かなトーンで言う浅木に春人は更に苛立ちを感じた。
「じゃあ誰なんですか、その人!連れてきて下さいよ!」
怒りにまかせ思わず問い質すと、浅木はすっと顔を下に向け黙り込む。
やっぱり嘘だったんだと春人は思い、少し彼を睨みながら言葉を待った。
「お前の目の前に立ってる男だよ」
ゆっくりと顔を上げてそう答え、一瞬浅木の言っている言葉がわからなかった。
目の前に立っている男って……。
「あ、浅木さん?何を言ってるんですか!?からかってるんですか!」
少し動揺しながら春人は言う。
「からかってねぇよ、本気で言ってるし、こんなことふざけて言わねぇよ」
「え……」
春人は絶句した。
これ以上どう言ってよいかわからなくなっていたからだ。
「俺は……お前のことが好きなんだよ、本気で」
「でも……俺、男ですよ?」
焦る気持ちを必死に抑えながら言う春人に、浅木ははっきりとした口調で言った。
「俺、実は男が好きなんだよ」
その瞬間春人は、自分の世界が再び現実の世界だと思えなくなってしまった。
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