6:花見に知る真実

 


 夕方、事務所で浅木は出かける支度をしながら慌ただしくしていた。

 それに気が付いた小林は自分の兄貴分を呼び止める。


「兄貴、どこかへ行くんですか?」


 問われ浅木はなぜだが口ごもる。


「あ、うん。ちょっとな」


 はっきり目的地を言わない浅木に小林は疑問に思う。

 服装もいつものスーツ姿じゃなく黒のパーカーに青色のジーパンを穿いていて、いつもと様子が違った。

 髪型も珍しくオールバックから前髪を下ろし、いつもの雰囲気よりは柔らかい感じがして、見た目もいつもよりは若く見えた。

 最近の浅木は前とは違って、ちょっと雰囲気が変わった気がするのだ。

 それが良いか悪いかは小林からは何とも言い難いが、他の兄貴分が良く思っていないことだけは知っていた。


「兄貴、最近アキラさんのバー以外の店周り行ってます?」

「うん、今日行くわ」

「兄貴……」


 少し呆れた表情で浅木を咎めた。


「他の兄貴たちが少し愚痴を言ってましたよ。最近、兄貴が他の店周りをしていないせいで、ケツモチしている店長が、みかじめを取るのはおかしいんじゃないかって苦情があるらしいです」


 軽く舌打ちする浅木は面倒くさそうに小林に言った。


「どこの店だよ。そんなこと言った店長」

「ちょっと兄貴、まさかその店長をしめませんよね?」


 驚きながら問う小林に浅木は苦笑する。


「しねぇよ、確かにちょっとアキラさんのバーに入りびたり過ぎたなとは思ってた」

「なんでそんなにあの長谷部って奴を監視してたんすか?」


 小林は単純に不思議だったのだ。

 確かに本人が作った借金ではないので同情の余地はあるが、それでも代行人としてやらなければならない。

 借りた物は返す。

 人として当たり前のことだ。

 でも浅木は同情で情が流れるタイプじゃない。どちらかといえばそういうのはドライなタイプだ。


「下手して逃げられても困るって思ったんだよ、精神弱そうだったし」

「だから監視してたんですか?」


 再度問いかけられ浅木は少しムッとした表情になる。


「なんだよ、わりぃかよ?」

「いや、悪くないですけど。兄貴らしくない感じがして……」

「らしくないってどういう意味だよ?」

「いや、なんていうか、割とそういうの突き放すタイプだと思ってたんで…」


 小林は必死に言い訳をするが、浅木はあまり納得していない。


「こっちも商売でやってんだよ、金を借りたら返す。当たり前のことを俺はあいつにやらせようとしてただけだぜ? 金額が金額だったから注意すべきだって思ったんだよ」


 理由は確かに間違っていない気はするが、どうにも小林は腑に落ちない。

 なぜだがわからないが、どこか違う理由があるような気がしてならない。

 しかしこれ以上問い質すと怒られそうなのでそれ以上は問わなかった。


「そうですか、ただ他の兄貴たちが不信に思っていたんでそれを伝えておきますね」

「わかった、ありがとな」


 言って浅木は外に出ようとする。


「いってらっしゃい」


 小林はそう言い浅木を見送る。

 浅木の変化は人として良い方に変化しているように見えるが、逆に極道の世界だとマイナスに動くように思え、小林は少しだけ心配をしながら扉を閉めた。






 浅木は少し早足で待ち合わせ場所まで歩く。

 待ち合わせ時間は夕方の5時。

 あまり明るい時間帯に二人で歩いたりすれば、もし春人や浅木を知る人物に見られると色々と後に勘繰られえるのが嫌だったのだ。

 春人の場合はヤクザと付き合いがあると噂されたらまずいし、浅木の場合は春人といることで浅木の友人として利用されたりしてもまずい。

 そんなことを思っていると、ふと春人のことを考えた。

 本当に春人は変な男だと浅木は思った。

 急に彼から花見を誘われ、最初は驚いたが、なぜか即答で行けると返事をしてしまった。

 よくよく考えればすぐに行けると言った浅木もおかしいのだが。

 そう返事をすると春人は満面な笑みになって、良かったと言い、春人の休みと浅木の行けそうな時間に合わせて行くことになったのだ。あとは連絡先も交換して。

 そこまでしておいて、浅木は柄にもなく緊張していた。

 あまり親しくない人間と二人で花見なんて行ったことがないので、どんな会話をしたらいいか考えながら集合場所に向かう。

 少し息を切らしながら行くと、既に春人は待ち合わせ場所、アキラさんのバーの近くにある川の橋にいた。

 以前、悩んでいた時のように川の流れを見つめていた。

 なんだか懐かし気持ちになる。

 自分が助言したことがきっかけで春人は随分仕事がやりやすくなっている。

 人の為に役に立つことなんて、もう何年もしていない。

 疎まれることばかりで正直あの時、笑顔で感謝された時は何とも言えないくすぐったさと、淡い嬉しさが心の中で広がっていた。

 それから春人が笑顔で仕事をするようになってからは、何となく春人のことが気になってしまい、つい毎日仕事振りを見に行っていたのだ。

 先ほど小林や兄貴分に仕事をしているのかと疑われても仕方ないと思う。

 店周りは一つの店に対して一週間に1、2回のペースで見回っていたのに、すっかり他の店を見に行かず、アキラの店ばかり見に行っていた。

 そんなことを思考しつつ、浅木は春人に声をかけた。


「悪い。遅れた」


 声をかけられた春人はくるっとこちらへと振り返った。

 服装はいつもとあまり変わらない、薄い青色のシャツにグレーのカーディガンを羽織りベージュのパンツ。表情は普段よりリラックスしている気がした。


「あ、お疲れ様です。大丈夫ですよ!」


 笑顔で答える春人に浅木はホッとした気持ちになる。


「すみません、俺の勝手な我儘に付き合ってもらって……」

「いやかまわねぇよ。ただあんまり長くは居られねぇけど」

「そうなんですか?仕事があったんですか?」


 驚いた表情の春人に浅木は静かに頷いた。


「他の店周りをしないといけなくてな」

「あ、そういえばずっとアキラさんの店ばかりいましたよね?あれ、それって俺のせいですか?」


 ズバッと図星を突かれ、浅木は苦笑いをした。


「その通りだよ、お前が不安定だったから落ち着くまで居た方がいいと思ってな」

「すみません、おまけにちょっと前には問題起こしたし」


 落ち込んだ表情で言う春人に浅木は馬鹿野郎と言った。


「お前が気にすることじゃねぇよ。悪いのは暴走したあいつだろう?誰のせいでもねぇ」

「ありがとうございます。浅木さん」


 少し笑みを作り春人は浅木の隣を静かに歩き始めた。

 二人とも黙って川沿いに植えてある桜並木道を見ながら進んでいく。

 人だかりは平日の夕方とはいえ、思っていたより少なく、場所的にも繁華街から少し離れたところにあるということもあって、周りは騒がしくなかった。


「綺麗ですよね」

「……ああ」


 会話が持たず少し気まずくなる。

 二人きりになったが、いまいち会話が盛り上がらず、なぜ春人は浅木を誘ったのかそっちが気になっていた。


「なぁ、なんで俺と花見に行きたいなんて思ったんだ?」


 あまりにも疑問だったので思わず浅木は春人に尋ねた。

 春人は驚いた表情し、そうですよねと言った。


「色々助けてもらって浅木さんと話しているうち、浅木さんってどんな人なのかなって思って、知りたくなって誘いました。こんな理由ダメですか?」


 逆に問われて浅木は言葉が詰まるが、


「いや、ダメじゃねぇけど、一応俺らの関係って借金取りと返す立場だろ?なんか奇妙だなって思ってさ」


 そう言うと春人は確かにと言いながら笑った。


「そうですね、なんだか色んなことがあって浅木さんとの距離が他の人より近くなったせいか、自分の立場を忘れてるのかも」


 アハハハハと笑いその様子に浅木は苦笑した。


「確かにな、俺もついお前だといつもの自分じゃなくなってるかもしれねぇ」

「そうなんですか?」


 嬉しそうに笑む春人に浅木は頷く。


「ここまで人をからかったりしてねぇわ。組に戻れば殆どが年上で兄貴だったり親父だったり、あとは一番最初にお前の親父さんに会いに行った時に連れていった、弟分の小林は年下だけど、ハルみたいな性格じゃないしな」

「俺みたいじゃないって?」

「あまりアホなことをしないっていうか……」


 半笑いしながら言う浅木に春人は少し怒りを露わにした。


「ちょっと酷いですよ、アホって!」

「おまけにガキだよな」

「ちょっと!」


 弄る浅木に春人は対抗しながら軽く彼の腕を叩き合い、からかいあって二人とも笑いあった。

 散々笑い合うと、浅木は息を少し落ち着かせながら口を開いた。


「俺はこんな男だ。どんな人って聞かれてもなんて言っていいかわからないわ」

「俺は最初、浅木さんって冷静な人だと思っていたんです。何事にも動揺しないっていうか」

「そうか?」


 静かに浅木は春人を見つめた。


「だけどこの前の木立さんの件で、冷静に言ってましたけど、浅木さん、怒っているように見えましたけど気のせいだったかなと思って……」

「え?」


 春人に心を読まれていたようで、浅木は少し動揺した。


「あ、ああ。まぁ……だいぶ感情を抑えたんだけどな」

「やっぱり!」


 春人はパっと顔が明るくなり、続けて言った。


「意外と感情的になる人なんだなぁて知って、驚きました!」

「そ、そうか。まぁ、あれは……」


 言って暫く浅木は口籠った。

 怪訝そうに春人は浅木が口を開くのを待つ。


「アキラさんの店をあいつの勝手な行動で壊されたくないって思ってさ」

「え?」

「俺、アキラさんの店に救われたことがあって」

「救われた?」


 以外な発言に春人は目を見開いた。


「極道の世界に入ってすぐの頃だったけど、ちょっと色々悩んでてな、歩いてたらアキラさんの店を見つけて、そこでふらっと店に入ったんだよ」


 日が暮れかけている夕空を見上げながら浅木は話始めた。


「カウンター席に座ってビール頼んで、色々一人考えてたらアキラさんが静かに肉ジャガ出してくれてな。あれ、元気ない時食うと不思議と元気になるんだよな。何が一体入ってんのかなって思うわ」

「わかります、俺も初日、休憩時間に頂きました。すごく美味しくて精神的に疲れてたけどちょっと気力が湧きました」


 ふと初日のことを春人は、あの辛かった思いを思い出していた。


「確かに不思議な食べ物ですよね、アキラさんの肉ジャガ」


 微笑みながら言う春人に浅木は一緒になって笑む。


「だよな、見ると普通の肉ジャガなんだけどな。上手い食べ物は人の気持ちを上げるのかもしれない。肉ジャガ食べ終わったらアキラさんがにっこり笑いながら言うんだ、“何があったかわからないけど、ここでは笑ってお酒を飲むところなの、だからこれ食べて楽しくお酒飲んでよ”って。なに面倒くせえこと言いやがるんだろうって思ったけど、アキラさんと話してたら気分が楽になってな。自然と笑えるようになってた」


 その頃を懐かしむような顔で話を続ける。


「そうしたら丁度うちの組でアキラさんの店のケツモチ担当を決めていたんだけど、みんな嫌がってやらなかったんだ。その時はアキラさんと知り合いになってたし、だから俺が挙手して担当になったんだ」

「なんで嫌なんですか?」


 思わず疑問に思ったことを春人は口にする。浅木はそのまま質問に答えた。


「そりゃあゲイバーだからな。勝手に口説かれるなんて勘違いしてんだろうよ」


 鼻で笑うように言う。

 春人はそういえば、アキラが春人の事を可愛いけどタイプじゃないって言われたことを思い出した。

 誰にだって好みがあって、ゲイだからって男なら誰でもいいわけじゃないことを知ったきっかけだった。


「馬鹿だよなぁ~って思ってさ、あんな強面の奴らなんて相手するかっつーの」


 珍しく組の話をする浅木に春人はちょっと微笑む。

 あまり組の話はしないので(敢えてしないようにしてるかもしれないが)、新鮮な気持ちになった。


「ま、そういう経緯で俺が担当になったんだ。逆に俺になってよかったのかもな。下手したらみかじめ料を上乗せしようとする組員もいるから、それを阻止できてよかったわ」

「そんなことあるんですか?」

「まぁシノギが悪かったらやる奴はいるよ、これ、内緒な」


 こっそりと言う浅木に更に春人は笑った。


「わかりました。言いません」


 珍しく親しさを出してくる浅木に春人は更に嬉しい気持ちになる。

 これは流石に春人の勘違いではなく、浅木は春人に親しみを感じていてくれていると感じた。

 不思議と浅木も楽しそうに自分と会話している。それを見ているのがちょっと嬉しくなっている春人がいた。


「まぁそういう経緯で俺がアキラさんのケツモチしてるんだよ。だからあんな男のせいで店に迷惑かけたくなかったっていうか、ああいう態度になったんだ。店内がちょっと冷めたよな」


 恥ずかしそうに笑う浅木に春人は慌てて否定する。


「そんなことないですよ!かっこよかったです!」

「え、かっこ……」


 予想外の発言で一瞬に恥ずかしさが浅木の中で巡り、口籠ってそれ以上続けられなかった。

 迷惑客を追い払う姿をかっこいいって言われたのは、この世界に入って初めてじゃないだろうか?思わず浅木は過去を思い巡らしてみるが思い出せなかった。


「お、お前なぁ……」


 戸惑いながら言いかけたが、春人の無邪気な笑顔で見つめられ、一瞬に毒気がなくなってそれ以上続ける気が失せた。

 春人の真っすぐな言葉や表情に、浅木は正直翻弄されているのを最近実感していた。

 あまり聞きなれない誉め言葉や真っすぐで素直な感想、話。

 常にお互いの腹の探り合いをしている世界にいて、特に夜の店は色んな人たちの思いが錯綜する中、人間のエゴが見えたり、真実を知ると冷めることばかりが多い中、春人の存在は浅木からして貴重で稀(まれ)で、気づくと心が温かくなることが多かった。

 そして温かな気持ちがやけに新鮮に感じた。


(今まで生きてきた中で初めてかもしれない)


 これが堅気パワーなのかと思ったが、今まで借金を返済に来た奴らは殆ど堅気だったが、春人のような人間はいなかった。

 そう感じると春人の存在が少しずつ他の奴らよりは特別扱いをしたくなる。

 しかしそれは小林に今日指摘されたように、浅木にとってはマズイことだ。

 理解していてもどうしても見守って変な奴らから守ってやらないと、と思ってしまう。

 なぜ保護欲がこんなに駆られるのかわからないが。

 そんなことを考えていると、ふとある出来事を浅木は思い出した。


「実はさ」


 浅木はある話を伝えたくなり、話し始めた。


「ハルが実は、アキラさんのバーで働かない可能性もあったんだぜ」

「え?どういうことですか?」


 そう言われ、春人は驚いた顔で尋ねた。


「俺たちの事務所へ行った日、実はある男がお前のことを二階から見てたらしくてな」

「ある男?」


 春人は少し嫌な予感がした。


「お前のこと気に入ったみたいで、俺が兄貴に借金の書類を書いてもらうって話をしたら、その男が現れてさ、そいつ、組長と仲がいい中国マフィアの一人でさ」

「は?中国マフィア!?」


 急に知らない世界に引き込まれたようで、春人は少し引いてしまう。


「そいつがハルを売ってくれないかって言われたんだ」

「……嘘」


 春人は絶句してそれ以上黙って浅木を見ていた。

 その反応に浅木は心中、苦笑いをしながら続けた。


「でも流石にそれは、お前が可哀そうだと思って一度断ったんだ。もう決まったところで働くから無理だって。でも食い下がらなくて何度か押し問答があったんだけど、向こうがえらい金額で交渉してきたから、傍にいた親父もちょっと迷ったらしくてな」

「………いくらだったんですか?」


 春人は考えたくないが、自分がいくらで売られそうになったのか少し気になった。


「向こうがお前の借金金額を聞いてきたんだ。だから一千万だって言ったら、それだけ払うって」

「え!なんで!?」

「さぁ?そいつの好みなのか、それとも更に高値で他に売るつもりだったのかわからねぇけど、それはハルにとってちょっと気の毒過ぎるなって、俺個人は思ったんだ」

「ちょっとどころじゃないです……」


 春人は今にも泣き出しそうな顔をしている。


「だから実際、そうはならなかっただろう?俺が思わず“この男は年齢27歳ですけどいいですか?”って言ったら、嘘だろうってがっかりしてて、高校生くらいだと思ったって言われた。それでその歳だったらいらないって。年齢には勝てねぇよな?」


 笑いながら言う浅木に少しモヤモヤしたが、どっちにしろ、その話がなくなって春人は安堵する。


「よかった。俺、27歳で……」

「反応するとこそこかよ?まぁ、何があってもお前を中国マフィアには売らせねぇけどな」

「……本当ですか?」


 先ほど笑われたせいか春人は浅木を訝しげに見た。


「おい、疑うのかよ。俺はこれでも同情してるんだぜ?お前の親父さんが作った借金で、親父さんが主体になって借金を払わないといけなかったのに、お前が肩代わりする羽目になったんだ。挙句に人に買われるなんて不幸すぎるなと思ってさ」


 そう言われ、あの待ち時間にはそんな出来事があったとは驚きであり、そしてまさか最初から助けられていたのかと知ると、少し春人は動揺した。


「そ、そうなんですか」

「そうだよ、少しは感謝してくれよ」

「……そうですね、ありがとうございます」


 思わず勢いで春人は感謝したが、なぜだかわだかまりがあるのはなぜだろう?

 突如、急に浅木のスマホのアラームが鳴り出す。

 その音で二人とも現実に戻された。


「あ、俺、そろそろ行くわ」

「はい、忙しいところ付き合わせてしまってすみませんでした」


 困った顔で言われ浅木は苦笑した。


「ば~か、いいよ。俺の方こそ短い時間で悪かったな」

「いいえ、浅木さんに実は救われていた話も聞けたので良かったです」

「……そうかよ」


 救われていたと再度言われ、浅木は再び胸がむず痒くなる気持ちになる。

 本気で言っているのか最初は疑ったが、真っすぐな目で言われるとそれが嘘に思えなかった。

 いや、思いたくないと思っているのかもしれない。

 そんなことを思っていると、春人が笑顔で言った。


「他の店周り行くんでしょう?行ってきて下さい」

「ああ、わかった。またなハル」


 久々に名前を出すと春人は嬉しそうに笑った。


「はい!また店で待ってます!」


 また浅木の心が揺れた。

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