8:感情と現実のギャップ
先ほど起きた出来事が春人の中でずっと何度も繰り返し、頭の中で回る。
橋の上で浅木からいろんなことを伝えられた春人は、どうしてよいかわからず、ずっと黙ったままでいると、浅木は気まずそうな表情になり、
「俺、別の店行くわ。じゃあな」
そう言ってそっけなく春人に背を向けた。
春人はその場で立ち尽くし、声をかける勇気もなく、浅木が見えなくなっても茫然としていた。
何分かその場にいたが、やがて我に返った後、春人は慌てて店に行き仕事を始めるが、困惑のあまり、皿を一生洗っているんじゃないかっていうぐらい、ずっと夢中になって洗っていた。
その姿を見たアキラは不思議そうに話しかけてくる。
「ハ、ハルちゃん?どうしたの?何回も同じ皿を洗って…そんなに汚れてた?」
「え?そ、そうですね。なかなか汚れが落ちなくて……」
そう言いながら洗い終えた皿を隣に置いた。
「大丈夫?疲れているの?」
「え?いや、疲れてないですけど……」
しかし春人の表情が浮かないのでアキラは心配する。
「何かあったの?また変なお客さんに絡まれてる?」
「絡まれる……客じゃないんですけど」
「え?どういう意味?」
問いかけるとアキラを呼ぶ声が聞こえてきた。
「アキラさん!俺ビール飲みたい!」
高崎がそう注文しアキラは慌てて対応した。
「ハルちゃん、後で話聞かせてね」
ポンッと春人の肩を叩くと、ビールを取りに行ってしまい、春人は再び皿やグラスを洗い始めた。
閉店時間になったので終了する準備をしつつ、春人はお客さんを店から出した。
最後までカウンター席で飲んでいた高崎は眼鏡を静かに上げつつ、ちらっと春人を見て声をかけた。
「そういえばさ、あのチンピラ最近見かけないね」
「チンピラ?」
聞かれたが、頭がぼおっとしている春人はいまいちピンっとこず悩んでいると、
「浅木だよ」
名前を言われて春人は少し動揺した。
「あ、さ、さぁ?他の店を周るのが忙しいんじゃないんですか?」
「ハルちゃん知らないの?」
「し、知らないですよ。別に友達ってわけじゃ……」
「そうなんだ、なんか最近仲良さそうだったし、友人関係ぐらいにはなってるのかなって思ったんだよね」
「………」
春人はそれ以上何も言わず、ありがとございましたと言いながらカウンターへと引っ込む。
その光景を高崎は怪訝そうに視線を送りつつ店を出たが、アキラは高崎の姿を見送ると店を閉めた。
「ちょっと遅いけど、何があったか聞いてもいい?」
二人とも帰る準備を終えてから、改めてアキラは心配そうに春人に尋ねる。
迷惑をかけているようで、春人は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「…実は、その……」
「何?」
アキラは静かに春人の言葉を待った。
「……告白されたんです」
「え?誰に!?別のお客?」
「あ、お客じゃないです、その……」
名前を口にするのがかなり躊躇う。でも言わなければならない。
「……さぎさんなんです」
かなり小さな声で言う。
「ん?なんて?」
再度アキラは尋ねた。
「浅木さんなんです」
「え!!」
驚きのあまりアキラは近くにあった椅子を吐き飛ばしてしまった。
「嘘でしょ!?」
アキラは信じられないらしく春人を凝視する。
「いや、嘘じゃないんです。あと、彼は男性が好きなんだって言ってました……」
そういうとアキラは、ハッとした顔をした。
「そう、知ってしまったのね、彼がゲイだって」
「え?アキラさん知ってたんですか?」
「ま、まぁ。だから彼がここの担当になったって言ってたけど。他の組員がみんな嫌がってたから、自分が名乗り出たって」
その話は春人も聞いていたので知っていたが、まさかアキラも知っていたとは驚いた。
「そうなんですね」
「ごめんなさい、彼は誰にでも自分のことを話す人じゃないから、多分人を選んで話していると思うの。浅木さんが初めてここへ来た時、自分はゲイだけどヤクザだって言っていて、今後上手くやっていけるか悩んでたから話を聞いてあげたりしたの。その後、この店のケツモチになったってここへ来たのよね」
「……そうなんですか」
確かここへ初めてきた時の話は少し聞いたことがあった。
悩んでいてふらっとここへ入ったって。
その悩みがヤクザの世界と自分の性で悩んでいたのかと思うと、春人は切ない気持ちになった。
そんなことを思っているとアキラは疑わしそうに尋ねてきた。
「でも…本当に彼、あなたのことを好きって言ったの?」
なぜかアキラは信じられないようで、春人は逆に驚く。
「本当です!俺がちょっと落ち込んでいて、その時にいじけたようなことを言ってしまって……」
「いじける?」
「まぁちょっと色々あって、自分を好きになってくれる人なんていないんだって愚痴ったら、急に浅木さんがお前のことを好きな奴はいるって、それはお前の目の前の男だって」
「え?」
驚きアキラは口を軽く指で押えた。
「そうしたら俺が、俺は男ですよ?って聞き返したら、浅木さん、俺は男が好きなんだって言われてしまって……」
アキラは静かに聞いていたが、一つ溜息を吐いた。
「そうだったの、驚いたわ……まさかあなたのことを好きになるなんて」
何度も言うアキラの言葉に春人は疑問に思う。
「……俺だと珍しいんですか?」
「そうじゃなくてね、浅木さんは綺麗な男の人が好きなのよ。見た目重視というか」
そう言われると春人は複雑な気持ちになりながらも、少しだけ傷ついた。
確かに自分はイケメンでもなく普通だ。どこからどう見ても。
昔浅木が言っていた、素人っぽいって奴ってことなのだろうか。
どちらにしても、見た目重視の浅木がなぜ自分を好きになったのか、更に謎が深まる。
「じゃあなんで普通の俺を好きになったんですか?」
「………」
アキラは黙り込む。
春人はこの沈黙が少しだけ緊張した。
「本気ってことなのかしらね?」
「え?」
春人は更に戸惑ってしまった。
本気で好きになられても自分はどうしたらよいかわからない。
年も近いから友人のような兄のような気持ちでいたので、どうしてこんなことになってしまったのか、春人も全くわからなく混乱した。
「本気って…俺、どうしていいかわかりません」
「そうよね、わかってる。だからどうしてハルちゃんに伝えたのかちょっと彼らしくないなって思って……」
「………」
浅木の全てを把握してるわけじゃないので春人もわからないが、なぜ自分に気持ちを伝えたのかわからない。
春人が自分を好きになる相手なんていないと言ったから、自分に気持ちを伝えたのだろうか?
真意はわからないが、どっちにしたって春人は戸惑うばかりだ。
「アキラさん、俺、どうしたらいいんですか?」
うろたえる春人を見てアキラはじっと彼を凝視した。
「色々思うことはあるけど、どちらにしても彼がヤクザだということは忘れていないわよね?」
ぐっと釘を刺されたような気がしたが、すっと春人は落ち着いた表情になる。
「わかってます」
「それを踏まえて考えなさいね」
言われ春人は再び現実に戻った気持ちになる。
ずっとアキラから言われ続けた、現実話。
それを考えると春人は複雑な気持ちになるのだ。
浅木がヤクザである以上、告白されようとも、彼との距離を近づけるのは色々問題がある。
問題があるとわかっていても、春人の中で、友人関係になるぐらいはいいんじゃないかって思っている。
アキラに怒られる覚悟で。
それだけ一緒に居て楽しい気持ちが芽生え始めていたのだ。
勿論、知らない世界に放り込まれて戸惑っていたから、手助けしてくれた相手に心許してるだけだと思うが、花見に行った時に話してくれた話が春人の中で、この人は心底悪じゃないんじゃないかと思ったのだ。
そして自分が落ち込んでいた時に伝えれられた気持ち。
彼は冗談では言わないと言った。そしてその目は本当に真剣だった。
冷静に考えてみれば、利用する為にノンケの春人に気持ちを伝えるのは、逆効果だしリスクが大きいと思う。
それなのに伝えてきたということは、
(やっぱり本当に俺のことを好きってこと?)
色々思考しているとふっと春人はあることに気づいた。
必死に、ヤクザなんだからダメだとか言い訳を考えながら、でも本音は浅木と親しくなりたがっている自分がいるのだ。
どこかで浅木のことを嫌いになれず、必死に良いところを探し、親しくなるきっかけを見つけようとしているのだと。
(けどこれは恋愛感情じゃないし、どう対応したらいいんだろう)
悩みながら春人は、自室へと帰宅した。
次の日、店が始まって30分くらいしてからだろうか、浅木は小林を引き連れて店内へと入って来た。
浅木を見た瞬間、春人は少しだけ胸が騒ぎ、動揺する。
「あ、浅木さん、こんばんは」
「よお」
短めに挨拶をし、
「アキラさんいる?」
そう尋ねられ春人は慌ててアキラを呼びに行く。
「何?浅木さん」
スタッフルームから出てきたアキラに浅木は早速話し始めた。
「実は俺、他の店が忙しくなってこっちまで手が回らないかもしれなくてさ、わりぃけど、しばらく小林がこの店の担当になったから」
「え?」
アキラ、春人も一瞬驚き小林を見た。
「すみません、そういうことなんで宜しくお願いします」
頭をペコっと下げ小林は挨拶をする。
驚き思わず春人は浅木に尋ねた。
「担当が変わったわけじゃないんですよね?」
「あ、ああ。しばらくの間だけだ」
ぎこちなく返答する浅木に春人は不信に思う。
本当にそうなのだろうかと。
「と、いうわけで、今日から小林がここを見るのでよろしくな」
そう言い浅木はアキラへと顔を向ける。
「そういうことなのですみませんが、お願いします」
一つ溜息をアキラは吐いたが、わかったわと言った。
「他の店で頑張ってね、小林君、よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
アキラの言葉に小林は挨拶をした。
その様子を見ていた浅木は口を開く。
「細かいことはもう小林には伝えてあるので、俺はこれで失礼します。小林、すまねぇな」
ポンっと浅木は小林の肩を叩き、そのまま店を出て行った。
まるでその場にいるのが気まずいかのように。
気になった春人は慌てて一緒に店を出て追いかけた。
「浅木さん!」
そのままスタスタ歩いていく浅木を思わず春人は呼び止めた。
呼ばれた浅木は、背を向けたまま立ち止まる。
「俺のせいですか?ここの担当辞めたの」
「馬鹿か、辞めてねぇよ!俺はマジで忙しいんだよ」
少しきつめの言葉で返されるが、春人は信じられなかった。
「でも……」
「俺は仕事でここに来てるんだ、お前のことなんて関係ねぇよ」
浅木は振り返り、冷たい視線で春人を見据え、続けた。
「ここは俺の組がケツモチしてる店だ。だから俺が行けない分、弟分の小林に行かせることが何が悪いんだよ?」
「………」
浅木の言葉に春人は黙って悲しい目で見つめる。
その視線に浅木は軽く舌打ちをすると、春人を背に歩いて行った。
一度もこちらには振り返らず。
春人は静かに立ち尽くし見ていたが、やがてゆっくりと店に戻っていった。
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