4:錯綜する思い
次の日、浅木は何事もなくやってきた。
春人は少し気になりながら目線を送っていたが、静かに客たちを見ながら、カウンターの角でビールを飲んでいるばかりだ。
「ハルちゃん、どうしたのよ?」
隣に立っていたアキラが声をかける。
「いいえ何でもないですよ」
「そう?なんだか元気ないみたいだから」
「そんことないですよ!ちょっと疲れてるのかな?」
笑む春人にアキラはそう?と言いながら一緒に笑った。
「ならいいんだけど、また何か悩みがあったら言ってね?私で良ければ聞くから」
アキラの優しさに甘えそうになるが、ぐっと我慢をする。
「ありがとうございます。だいじょうぶ……」
そう言いかけた時だった。
「ハル君!注文したいんだけど!」
毎日来ている常連の木立が、テーブル席に座って春人を呼んでいた。
「は、はい!今行きます!」
春人は木立の呼びかけに少し溜息を吐いた。
今唯一の悩みの種の客だ。
セクハラ客の一人だった木立は、最近上手くかわすことを覚えた春人に触れられないせいか、少し苛立っている節があった。
行く店を間違えているんじゃないかと思う時もあるが(ここはお触りバーではない)邪見には扱えない。
一呼吸吐くと木立の方へと注文票を持って向かった。
「何を飲まれますか?」
尋ねるや否や、木立は春人の腕を掴む。
「ねぇ、そんなことより俺の隣に座ってよ」
「え?あ、あの、まだ仕事中なので」
「仕事じゃなきゃあ座ってくれるの?」
「あの、そういうことじゃ……」
いつもより随分強引に思える。
どうしたのだろうと思いながら慌てて春人は腕を引こうとしたが、捕まえたまま離さない。
小太りの割には腕力だけは強いのはなぜなんだろう?
どうでもいいことが頭を過ったが、しかし今日の木立はいつもの木立じゃなかった。
目つきもいつもより鋭くなっている気がする。
「あ、木立さん、すみません、腕を離してくれませんか?」
「俺の言うことを聞いてくれたら離すよ」
「え?」
急にどうしてこんなことを言い出すのかわからず、春人はただ困惑する。
ちらりと浅木を見るが、今回は静かにこちらを見ているだけだ。
(なんで今回に限って助けてくれないんだろう?)
どうしていいかわからず春人は必死に木立を説得した。
「すみません、これでは仕事に戻れません」
「いいよ、あとはきっとアキラさんがやってくれるよ」
「俺はサボるわけにはいきません。理由があってここで働いているので…」
そう言うと木立はぴくっと動き春人をじっと見つめて尋ねた。
「ある理由って?」
「そ、それはちょっと……」
「……もしかして借金?」
「え?」
驚き春人は木立を見つめた。
「ハル君の前に何人も借金を返しにここへ来てるんだよ。だいたい来るのはみんなノンケな奴らばかりだからすぐわかる。ひょっとしてハル君もそうなのかって思ってた。おまけに……」
「なんですか?」
勿体ぶったように木立は言う。
「やたらとあのチンピラに監視されてるしね」
言って木立の視線は浅木へと向けた。
思わず釣られて春人も彼を見る。しかし変わらず浅木は座ってこちらを見ているだけだった。
(どうして今回は動いてくれないんだろう?昨日のことが気にしているんだろうか?)
困っていると春人の耳元に近づきひそひそ声で言う。
「よかったら俺、その借金の肩代わりするよ?」
「え?」
一瞬、春人は木立が言っている意味がわからなかった。
「どうしてそんな…」
「だって俺、ハル君のこと好きだし、ハル君の為にできることしたいなぁって」
「いや、それは結構です」
なぜだが悪魔の囁きに思え、春人は慌てて断った。
「どうして?俺、結構金持ってるんだよ?」
見た目は小太りで目が細く、服装を見てもファストファッションで購入した服を着用している姿は、あまり裕福には見えなかった。
「見た目で判断してるよね?」
春人の心を見透かされ思わず視線を逸らした。
「俺はあまり服装には興味ないだけ、IT起業を起こしていてね、その社長やってんの」
そう言うと、すっと名刺を渡された。
そこには確かにIT企業?の名前が書かれた会社名のところに、社長と記されていた。
あまりITには詳しくないので会社名を教えられてもなんとも言えないが、しかしだからと言ってお願いしますとは言えない。
何が怖いかと言うと、借金を借りた後の見返りが恐ろしいのだ。
春人は少し喉を鳴らしゆっくりと口を開いた。
「あの…お気持ちは有難いのですが、気持ちだけ受け取っておきます」
「なんで?借金、今すぐ返せれるんだよ?」
「借金の金額知った上で言ってますか?」
「いくら?」
さらっと尋ねられ春人は少したじろぐ。
「……一千万円です」
「ふ~ん、大した金額じゃないよ。今すぐにでも返せるよ」
嘘だろうと春人は思った。
本当にこの男はIT社長なのか?
疑わしく思うが実際本物だったとしても、彼の申し出を承諾するわけない。
「いや、本当に大丈夫です。俺自身で返します」
「……あいつにいいように働かせられてるんだろう?」
再び木立の視線が浅木を見る。
「あいつはただのヤクザ、チンピラだよ。ハル君の体なんて無視して壊れるまで働かせるつもりだ。まだ利息分が足りないとか言ってさ」
木立は春人を見つめ誘惑しようとしている。
「金さえなくなればハル君は自由の身だよ?」
ニヤリと嫌な笑みに少しだけ春人は寒気を感じる。
「ちなみに……もし、借金を貸して貰えたら俺、何かしないといけないんですか?」
覗き込むように見つめると木立は嬉しそうに笑いながら言った。
「それは…ハル君の気持ちを俺にくれたら最高だけどね」
木立の本音を聞いて春人はやっぱりと納得した。
そりゃあそうだろうなと心中呟きながら。
そうでなければ一千万なんて金額を払うなんて言わないだろう。
ただそれが本当に払えるのか、まだ疑わしく思ってはいる。
そう思った矢先だった。
「木立さん、相変わらずこいつに執着してんね?」
気づくと春人のすぐ隣に黒スーツを着た浅木が立ち、木立を睨んでいた。
「あ、浅木さん!」
「こいつは俺んとこで働いてんだよ、あんたは関与しないでくれ」
「何言ってんの?あんたは金さえ貰えればハル君いらないだろう?」
「は?」
浅木は少し苛立った口調で言う。
「俺が肩代わりするって言ってんの。ハル君からOK貰えれば今でもすぐに払えるよ?」
「………」
浅木は木立を睨みながら黙り込んだ。
そして木立の視線は春人へと向けられる。
「どうする?ハル君、今すぐ君を開放できるよ?」
ニヤニヤしながら言う木立に薄気味悪さを感じたが、春人は一旦真顔になり、すっと頭を深々と下げた。
その様子を見た浅木は一瞬言葉を失った。
「お、お前……まさか」
言いかけた時だった。
「ごめんなさい、木立さん。気持ちだけ受け取ります。この借金は俺が引き受けた物なので俺自身が返さないと意味がないので。だからすみません」
「え……?」
木立の表情が満面の笑みからみるみると引きつった顔になる。
「なんで、ハル君!?」
「すみません、あなたにご迷惑はかけられないし、俺はこの仕事で頑張りたいと思っているんです。アキラさんは優しいし、それに…」
言って浅木を見る。
「浅木さんもなんだかんだ言って優しいので」
「………」
春人は必死に笑顔を作り木立の申し出を断った。
引きつらせた顔を隠すこともなく体をブルブル震わせながら、木立は再び春人を捕まえた。
「俺に従わないのか!?」
「木立さん?」
驚きのあまり春人は動けなくなる。
先ほどの表情と打って変わって鬼の形相になっていたのだ。
「俺の言うことを聞いていれば自由になれるのに!」
顔を殴りかかろうとした瞬間、春人はふっと後ろに引かれ床に転ばされた。
ドンっと軽く床に転がるが、見上げると浅木が変わりに木立の目の前に立ち、木立の胸倉を掴んでいた。
「おい、俺がケツモチしてる店の店員に何すんだよ?」
静かな口調で言う浅木はやけに凄みがあり、木立は若干弱気になった。
「ひっ!何するんだよ、このチンピラ!俺は客だぞ!」
「うるせぇ、ここはハッテン場じゃねぇんだよ。ちゃんとしたバーで、酒飲んで楽しむ場所なんだよ。てめぇの好き勝手にはさせねぇよ」
こっちへ来いよと言いながら、浅木は木立の首根っこを掴みズルズルと出入口へと向かう。
木立はやめろ!離せ!と喚き散らしているが、そのまま木立を捕まえたまま浅木も一緒に外に出て扉を閉めた。
しばらくはシンと静まり返り、その場に立ち尽くし、店内には音楽だけが流れていた。
木立を掴んだまま浅木は店を出ると、突き飛ばすように木立を離した。
「これ以上、長谷部に付きまとって店に迷惑かけるなら、組全員でお前をボコるからな?」
「な、なんだよ!このチンピラが!!」
唾を飛ばしながら言い返す木立に、浅木はこれ以上春人に係わらせないように更に釘を刺した。
「もしストーカーでもしようもんならお前、同じく組の仲間呼んでボコるからな?覚悟しておけよ」
浅木は睨みつけて言うと、木立は歯ぎしりをしながら体を震わせた。そして驚くようなことを口走った。
「お前とハル君、一体どんな関係なんだ?」
「は、はあ?」
突然の驚く質問内容に浅木はしばらく木立を凝視してしまった。
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