3:下の名前
浅木のアドバイスのおかげで春人は少しずつだが、セクハラをする客に対して上手くかわせるようになった。
態度の変化に客たちも驚き見つめられていたが、春人は少しだけ小気味良く感じる。
カウンターの端から様子を見ていた浅木は、ビールを飲みながら客席から気分良く帰ってきた春人に声をかける。
「上手くやれるようになったじゃねぇか」
「そうなんです!」
笑顔でそう言う春人を見て、浅木は少し心が温かくなるのを感じた。
「よかったな、これで思う存分長く働けるな!」
「ちょっとやめて下さいよ」
困惑する春人を見て、浅木は少し面白くなり、更にからかいたい衝動に駆られた。
「それにしてもお前が俺と一つしか年齢が違うなんて思えねぇな」
「え、一つ?浅木さんは俺より年上ですか?もしかして年下?でもなんで知ってるんですか?」
驚いて春人は浅木に尋ねた。
「お前より一つ上、28歳だよ。事務所に来た時、書類にお前の生年月日を見て知ったんだよ」
「あ、そうか。なんだ、年齢近かったんですね!」
感心する春人に、浅木は更に悪戯心が芽生える。
春人を弄ると面白い反応をしてくれるので、ついつい怒らせるようなことを言ってしまうのだ。
「だけど一つしか違わないなんて思えないほどお前はガキだよな?」
「すみませんね、俺は世間知らずのガキです」
むすっとする春人に浅木は少し笑いながらフォローも入れた。
「けどおかげで今は更に客と上手く対応できるようになったじゃねぇか?大人になったんだよ!」
「それって褒められてます?」
「褒めてるよ!」
それでもまだ笑っている浅木に春人はちょっと意地悪さを感じたが、笑っている彼の意外な姿にちょっと嬉しい気持ちになる。
浅木の見た目は端正で冷静な感じがしクールに見えるが、笑うととてもヤクザとは思えないほど優しい人に見える。
本人の職業としてのプライドがあるからそのことは伝えてないが、本当は良い人なんじゃないかって錯覚すらしてしまう。
こんな風に話せるなんてまるで友達のようだし、初めて会った時のような、冷たく怖い印象が実は日々消え始めていた。
今でこそセクハラをだいぶ自身で回避できるようになったが、以前はセクハラに合いそうになるとすっと浅木が現れ助けてくれていたのだ。
春人と客の対応を見て動いているのだと思うが、それにしても動く判断を瞬時に判断できる浅木は地頭が良い男なのだと思う。
だからこそ思うのだ。
(なんでヤクザをしているんだろう?)
まだそこまで深い話をするまでの関係じゃないし、一応借金取りと返す側の立場なのでそういう話はしないが、気になるとこではあった。
見た目もいいし、大手企業のサラリーマンをしていてもおかしくない感じはした。
そう思いながら春人は浅木を見ていたが、ふと視線に何かを感じたのか、浅木は怪訝そうな表情になって尋ねてきた。
「なんだよ、何か言いたそうだな?」
「別に何もないですよ、いつもそうやって意地悪を言われるので次は何言われるのかなって思って」
ニヤリと笑む浅木はそうかよと言う。
「よくわかってんじゃねぇか。そうだよ、お前をどうからかってやるか、毎回考えてんだよ」
「なんですか、それ……」
少し俯くが、ちらりと浅木を見ると再び笑顔になっている。
春人は浅木が本当はどんな人なんだろうと知りたい気持ちが芽生え始めていた。
そんなやり取りを見ていた、カウンター席でほぼ毎晩通ってくる、常連客の高崎はアキラに尋ねた。
「あの二人、随分と仲良くなってない?」
「そうね、私もそれ感じていたけど、年もそんなに変わらないから親しくなったのかしらね?」
アキラも不思議そうな顔で高崎の意見に頷く。
高崎は少し身を乗り出しアキラへひそひそと話す。
「何かあったの?」
「いいえ、知らないわ。ただ……」
「ただ?」
少し思い出すような仕草をアキラはした。
「悩みを彼に話して、それで解決したって言ってたわ」
「悩み?」
驚いた表情で高崎は返した。
「そう、何の悩みかは教えてくれなかったけど、適切なアドバイスだったみたいよ」
「へぇ~」
相変わらず楽しそうに話している二人を見ながら、高崎は色々と思考していた。
「最近ハルちゃん、ちょっと変わったよなぁ~」
高崎は先ほどの春人と浅木のやり取りを思い出し、カウンター越しに立っている春人に声をかけた。
「そうですか?変わったってどんな感じです?」
そう尋ねる春人に眼鏡を少し上げた高崎は、彼をじっと見つめながら答えた。
「なんていうか…初々しさがなくなったっていうか」
「そりゃあここへ来て一ヶ月経っているんですから流石に……」
「でもさぁ~入ってしばらくは、セクハラ常連の奴らに泣いてたよね?」
泣いてはないと思ったが、それは飲み込んで春人は言い返した。
「色々俺も学んだんですよ」
そう言い、ちらりとビールを飲んでいる浅木を見る。
視線に気づいた浅木も静かに頷いた。
二人のやり取りに高崎はおやっと呟く。
「何?あのチンピラとなんかあったの?」
興味津々の高崎に春人は笑みを作りながら言った。
「アドバイスを貰ったんですよ、浅木さんから」
「え?アドバイス!?なんで余計なことを言ったんだよ!」
高崎は傍から聞いていた浅木に声をかけ、文句を言うと春人は慌てて突っ込みをする。
「余計ってどういうことですか!?」
「戸惑ってるハルちゃん、可愛かったのになぁ~って」
ニヤつきながら言う高崎に春人は少し腹を立てたが、スッと浅木が笑いながら割って入って来る。
「アドバイスやらないと死んじゃいそうな顔をしてたから言ったんすよ。今死なれたら借金返せなくなるんでね」
浅木からそう言われ春人はやっぱりかと思いつつ、なんだかがっかりしている自分がいた。
もしかして同情してアドバイスをくれたのかと、少し甘い考えが過ったが、やはり春人を働かせるための行動だったのか。
相手はヤクザだ。
友達でも仕事仲間でもない。それなのに友情が少しでも芽生えたのかと勝手に思った自分が恥ずかしく、そして寂しく感じ、心の中で溜息を吐いた。
「なるほどね~でもまぁ、ハルちゃんがこれからもここに居てくれるなら俺は嬉しいけどね!これからは俺に相談してよ!ハルちゃんの為ならいくらでも聞くよ!」
満面な笑顔で言われ春人は少し引きつつも、嬉しく思った。
「ありがとうございます。また何かあったら相談しますね!」
そういうや否や、浅木は再び二人の間に入り込んだ。
「おい、仕事の相談は俺にしろ!客に相談するってどういうことだよ?」
少し眉間に皺を寄せながら言うので春人は慌てて謝った。
「ご、ごめんなさい。確かに仕事の話をお客に話すなんてダメですよね」
「当たり前だろうが、アキラさんに対しても失礼だぞ!」
なぜこんなに怒りを買ったのか疑問に思いながらも再び浅木に謝るが、
「なんでそんなにムキになるの?別に仕事の相談だけじゃなくて、他の事でもいいんだけどね~」
軽く浅木を睨むように高崎が二人の話に入ってきた。
「ハルちゃん、また暇な時でもいいから飯行こうよ!」
「は、はぁ……変なことしないならいいですよ?」
「変なことしないよ~嫌だなぁ~」
そんなやり取りをしばらくしていたが、黙ってその様子を浅木は睨むように見つめていた。
1時なり春人が店じまいの準備をしていると、フッと浅木が彼の前に立ちはだかった。
春人は丁度出入口に置いてある看板を室内へ入れようと外に出た時だった。
驚いて春人は浅木を見上げる。身長差はいくつあるか知らないが、10㎝以上自分よりは高い気がする。
静かに黙って春人を見つめていた。
「ど、どうしたんですか?」
「……行くのか?高崎さんと飯」
「は?」
春人が看板を持って中へ入れようとしたが、浅木が変わりにその看板を持ち、そっと店内の中へとしまい、再び外へと出てきた。
「は?じゃねぇよ、行くのかって聞いてんだよ」
「え?さ、さぁ?ノリで言ってるんじゃないんですか?」
「ノリねぇ。高崎さんは結構お前のこと、気に入ってる感じするけど」
「え?そうですか?」
「そうですかってお前気づいてないのか?」
心底呆れた表情で言う浅木に春人は戸惑った表情で返した。
「だって高崎さんは気楽に話せる唯一のお客さんだと思っていたので、気に入ってるって言っても多分、向こうもそういう感じじゃないんですか?」
「俺はそうは思ってねぇけどな」
「え?大丈夫ですって。変なことしないならいいですよって言ったので、変なことはしないんじゃないんですか?したら俺に確実に嫌われるので」
「まぁ……そうだな」
春人の言葉に納得したのか、少し考えてから頷く。
「それに俺がゲイじゃないって知ってますから、もし向こうが俺に気持ちがあっても俺が落ちることはないことは理解していると思いますよ」
「……そうだな」
春人の返答に浅木はハッとした表情になったように見えたが、すぐに元の表情に戻る。
「俺が気にし過ぎてたわ、すまんな」
「いいえ、俺が最初、散々不安そうだったから気にしてくれたんですよね?」
「まぁ……な」
浅木は少しだけ口籠りながら言った。
「すみません、心配かけて…」
申し訳ないような表情で春人は言い、店の中へ入ろうとすると、
「……あのさ」
春人が浅木に背を向けた時、声をかけられる。
軽く咳払いもしているようだ。
「なんですか?」
「お前とさ年齢もさほど変わらないし、お前のこと、ハルって呼んでもいいか?」
「え?」
急にハルと呼びたいと言われ、春人は困惑して答えることができなかった。
なぜ呼びたいと思ったのか、何の心境の変化なのか?向こうは自分のことを働かせる道具としか思っていないはずなのに。
春人の驚いている様子を目にした瞬間、浅木は頭を掻きながらわりいとすぐに謝ってきた。
「何言ってんだろうな、ごめん、忘れてくれ。俺はヤクザでお前の監視役だしな」
少しバツが悪そう答えるので春人は思わず否定した。
「あ、あの、ハルって呼んでもらってもいいです。急に言われたので俺、ちょっとびっくりして」
「あ、いいよ。名前で呼ぶなんておかしいわな」
気まずそうに浅木は自分が言ったことを否定しようとしている。
春人は戸惑いながらも、必死に彼が希望したことを賛同しようとした。
「なぜですか?アキラさんも高崎さんも俺のことハルって呼んでるじゃないですか?」
「いや、高崎さんと俺との立場は違う。変だよな」
「変って……」
「俺帰るわ。じゃあまた明日な」
「浅木さん!」
春人は必死に呼びかけたが、浅木は背中を見せたまま帰って行ってしまった。
それが酷く寂しそうに見えて、春人はしばらく佇んで見送るしかなかった。
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