第3話 何もかも上手くいかない気がした

 次の日はもうすこぶる調子が良くて、休憩を取りながらお姉ちゃんとゲームしたり、ナンプレをしたり料理を作ったりして、本当に幸せな時間を過ごした。


 約束通りお姉ちゃんは私以外の人と一言も話したりせず、何なら両親とも一切口を聞かず、私にぴったりくっついていてくれた。


 それでやっぱり、お姉ちゃんが浮気してるって言うのは私の勘違いだったんじゃないかと思えて来て、実はあのカフェで見たのはお姉ちゃんのそっくりさんだったとか、実はキスしてるように見せかけて口元の泡を取ってただけだとか、ポジティブな思考になっていった。


 それからもう一日経った休日。


 昨日は夜遅くまでお姉ちゃんとゲームをしていたから眠くてついつい寝過ぎてしまった。


 起きたらもう昼頃で、お姉ちゃんの顔を見たいと部屋に向かうと、何やら部屋の中から話し声が聞こえてくる。


「あ、そういえば友達が遊びに来るって言ってたっけ」


 チャイムとか鳴っただろうによく起きなかったなと思いつつ、挨拶だけしようと部屋の扉を開ける。


「―――え」


 そこには、お姉ちゃんの肩に両手を掛けて、すぐ近くまで迫っている女の姿があった。


 私は反射的にその女をお姉ちゃんから引き剝がし、自分のものだと主張するようにお姉ちゃんの腕を抱き締めた。


 寝起きということもあってつい衝動的な行動に出てしまったが、段々我に返って来て、一先ず事情を聞こうと思ってお姉ちゃんに話し掛けようとした所、抱き着いている腕を勢いよく払いのけられ、


「やめてよ」


 と、困ったような表情で言われた。


「え……」


 世界がぐにゃりと音を立てて歪んでいく感覚がして、吐き気がする。


 お姉ちゃんに迫っていた女が何か言っている気がするが、そんなの耳に入る訳がない。


 お姉ちゃんに拒絶された。


 あの女は良くて、私は駄目なの?


 なんで?なんでなんで?


「もう…やだ」


 これ以上ここにいるのに耐えられなくなって、私は家を飛び出した。


 スリッパのまま家を出たから、死ぬほど走りにくくて、100mも走り切る前に盛大に転んだ。


 もう何もかも上手くいかない気がして、受け身を取って傷ついた手と、地面に摺った膝を押さえながら、鼻水を啜る。


 もうどうしたらいいのか分からなくて、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃで、寝癖も飛び跳ねたままだし、服だって寝間着のまま。


 でも、家には帰りたくない。


 どうしようもなくなって、傷の痛みを我慢しながら歩いていたら、


「待って!!乃々花ちゃん!!」


 後ろから呼び止められた。


 振り返ると、そこにはさっきの女がいた。


「ぁ……」


 何か言おうにも掠れた声が出るだけで、こんな汚い顔を人に見せたくなくて、また背を向けて歩き出そうとしたら、手を掴んで止められた。


「待って!絶対誤解してるから!話だけ聞いて?ね?」




「―――っていうことなの」


「……そうだったんですか…私、お姉ちゃんに拒絶されたんじゃないかって思って…」


 あれから近くの公園のベンチに座り、話を聞いた。


 女の人の名前は杉本すぎもと心美このみと言い、お姉ちゃんと同級生で友人らしい。


 擦りむいた傷口は洗って絆創膏を貼ってくれて、顔を拭くためのハンカチも貸してくれて、泣き止むのを待ってくれた。


「そ。どっちかと言うと拒絶されたのあたしの方だからね?へこむわー。あいつ、意外とスキンシップ苦手な方なのは知ってたけど、良かったー。今まで伊宮の腕抱かなくて。流石のあたしもちょっとへこむぞアレは」


「多分…私の風邪が移ったんだ…」


 さっきお姉ちゃんの肩を杉本さんが掴んでいたのは、お姉ちゃんの具合が悪かったから心配してとのことだったらしい。


 そして、私の腕を払って拒絶したように見えたのは、お姉ちゃんが熱で意識が朦朧としていて、私じゃなくて杉本さんに腕を抱かれたのだと勘違いしていたとのこと。


「って言うか、そっかー」


 何やら杉本さんはニヤニヤと私に笑いかけてくる。


「なんですか?」


「いや、学校だと恋愛ごとに一切興味ないみたいな顔してる伊宮が、実は妹ちゃんと付き合ってたんだなーと思って、さ」


「な、な、なんでそれを!?」


 そこまでは言ってないのに、まさかお姉ちゃんが!?


「空気で分かるって。学校の帰りとか、乃々花ちゃんを待つあいつの顔、マジで乙女みたいな顔してるしさぁ、薄々察してたよね。ふはっ。いやー、青春してますなぁ」


 そう言われると恥ずかしく、顔が熱くなってくる。


 今まで栞さん以外にオープンにしてなかったことだから、からかわれることに耐性がない。


「でもさ、あいつが乃々花ちゃんのこと好きなの、あたしでも分かるくらいあからさまなのにさ。なんであんなに取り乱しちゃったの?なんかあった?」


 そう言われ、気持ちは一気にどん底に。


 話しても、いいのかな。


 他の人だったら嫌だけど、杉本さんはお姉ちゃんの友達だし、良い人なのは確定だし、何となく、この人だったら信用してもいいと思えた。


 だって、私が初対面でここまで話せるなんて珍しいし、自分たちのことを考えてくれてるって言うのが伝わってくるから。


「あの、実は―――」


 私は、三日前に見た浮気現場のことを杉本さんに全部話した。


 すると杉本さんはポカンとした表情で、


「え、姫が浮気?ないない。だってあの子、学校でも永遠に乃々花ちゃんの話してるし、乃々花ちゃんが倒れた日なんてもうありえないくらい動揺して私に相談してきたのよ?死んじゃったらどうしよう!乃々花がいないと私もう生きていけない!って。さっさと風邪薬飲ませてお粥とか飲むものとか用意して、目が覚めてあまりに悪かったら病院連れて行きなさいって言ったんだけど、もうホント普段じゃ考えられないくらい焦ってて一周回って面白かったよ、アレは」


「じゃ、じゃあ、あの時見たのは…」


「十中八九勘違いだと思うから、ちゃんと話しな。あ。って言うか、伊宮のやつ、今頃熱にうなされてるだろうから看病してあげて。私も最低限のことはしたけど、まだ辛いだろうからさ」


「は、はい!何から何まで、ありがとうございます!嫌な態度取ってごめんなさい!」


「気にすんなー。あ、じゃあ今度伊宮も連れて一緒にスポーツセンター行ってくれたらチャラってことで」


「はい!絶対行きます!」


 杉本さんに別れを告げて、私は家まで急いだ。

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