小型自動車たち

「今日も朝のうちに整備点検は終わらせてあるんだ」

 

 湖の怪獣と別れた数日後、その日も二人でブラブラと誰もいない遊園を散策していた。

 彼女は角が丸み帯びた黒い長四角の箱を手に持っている。


──僕が持とうか?


「危ないから触っちゃダメ」


 黒い箱は僕とは反対側へ遠ざけられた。


「ゴーカートって、知ってる?」


──ゴーカート?


「おもちゃの車みたいなものかな」


──足漕ぎ自動車かな?


 数日前にのせてもらったアヒルの足漕ぎボートを思い浮かべる。あいつは人懐っこい顔をしていた。元気だろうか。


「この前のアヒルボートとは違って、電気で動くんだよ」


 あいつの仲間ではなかったようだ。


「ガソリンで動かすタイプもあるけど、子供向けには電気駆動の方が何かと安心でね。静かだし」

 

 気づくと入口ゲート前の広場まで歩いて来ていた。少し前に入ってきた入口ゲートは変わらずひっそりとしている。


「今日はそのゴーカートに乗って遊ぼう。動いてくれれば、の話だけどさ」


 彼女は僕を連れて広場をとおり抜け、入口ゲートの前をとおり、木が生い茂る林の小道へ進んだ。




「やっぱりダメかぁ……」


 林の中のゴーカート乗り場に着いて、彼女は車の整備——、いや、動けるやつがいないか確認し始めた。

 屋根がついた乗り場には小さな二人乗りの小型自動車が数台並んでいた。色とりどりの車体は砂と塵にまみれてくすんでいる。


 彼女は『1』と大きく書かれた赤い車の前ハッチの中や、車体の下をしばらく見ていた。そして、ため息をつきながら僕を振り返る。


「1号車は電気系統が焼き切れちゃってるみたいで……、やっぱりダメだったよ」


 眉尻を下げて、残念そうに赤い車から離れる。


「バッテリーにも繋いで色々試したけど、やっぱりダメだったよ」


 次に青い車へ向かう。


「2号車も動かなくてさ。以前に色々調べたり試したんだけど、原因不明。わたしにはお手上げ」


 青い車を優しく一撫ですると、そいつの中を確認もせず次の緑の車へ向かう。


「3号車は動いてたんだけど、少し前に盗まれちゃった」


 緑の車に向かう途中、彼女がつぶやく。

 今は不在となった小型自動車の兄弟は何色だったのだろう。


「4号車はバッテリーの型が他の子と違ってね。それがどこにあるか、探しても見つからないんだ」


 緑の車体も優しく撫で、その次の黒に近いグレーの車に向かう。なんだか親近感を覚える。ここにある車は、こいつで最後だ。


「5号車はバッテリー切れ」


──そっか。そいつも動かないのか。残念だけど全滅だね。


 彼女はグレーの車体もやさしくポンポンと触り、こっちを向いて「にっ」と笑った。


「そこで、こいつの出番です」


 ……どいつだ?


「あ! 抜くの忘れてた」


 彼女が赤い1号車に戻って前ハッチを開け、中から四角の黒い箱を取り出す。メリーゴーランドから持ってきた黒箱だ。それを持って、最後の5号車に戻ってくる。


「この子専用のバッテリーじゃないけど、これで動く……はず」


 5号車の前ハッチを開けて、持ってきた黒いバッテリーをさす。コードをいくつか抜いたり挿したりして、座席に回った。小さな鍵をさして、ボタンを押す。何度かそれを繰り返す度に5号車が軽い唸り声を上げる。

 しかしそれだけで、一瞬で静かになる。


「うーん、だめかぁ……」


 砂と塵で色褪せてくたびれた車体が少しだけ虚しい。


「せっかくメリーゴーランドの設備でバッテリーフル充電しておいたんだけどな」


 彼女は諦めたのか、ゴーカート乗り場のすぐ脇にある小屋に入っていく。メリーゴーランドの横にある小屋と似ている。

 ここにもきっと冷たい飲み物とおやつが備蓄されているに違いない。


「仕方がない。久しぶりにここの掃除でもするか」


 小屋から出てきた彼女は水が張ったバケツ、雑巾を手にし、ホウキも器用に小脇に抱えていた。メリーゴーランドでよく見るスタイルだ。


──ちょっとだけ残念。ゴーカートとやらに乗ってみたかったな。


「ごめんね。少し前までは5号車はバッテリーさえ入れ替えれば動いたんだけどさ」


 僕は手際よく掃除する彼女を眺める。車体は水拭きと乾拭きを何度か繰り返して、念入りに磨き上げていた。塵や砂が払われて、日に焼けた色彩が浮かんでくる。


「この子たちの整備は、メリーゴーランドの次には得意だったんだけどな」


──いくら丁寧に整備しても、部品は経年劣化で消耗するものだろ。


「掃除も整備も、もっと頻繁にしてればよかった……」


── 一人でできる範囲には限度がある。あのメリーゴーランドはよく動いているよ。僕は木馬たちの不具合も、その兆しもみたことは無い。色はハゲてるけどよく磨かれてるし。


「ふう。これで最後だね。車体の汚れは綺麗になったけど、色落ちしちゃってるな」


 彼女は最後の5号車を磨き終えて、さっぱりした車体を眺めた。

 砂塵が落ちて綺麗にはなったが、彼女が言うとおり色は褪せている。


「ワックスで磨ければもっとピカピカになるんだよ。キラキラのキャンディ塗装、見せてあげたかったな」


 ふと気づく。木馬たちも多少は褪せたりハゲたりはしているが、ここのゴーカートたちよりは鮮やかだ。

 ここのゴーカートにしても観覧車や他の遊具にしても、日光浴が過ぎてひどく色褪せたり、木材なんかは変色してしまっている。けれど、メリーゴーランドだけは、まるで夢の世界の乗り物のように色が残っている。


──もしかして君……、メリーゴーランドの木馬たちは自分で塗り直してるの?


 彼女は僕を振り返って「にっ」と笑った。


「これだけ綺麗にしたら、ご機嫌直してくれるかも」


 そのまま5号車に乗り込み、ボタンを押す。

 キュル……、キュル……。結果はさっきと同じだ。


「もう古いから、やっぱりダメかな……」


 車体がなんとか起動しようとしているのは分かる。


「私が小さい頃は新品でピカピカだったんだよ。動かないのは掃除も整備もおろそかにしたせいかな」


 車体回りをもう一度確認しながら、残念そうにつぶやく。

 

──整備不足のせいだけじゃないさ。きっと経年劣化も大きいよ。


「これでダメだったら帰ろうか」


 彼女が車体や前ハッチの中を再確認して、再び席に座る。

 キュル……、キュルルルルル!!


「あ。かかった!」


 5号車のエンジン音は、なんだか得意気だ。


「ほら、早く乗って」


 ひらりとハンドルを握る彼女の横に乗り込む。座席はちょっと硬い。


「さ、出発するよ」


 彼女が足を踏み込むと、5号車が動き出す。そのままゴーカート用の道路をのんびり走っていく。


 緑に囲まれた道路を道なりに走れば一周して戻って来れるようだ。側面には車がコースからはみ出ないように背の低い壁も設けられている。

 木漏れ日揺らめく木立のアーチの下を、5号車は気持ちよく進んでいく。


 晩夏のまだ温かい風が僕たちを撫でていく。もう少ししたら秋の匂いがし始めるだろう。そろそろ行かないとな。


「風が気持ちいいね」


──そうだね。


 それ以上は特に会話することもなく、僕は流れる景色を楽しんだ。

 そして知らぬ間に眠っていた。




「メリーゴーラウンドに戻って冷たい飲み物でも飲もうか。」


 彼女の声で目を覚ます。コースを3週楽しんだところまでは覚えている。


 戻ったらきっと冷たい麦茶がもらえる。僕の好みはもう彼女に熟知されていた。二人で兄弟たちと掃除用具を仕舞い、ゴーカート乗り場を後にした。


 再び遊園入口ゲートの前の広場を通っていく。土産物屋は相変わらずシャッターが降りていて、砂と塵が溜まっている。拭き上げられる前のゴーカート兄弟たちのように。


 さすがにこれだけ毎日通えば勘づく。数週間前に感じた違和感の正体に。


「お昼は何にしようかね」


──そうだね……、


 とりあえず冷たい麦茶を、と言いかけたとき、僕は急激なめまいに襲われた。

 くそっ、こんな歩いてる最中に——。

 

 無理だ。立っていられない。


 睡魔に引きずられ、僕は崩れ落ちた。


「……!、……!!」


 彼女の声は、閉じていく意識では聞き取れない。

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