木造やぐら/怪獣
その夜は線路の高架下で過ごした。
終電の後は静かだし、高架下は少しだけ涼しくて、何より人がいないのが快適だ。
夜が明け、人が駅に大挙する朝の時間も過ぎ日がそこそこ昇ると、なんとなく遊園にまた来てしまった。他に行く場所もないので仕方がない。
無人の入口ゲートと広場を通り過ぎて、箱が等間隔にぶら下がった巨大車輪の前まで来る。これも何かの乗り物なのだろう。
じっと眺めると、巨大車輪の車軸はいたるところが錆付いていた。ぶら下がっている箱も、強めの風が吹けばきいきいと音をたてそうだ。大分年季が入っている。彼女はこいつも整備したり、動したり出来るのだろうか。
巨大車輪の股下をくぐり抜けて、その先から奥へ続くお店通りにでる。昨晩の営業が終わったのだろう。どの店も、手前の広場の店たちと同じようにシャッターが降りている。
ここまでで、何か……、何か、違和感を覚える……気がする。
けれど、具体的に何かは分からない。気にはなるが、今は通り過ぎるしかない。
お店通りを少し歩いて、右へ曲がる。昨日と同じように、天井からブランコがつり下がった円形施設とカップが設置された円形施設の脇を通って、さらに奥へ進む。
木馬たちが回転する円形施設、メリーゴーランドが見えてきた。
今日もいた。彼女は馬たちの拭き掃除をしている。
傍らには水で満たされたバケツが置いてあった。水は濁っている。昨日掃除してた時間と比べると大分早いが、既に掃除はほとんど終わっているようだ。
「今日も来てくれたんだね。もう少ししたら試運転するから、乗らない?」
──そうだね。乗せてもらおうか。
残りの掃除の邪魔にならないよう、メリーゴーランドの端に腰を掛けて待つ。
初夏の少し緑の匂いを含んださわやかな風が僕を撫でていく。
そうしていると、彼女が水で満たされたバケツを両手で持ってやってきた。
──重いだろう。手伝おうか。
手を差し出そうとして……、
「お待たせ! 好きなところに座ってね」
彼女は通り過ぎて行った。
僕は心の中で差し出した手を、心の中でひっこめた。
小屋へ向かった彼女は掃除用具を片づけ、試運転のためにメリーゴーランドを操作する機械を触るだろう。
僕は木馬たちと馬車を見比べた。
「今日は馬の方に乗ってみるの? 動かない馬車よりも面白いけど、上下に動くから気を付けてね」
木馬に乗ろうとしていた僕に遠くから声がかかる。彼女が小屋のガラス窓を開けてこちらを見ていた。
──こいつの乗り心地や、ここから見える風景がどんなものか気になってね。
「準備はいいかな? じゃあ、動かすよ」
すぐにメリーゴーランドがゆっくり、ゆっくりと動き出す。彼女も素早く駆け寄ってきて、回り始めたメリーゴーランドに飛び乗った。
木馬がゆっくり走り出す。上下にゆれながら。
回転はだんだん早くなってきた。上下に揺られるのはゆりかごに揺られるのに似ているかもしれない。ゆりかごに揺られたことは無いから想像だけど。
景色も回転しながら上下する。たしかに、動きがあって慣れてくると面白いかもしれない。
…...と思ったが、今日も気持ち悪くなってきた。
やや俯き加減で乗っていると回転が緩やかになり、やがて止まる。
「大丈夫? きみは酔いやすい体質なのかな」
彼女が駆け寄ってくる。
──うーん……。
背中を撫でられ、小屋に連れて行かれる。
「冷蔵庫に牛乳まだあったかな?」
彼女が、冷蔵庫と呼んだ機械の扉を開けて、冷気がもれるそこから飲み物を出し注いでくれる。
牛乳以外の選択肢は無いのか。栄養満点だからいいけど。
小屋の中は外から見るよりは広かった。
メリーゴーランドの操作盤と、少し書類や本が立てかけられている机。2人がけの長椅子の上にブランケット。彼女より背の低い冷蔵庫。その横に積み重ねられた段ボール。ふたが開いていて、カップラーメンとレトルトが頭をのぞかせている。
それらが小屋に詰め込まれていた。
「ごめんね。動かない馬車にすれば良かったね」
──乗ると決めたのは僕自身だ。気にするな。
冷たい牛乳を飲んでいると、気持ちが落ち着いてきた。
僕は乗り物には強いと思っていたけど。こんなに酔いやすかったかな……?
それ以来、朝になったら遊園に向かうのが日課になった。
昼間はメリーゴーランドで彼女がの掃除と整備を見守り、終わると試運転に乗せてもらう。毎日乗っていると慣れてくるもので、徐々に酔わなくなっていた。
乗った後は冷たい飲み物をもらう。麦茶がおいしい。
積まれた段ボールから軽食も出てくる。昼下がりには一眠りして、起きればビスケットのおやつ付き。
そして夕日が差し込むと、開園する前に園を後にする。人は苦手だ。
◇
「今日は、整備も掃除も終わらせてあるんだ。ついでに試運転も」
──まだ昼前なのに、仕事が早いね。
僕がメリーゴーランドに通うようになってから、早くも数週間が経っていた。もう夏も半ばだ。
「ちょっと遊園の中を散歩してみない?」
──たまにはそういうのも悪くないね。
毎日のメリーゴーランドの手入れと試運転も飽きはしないけど、たまには非日常を楽しむのもいい。
「そろそろ、遊園の他の子たちも見ておきたくてね」
友人を心配するような様子だ。たが察するに「他の子」とは人間のことではなさそうだ。
「最近のジェットコースターは鉄骨が主流だけど、このジェットコースターは木造でできているんだ」
目の前の巨大な白木の骨組み
僕たちはあれから遊園の中をのんびり歩いた。ここは、メリーゴーランドから大きなお店通りを挟んだ反対側だ。
——こいつ、ジェットコースターって名前だったのか。
「詳しくは知らないけど、国内最古の木造ジェットコースターよりちょっとだけ新しいらしいよ」
彼女は見上げていた首を元に戻し、のんびりと歩きだす。僕もそれに続く。ジェットコースターのレールの足元には、白い柱が等間隔にそびえている。
──つまり、古いやつってことだね。
あちこちから白い立派な木の柱が軋む音がする。相当くたびれているのだろう。
一番近い柱の真下まで来ると、彼女はその白くて太い白木の柱に片手を添えた。
「大分やられちゃってるなあ。昔はこの子も動かせたんだけどね」
──この柱、所々、木が変色しかけてないか……?
柱の下の方を中心に、白い色が濁った色に変わりかけている。まだら模様を作るそれは、ただの汚れや染料の剥がれだけには思えない。
彼女は目を細め、もう片方の手も添えた。既に添えていた方の手で優しく白木柱を撫でる。
眼の前の柱を見ているようで、もっと遠くの何かを見ているように思えた。
「レールは錆びてしまって、柱ももう限界なんだ。車体も古いし」
木のささくれが彼女の綺麗な手に刺さらないか気になった。
遊具の整備点検でよく使い込まれたのであろう、その綺麗な手に。
「私は、この子は動かし方は知っているけど、整備経験とその知識はほとんど無くてね」
柱を撫でていた手を止めて、ゆっくりと目を閉じる。
「ごめんね」
そして、独り言のようにつぶやく。
その謝罪は僕に向けられたものではない。
──……。
かける言葉は何も見つからなかった。
その後はジェットコースターの下を二人で散策した。
通りがかった柱を一本一本撫でていく彼女を見て、僕は出来るだけ多くの柱に挨拶ができるルートを進んだ。柵で囲まれて近づけないやつ以外は、全部回れたはずだ。
そのおかげで随分と時間をくったみたいだ。腹の虫が鳴くのに気づいてメリーゴーランドに戻り、小屋の中で軽食を取った。冷たい麦茶が喉にしみる。
──そういえば、あんなに長時間歩き回ったのに今日も遊園で誰にも出くわさなかったな。
満腹になったところで強い眠気に襲われ、抗う気もなく目を閉じる。
目を覚ますと夕暮れがせまっていた。
僕はいつもどおり、彼女をメリーゴーランドに残して退園した。
いつもどおり「にぃ」と笑って僕に手を振る彼女を、一人残して。
真夏の風は夜も温かく僕を包む。
◇
「この湖には怪獣が住んでいるんだって」
遊園の一番奥にある湖。その
ジェットコースターの散策から数日。いつものように夜が明けてメリーゴーランドに向かうと、その日も既に掃除と整備は終わっていた。
円形施設の端に座っていた彼女から「今日は湖を散策しよう」と誘われ、連れ立って歩いてきた。
──なんだよそれ。この小さな湖のどこに、そんな怪獣が潜んでいるんだよ。
僕は頬を緩ませる。怪獣なんて信じる歳はとうに過ぎた。
「怪獣がいるかいないか、確かめてみない?」
どうやって確かめるのだろう。
既に湖は一周歩いた。怪獣も人も、水鳥さえ、影も形もない。
──それは、面白そうだね。
僕は彼女の後についていった。
「湖の真ん中近くに柵があるでしょ」
僕たちはあれから、アヒルのボートに乗って湖に漕ぎ出していた。彼女が足でペダルを漕ぐとボートが進む。
──あるね。中には何も無いけど。
「ほら、あそこ」
湖の真ん中付近に背の低い柵で囲まれた場所がある。柵の頭は鈍い銀色だが、水に使っている部分は濁った濃い茶緑色になっている。
柵の中は少し藻が浮いているぐらいで、何も無い。
「ゲストがボートで近づいちゃうと危ないから、柵で囲われているんだ」
──ゲストって、何?
「そこを見ててね」
聞き慣れない単語を聞き返したが、彼女は何も無い柵の中の水辺、いや、少し藻が浮いている濁った水辺を注視している。仕方がないので僕もそれにならう。
「……。」
──……何もないよ?
しばらく息を詰めて注目していたが、何も起こらない。
──例の怪獣がそこにいるの?
「……。」
眠くなってきた。
「……。」
初めは目に力を入れてそこを凝視していた彼女も、意識を半ば散らしている。柵の中を見ているようで、もっと遠い何か、どこかを見ている。物思いに耽っているようだ。
僕の意識も遠のいていく。ねむい。すごく。
──……!?
ふと気がつくと柵の中の濁った水辺に、緑の何か──、なにか、丸み帯びたものがあった。
あんなもの今まであったか?
──……。
凝視していると、緑のそれはゆっくりと湖の中から頭をのぞかせて出てくる。水しぶきもあげずに、ゆっくりと。
──おい、起きろ!
慌てて隣の彼女の膝を叩く。
「……んぁ?」
彼女が口元を拭いながら僕を見る。寝ていたな。
すぐに僕の様子に気づき、二人とも柵の中の緑の何かに視線を移す。
「あぁ、やっと出てきたね」
頭、長いくび、胴体、と湖の中から姿を表したのは、緑の──、丸み帯びた怪獣だった。
子供がその背に乗れそうだ。下半身は水の下にありよく分からないが、四足歩行の怪獣のようだ。
「よかった。壊れてもう動かないかと思ったよ」
二人して寝起きの目元をこすりながら緑の怪獣をながめる。
──なんか可愛い顔だね。
子供うけしそうな怪獣だ。藻や水垢で黒く薄汚れて怖くなかったら、子供は喜んだだろう。
最初は驚いたが、正体が分かればなんてことない。
「ボートが近づくとセンサーで作動する仕組みなんだけどさ」
彼女が、柵が触れられる距離までボートを寄せる。柵は触れられそうだが、怪獣までは手は届かない。
愛おしそうに怪獣をながめる彼女をながめる。
「ここ最近は反応しなくなっててね」
彼女は怪獣に手を伸ばしかけて、止めた。
「小さい頃からさ、この湖のどこかに隠れている本物の怪獣を探してはいるんだ」
そう言ってあたりを見渡す。手を目の上にやり、芝居がかったように大振りで。
「でも、まだ本物は見つけたことはないけどね」
隣に座っている僕に視線を戻して「にっ」と笑った。
僕は顔を手で押さえて、忍び笑った。そんな僕を見て、彼女はまた頬をほころばせた。
——僕が見つけられたら、君に知らせるよ。
可愛らしい緑の怪獣は、岸に向かう僕たちを見送りながら、ゆっくりと湖に沈んでいった。
惜別の別れを惜しむように、ゆっくり、ゆっくりと。
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