第184話 突き動かす感情







 この辺りは丘になっていて、その頂上付近には多数の岩が散らばっている。

 その中でも十メートルはあろうかという大岩が有り、その上に立てば遠くまで見渡せる。

 ゴブリン兵はそれを利用するために、この地に監視陣地を置いたのだろう。


 だが、今やその陣地の面影もない。

 まだ乾ききっていない血と肉片の残骸が周辺に散らばり、まるで肉の解体場のようだ。

 それはここでの戦闘の激しさを想像させた。


 一緒に来た少女達はその光景を見て絶句した。

 誰一人として言葉を口に出来なかった。


 しばらくの沈黙の後、一人の少女の声が響いた。


「サリダンの分隊とマクロン分隊は?」


 誰もが知りたかった疑問だが、それを口に出してはいけない雰囲気の中での質問。

 

 ただ、その言葉に答えられる者はいない。


 目の前の光景を見てしまったら、どこかにきっと生きているなどとはとても言えない。

 それでも言わずにはいられなかったんだろう。


「み、皆、きっとどこかに逃げて生きてるにゃっ」


 そう言ったミイニャ伍長の目からは涙が溢れ出す。

 何度も何度も涙を拭うが、ミイニャ伍長の頬が乾くことはなかった。


 そしてそれをきっかけに、少々達は次々に泣き崩れていく。


 まさか、まさか、全滅なのか……

 声にならない思い。


 俺も目の前光景が信じられなかった、信じたくなかった。


 俺はむせかえる様な戦場の臭いの中、血と肉片を踏み潰しながら、一途の期待を込めて一歩また一歩と歩を進めた。

 

 そして見つけてしまった。


「これは……まさか」


 血がべっとりと着いたクロスボウ。

 機械仕掛けの装填装置が取り付けてある、特別製のクロスボウ。

 この装置のおかげで誰よりも早い装填が可能な個人専用のクロスボウ。

 半分ほどが土に埋もれてはいるが間違いない、メイケのクロスボウだ。


 いつも顔を赤くしていたメイケを思い出す。

 少女クロスボウ部隊の最初期メンバーの一人だ。

 それだけに思い出も多い。


 俺はその半分ほどが土に埋もれたクロスボウをゆっくりと土の中から引き出した。


「ああ、なんて事だ……」


 引き抜いたクロスボウには、おびただしい量の血がついていた。

 それに気が付いた少女達から悲鳴が漏れる。


 そんな時、獣人少女の一人が声を上げた。


「この岩の下に誰かいます!」


 少女が指し示すのは四メートルほどの大きさの岩だ。

 直ぐに獣人少女を中心に岩の下を掘り始める。

 そして……


「いました!」


 掘り起こした岩の下をのぞくと、そこに小さな洞穴があり、そこに二人の獣人少女が抱き合う様に横たわっていた。


「生きてますっ、まだ息があります!」


 その声に少女達が動き出す。

 どうやら隠れて生き延びたらしい。

 ポーションを使った形跡があるのだが、二人とも重傷だ。

 一人は危篤きとく状態だがもう一人はなんとか話が出来そうだ。

 直ぐに後方へ運ぶ準備をする。


 その間に少女に話を聞く。

 まだ恐怖がおさまっていないらしく、終始震えながらの話だった。


「一匹、一匹のゴブリン兵が突然、本当に突然変身したんです。そのたった一匹に私達、成すすべもなく……地獄でした。一瞬で十人がやられました。敵のゴブリン兵も巻き込んでのことでした」


「魔法なのか?」


「はい、見たこともない魔法でした。黒い霧みたいな魔法です」


 俺達の時と同じだ。

 ゴブリン兵が悪魔に変貌したのだ。

 そして抵抗はしたが死傷者多数が出て降伏という選択をしたそうだ。

 その時この事を味方に連絡するために、負傷している彼女達二人をここに隠したそうだ。


「降伏した者はどうなったんだ」


 恐る恐る聞いてみたら、降伏した少女らは縛られて黒砦へ連れて行かれたらしい。

 降伏したおかげで死者は十人くらいで済んだそうだが、降伏しなかったら全滅だっただろう。

 マクロン伍長の降伏という判断のおかげだ。


 だが十人も戦死したのか……くそ、なんてこととだ。


 怒りが込み上げてくる。

 敵への怒り、そして彼女らを守れなかった自分への怒り。

 

 そこでふと周りに目をやる。

 手を取り合って震えている少女が目に入る。

 別の少女に目を移せばその場にしゃがみ込んで震えている少女もいる。

 

 誰もがおびえていた。


 出発する前までは兵士らしい顔つきだったのに、今や小さな虫に怖がる村娘みたいな表情をしている。

 彼女らは既に兵士ではなくなっている。

 この光景を見たんだ。

 そうなって当たり前か。

 

 ダメだな、こいつらはここまでだ。


「皆、良く聞け。ここで遺留品を回収したらロックヒルに戻ってぺルル男爵にこの事を報告しろ。それでロックヒルで待機だ。ロックヒルまでの指揮はラムラ伍長に任せる。分かったな、これは命令だ」


 そう言うと、未だ涙が止まらないミイニャ伍長が口を開く。


「ボルフにゃんはどうするにゃ」


 一番先にミイニャ伍長が気が付いて言ってくるとはな。

 少しばかり返答に詰まるがここは正直に告げた。


「大切なモノを取り返しに行く」


 消沈していた少女達が一斉に俺に注目する。

 彼女達が何を言いたいかは分かる。

 無謀だと言いたいんだろう。


「ボルフにゃん、一人で黒砦へ乗り込もうとしているにゃ。そんなの無理にゃっ、皆、止めるにゃっ、ボルフにゃんが死んじゃうにゃっ」


 ミイニャ伍長のこんな姿は初めて見るな。

 

「俺が死ぬわけないだろ、俺を誰だと思っている」


 こうは言ってみたが単に虚勢きょせいを張っているだけだ。

 それに直ぐに行けば、敵が黒砦に入る前に捕虜を奪還できるかもしれない。

 だから行かないという選択肢はない。


 ただ、ミイニャ伍長が不安な顔で俺を見てくる。

 俺はミイニャ伍長に近付き、ほほの涙を拭いながら言った。


「俺を信じろ」


 するとミイニャ伍長はヘナヘナとその場にへたり込む。


 そうは言ったが自信などない。

 俺がそう決断した理由は自分の中の感情のせいだ。

 怒りという感情。

 それが俺を突き動かす。


 俺は振り返らないと決めて歩き出す。

 今の俺の表情を見られたくなかったからだ。

 きっと怒りに埋もれた醜悪しゅうあくな顔をしている。


 そして足早に進む。

 一歩地面を踏み締めるごとに感情が込み上げてきた。

 まるで我慢していた感情が解き放たれるように。


 憎悪、嫌悪、殺意、厭悪、怨嗟、復讐。


 俺の背中に少女達からの声が掛かるが、感情に支配されている俺にはそんな言葉は聞こえていなかった。








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