第182話 魂を乗っ取った悪魔









俺の顔にはミイニャ伍長が撒き散らした燻製肉くんせいにくが、これでもかってほど張り付いている。

 少女達か唖然あぜんとした様子で俺を見ている。

 一瞬、時間が止まったかのように誰もが固まるが、直ぐにミイニャ伍長が反応した。


「もったいないにゃ」


 そう言って俺の顔をペロペロと舐め始めた。

 それを見た少女達は笑いをこらえるのに必死だ。


「笑ってる場合じゃないぞ、敵が来る」


 俺の言葉で我にかえる少女達。


 当然だが敵には気が付かれた。

 こちらに向かって来ていたゴブリン兵はくるりと背を向けると、陣地の方へと走り出す。


 こうなったら奇襲は失敗だ。

 ここは俺も手を貸して、仲間に知らされる前に敵を全滅させないといけない。


「全員攻撃開始だ、ホッホ曹長は俺に付いてこい!」


 クロスボウの掩護射撃の元、敵陣地に斬り込むつもりだ。


 そして俺が身を乗り出して、走り出そうとしたその時だった。

 

 敵陣地から一匹のゴブリン兵が飛び出して来た。


 格好から下士官クラスのゴブリン兵らしいが、その表情は常軌じょうきいっしていた。

 どこを見ているのか視点が定まららず、わずかに空いた口元からは赤い舌が飛び出している。

 不思議なのは他のゴブリン兵が、その下士官に驚きの表情を向けている。


 と言うことはあの下士官ゴブリンはやはり普通ではない。


 嫌な予感がした。


――斬り捨てろ


 吸血剣が訴えてきた。

 あの下士官ゴブリンは恐らく魂を乗っ取られたのだ。

 乗っ取ったのはもちろん悪魔だろう。

 

 俺は走りながら吸血剣を引き抜いた。

 刀身はすでに血の色に揺らめいている。


 背を向けて逃げるゴブリン兵の背中にボルトが突き刺さり、その下士官ゴブリンの足元で前のめりに転倒した。

 息はまだある。


 しかし、こともあろうかその倒れ込んだゴブリン兵の頭は、下士官ゴブリンによってあっという間に踏み潰された。

 その踏み付ける力は普通のゴブリン兵にはあらず、潰れたトマトのような有様となった。


 そして急に俺に視点を合わせたかと思えばニヤリと笑う。


 俺は剣の間合いに入ったと同時に真横に振り抜く。


 その刹那せつな、下士官ゴブリンが瞬時に剣の間合いの外へと移動する。


 しかし吸血剣の赤い揺らぎは、それに合わせてクンっと伸びる。


 そして確かな手応え。


 下士官ゴブリンの腹が切り裂かれ、鮮血が吹き出した。


 だが下士官ゴブリンは再びニタリと笑い余裕を見せる。


 ならばもう一撃喰らわせるだけだ。


 そう思い、さらに接近。


 今度は下士官ゴブリンの頭上から真っすぐ斬り下ろす。


 すると瞬時に真横に移動して、吸血剣の一撃を避けた。


 こいつの動きが見えない。


 そこで奴の傷がみるみる塞がって行くのが見えた。


 再生持ちか!


 これは厄介な敵だ、一旦距離を取る。


 するとその下士官ゴブリンが口を開いた。


『貴様が“地上の悪魔”か』


 俺の知らない言葉のはずだが、何故だかその意味が理解できる。

 そして無意識の内に相手の言葉と同じ言語で返した。


『悪魔に悪魔呼ばわりされたくないな』


『貴様、答えろ。どこに所属する悪魔だ』


 どこに所属って何だよ。

 悪魔にも所属とかあるのか。


――どの悪魔将軍の支配下にいるかってことだ


 ご丁寧に吸血剣が説明してくれる。

 色々質問したいところだが、それは後だ。


『俺はワルキューレ小隊を率いている、小隊長だ』


 こうとしか言えない。


 敵と会話しながら周囲に気を配ると、ミイニャ伍長達が他のゴブリン兵を順次に殲滅せんめつしている。

 こいつ以外は雑魚のようだ。

 

『名を何という』


 この悪魔、質問攻めをしてくるのか、面倒臭い奴だ。


『人族からは“魔を狩る者”と言われている』


 本名は当然言わない。


『悪魔名を聞いている』


 俺が魂を支配されていると勘違いしているようだな。

 残念ながら支配はされてない……と思う。

 

 それと、こんな問答している暇はない。


 俺は質問には答えず、代わりに吸血剣を振りかざした。


 吸血剣の刀身から真っ赤な揺らぎが伸びて、一気に間合いが広がる。

 下士官ゴブリンは腰のサーベルを引き抜いて、吸血剣を弾こうとした。


 甘い!


 あたかも水の流れのように、そのサーベルを揺らぎが避ける。

 そしてさらに赤い揺らぎがグググっと伸びて、下士官ゴブリンの胸に吸い込まれた。


 胸に刺さった揺らぎを見て驚く下士官ゴブリン。


 直ぐにサーベルでそれを払い除け、後方へと逃げると慌てた様子で言った。


『デーモン・ソードかっ!』


 こいつもその名を知っているのか。


 そこへ回り込んでいたホッホ曹長が、下士官ゴブリンへ不意打ちを浴びせる。


「もらった!」


 渾身こんしんの一撃だったんだろう。

 叫びながら打ち下ろした細身の剣が、下士官ゴブリンの背中を斬り割いた。

 この一撃の為に買い替えたような一振り。

 届いたばかりの“パラライズの剣”だ。


 即座にパラライズの魔法が発動する。


 下士官ゴブリンの全身が小刻みに震えている。

 

「よし、パラライズが効いているぞ!」


 俺がそう叫ぶとホッホ曹長は嬉しそうにもう一度剣を振り上げる。

 

 だがその剣が振り下ろされる前に、下士官ゴブリンのサーベルがキラリと光った。


 ホッホ曹長の動きが止まる。


「え、な、なんで……」


 思わず口かられた言葉。

 ホッホ曹長はゆっくりと視線を自分の胸元へと移す。


 そこにはサーベルの切っ先が食い込んでいた。


 下士官ゴブリンはホッホ曹長に顔さえ向けていない。

 視線を向けないまま、ホッホ曹長を斬りつけたのだ。


『邪魔だ、人族風情が。そんな低級な魔法が俺に効くわけないだろ』


 下士官ゴブリンはサーベルを引き抜くと、ホッホ曹長はよろける様にして地面に倒れ込む。


「ホッホ曹長!」


 叫びながらホッホ曹長のもとへと行こうとするが、下士官ゴブリンがそれをさせてくれない。


『おいおい、まだこっちの決着は終わってないぞ?』


 そこへミイニャ分隊の少女から一斉にボルトが放たれた。

 何本かのボルトがゴブリン下士官に突き刺さる。

 

 だがゴブリン下士官はそれを一本ずつ抜いて地面に捨てていく。

 まるで効いていないとばかりに。


「こいつに手を出すな、こいつは俺が倒す」


 少女達にそうは言ってみたものの、ホッホ曹長が虫の息。

 直ぐにでも止血しないと死ぬ。

 だがこいつが居るから助け出せない。


『この私に勝てると思っているのか?』


 そう言うや否や、下士官ゴブリンの筋肉が盛り上がり、額からは角が生え、手足からは鋭い爪が伸びていく。


――奴は中級デーモンだぞ、気を付けろ

 

 そうか、ならば吸血剣、俺の血を吸え。

 ここは全力でいく。







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