第171話 流水の型











 ミイニャ伍長の余計な一言で、先生と呼ばれた男が剣を構えたまま、鋭い視線を俺に向けてきた。

 そして流水の型を崩さないまま口を開く。


「まさか、剣聖を倒したっていう男はお前の事なのか……」


 ああ、ますます話がこじれてきたな。

 それも全部、余計な事を言ったミイニャ伍長のせいなんだがな。

 しかし、どう返答すれば正解なのか。


「さあ、そんな事もあったかもしれないし、無かったかもしれない。生憎あいにく俺は記憶力が良くないんでな」


 絞り出した言葉がこれだ。

 早い話、有耶無耶うやむやにした。

 ただ、先生と呼ばれた男は冷静さを保とうとはしている一方、眉間みけんにはしわが寄り始めている。

 怒っている様だな。

 そして俺の言葉に対して出た言葉がこうだ。


「俺をおちょくる気らしいな。だがそれでも良い。落ちぶれちゃあいるが、俺もお前が斬った剣聖の弟子だった一人なんでな。お前を斬り伏せる口実が出来たってもんだ。まあ剣術道場からは追放になったんだが、それはこの際どうでも良いか」


 そう言いつつも間合いをゆっくりと詰めて来る。

 やはり剣聖の流派らしい。

 と言っても『元』のようだが。


「そうか。そう言う事ならしょうがない。俺が稽古をつけてやる」


 そう言って俺は男と同じ流水の型の構えを取った。

 すると尋常じゃないほどに男が動揺する、というか怒り心頭。


「お、お前、俺を本気で怒らせたいようだな」


 こいつも直ぐに心理戦に釣られやがるな。

 型にはまった剣術使いが冷静さを失ったら負けだぞ。

 

 俺がフェイントで大きく一歩踏み込むと、男は下段の構えから一気に剣を振り上げてくる。

 その表情は怒りに支配されている。


 逆に俺は冷静に男の剣スジを見て、同じように下段の構えから剣を振り上げる。

 ただし男の剣の流れに合わせて、それでいて俺の方が剣速は早い。


 「ギンッ」と剣同士がぶつかり火花が散り、男の剣が両腕ごと上方へと流れる。

 俺が奴の剣を跳ね上げたからだ。


「くっ!」


 男は必死に剣を戻そうと両腕に力を込める。


 だがもう遅い。


 頭上にまで振り上げられた吸血剣を手首を返すことで、今度は上段の構えから一気に振り下ろした。

 男の剣はもう防御には間に合わない。

 

 ヒュンッと風切り音が響く。


 俺は腰を低くして振り下ろした剣をピタリと下段の位置で止める。

 

 すると男の左腕から煙のような赤い揺らぎが伸びていて、それが吸血剣の切っ先へと続く。

 魔剣が吸血しているのだ。


 吸血剣から恍惚こうこつの感情が俺に伝わる。


 一瞬だけ動きが止まった男だったが、直ぐに後ろへと飛びのき、自らの剣で煙のような赤い揺らぎを斬った。

 それで吸血は途絶えた。


 そして男が言った。


「その剣、まさか血を吸うのか! くそ、ただの魔法剣じゃないな……」


 男の左肘ひだりひじから上腕に掛けてパックリと傷が開いているのだが、男は気にしてさえいない様子だ。

 しかし鮮血は溢れ出すように床に滴り落ちていく。


「おい、剣聖の弟子。その傷、放って置くと死ぬぞ」


 すると男は自分の傷を確認して言った。


「くそ、確かに酷い傷だな。分かった、俺の負けだ」


 なんとあっさり負けを認めやがった。

 まあ、負けを認めるとはいさぎよいとは思うがな。

 だが、店主のおっさんはそれを許さないようだ。


「おい、何を言ってるんだ。お前には高い金を払っているんだぞ。その程度の傷、ほら、ポーションをやる。これでまだ戦えるだろ」


 さっきまで敬語で先生と呼んでいたのに、今は“お前”呼ばわりだ。

 だが男は突っぱねる。


「ああ金は返す。この怪我じゃ無理だ。それに俺じゃこいつにはかなわない」


 先生と呼ばれている男が降参すると、一緒に来た元兵士っぽい奴らが狼狽うろたえだす。

 そこで先生男がチンピラ達に向かって言った。


「お前らじゃこいつには太刀打ちできねえ。こいつは間違いなくあの剣聖を斬った男だ。あきらめろ」


 その一言でチンピラ達は完全に消沈した。

 だが、チンピラの中の一人が何だか騒ぎ出す。


「お、お、思い出したぞ。剣聖を斬った男……それって“魔を狩る者”じゃねえか。まさか、まさかその男が……」


 するとまた別のチンピラ。


「それって、一人で一個小隊の歩兵を全滅させたっていう、あの“魔を狩る者”かよ」


 ああ、そう言えば前にアルホ子爵との戦いでそんな事もあったな。

 だけど一個小隊の半分くらいまでしか倒せなかったけどな。

 全滅させたとかはさすがに盛り過ぎだが、この際どうでも良いか。


 その言葉を皮切りに、チンピラ達が勝手に話を盛り上げていく。


「そう言えば“魔を狩る者”ってロックヒルにいるって聞いたぞ」

「ち、近くじゃねえか」

「それじゃあ、あいつ、本物かよ!」


「本物にゃ!」


 視線が俺に集中する。


「化け物じゃないんだから、そういう目で見るのはよしてくれよ」


「恥ずかしいにゃ」


 照れると言った意味で言っただけなのに、チンピラ達は「ひっ」とか言って顔色を変える。


 そんな中でも店主の男だけが怯えながらも指示を飛ばし続けている。

 

「おい、怯むな。全員で掛かればやれる。行けっ、ほら、お前たち! 行くんだよ!」


 店主のおっさんは必死だな。

 しかし俺も有名になったよな。

 もしかして全盛期だった二十代前半の頃よりも知られているんじゃないか。


 先生と呼ばれる男はその場に座り込むと、剣を床に置いて腕の傷の治療を始めた。

 それを見たチンピラ達も観念したのか、一人、また一人と武器を床に捨てていく。

 こうなると結果としてミイニャ伍長の言葉が無駄じゃなかったことになるな。

 こういうこともあるか。


 そして最後の一人の抵抗者となった店主のおっさんに睨みを利かせる。

 俺はこれで終わったなと少し油断した。


「こうなったら破れかぶれだ、思い知れ!」


 店主のおっさんは突然飛び出し、ふところから棒状の何かを取り出して俺に向けた。


 魔法のワンドだ。








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