第58話 ミノタウロスの咆哮






 身長二メートル半の高さから振り下ろされるこぶしをまともに受けたら、ただじゃ済まないことくらい誰でもわかる。


 左腕の盾での防御も耐えられそうにない。

 ましてや左腕は調子悪いし、このゴブリン製の盾ではな。


 それに奴の咆哮ほうこうのせいで身体が委縮いしゅくしてまともに動けない。


 俺は咄嗟とっさの判断で、腰に刺さった矢を掴んで押し込んだ。


 身体に激痛がはしる。


 その痛みが委縮いしゅく状態から解放してくれた。

 だが奴が振り下ろしたこぶしに間に合うかどうかはギリギリだ。

 

 俺は倒れ込むように横に転がる。


 俺をかすめるように巨大なこぶしが通り過ぎる。

 そして地面へ激突して泥水を辺りに散らすと同時に、地震の様に地盤を揺らした。


 あれだけ激しくぶつけておいてこぶしは痛くないようだ。

 何て頑丈な奴なんだ。

 だいたいこぶしの大きさが俺の頭以上ある。

 喰らえば熟れた果実のように潰されるだろう。


 だが武器を持ってないのは助かった。

 斧でも持っていたら大変なことになっていただろう。


 巨体の割に思った以上に動きが速い。

 これは手強いな。


 かつての戦場でミノタウロスの出現はあったにはあったのだが、その時は複数で対処に当たり、多くの戦死者を出しながらも倒した覚えがある。

 その時のミノタウロスは戦斧せんぷを持っていたので、今とは状況が少し違うが。

 

 だが、ミノタウロスには複数の兵で対応するのがつねだ。

 長い軍隊生活の中でも、俺一人で対峙たいじしたのはこれが初めてだ。


 俺に勝てるのか。

 そんな疑問が頭をぎる


 再び奴が腕を振りかぶる。


 この速さなら十分に対応できるが、地面の泥濘ぬかるみが邪魔をして中々近寄れない。


 姿勢を低くしてこぶしかわす。


 かわした頭上に、風切り音を響かせて通り過ぎるこぶし


 だが奴も同様でその場からあまり動かない。


 地面の泥濘ぬかるみに加えて奴には足枷あしかせがあって、真面まともに歩くことも大変なはずだ。

 今のこぶしを振るうのも大変なはずだ。

 特に奴を不利にしているのは、行く先々に付いて回るおもりの大岩のせいだ。


 狙うはやはり足しかないか。

 それにはふところに入り込む必要があり、そのタイミングが難しい。


 タイミングを見計らいながら奴の咆哮ほうこうにも気を付けているんだが、奴は一向に咆哮ほうこうを出さない。


 そこでふと初撃に喰らった咆哮ほうこうを思い出した。

 もしかしたら咆哮ほうこうを放つ時には大きな隙が出来るから、そう易々と出さないのではないだろうか。


 奴が咆哮ほうこうを出した時、確か息を大きく吸い込む“貯め”の動作があった。

 その“貯め”が大きな隙だと確信した。

 ならばそれを誘ってやる。


 俺は大きく振りかぶり、剣を横一文字に振り抜いた。


 間合いが遠くてとても当たりはしない。

 見事な空振りをして見せ、大きくバランスを崩す。


 それを見たミノタウロスは、このタイミングだとばかりに大きく息を吸い込み、一切の動作を止めた。


 チャンス到来だ。


 俺は奴の足元へとスライディングの要領で滑り込んだ。

 そのまま股下またしたを抜けてミノタウロスの真後ろに出た。

 そして無防備になった足首の裏に目掛けて、剣を振り落とした。

 

 剣の刃がアキレス腱へと突き刺さると、ミノタウロスからは咆哮ほうこうではなく悲鳴が上がった。


「グアアアアアアッ!」


 アキレス腱に振り下ろしたのは良いが、あまりに皮膚が硬くて完全には切断できなかった。

 それにさすがなのは、かなりの傷を与えたのに関わらず、まだ戦う気満々だってことだ。


 奴が後ろに振り返ろうと身体をひねる。


 だが足枷あしかせに加えて泥濘ぬかるみ、そしてアキレス腱の負傷。

 急にどうにかなるものではない。


 案の定、直ぐにバランスを崩して地響きと共に派手に転倒した。


 泥水が辺りに大きく跳ねる。


 勝負あったも同然。


 周りにいたゴブリン兵どもが慌てふためいている。

 後方にいるゴブリンの指揮官の慌てっぷりまでもが見てとれる。


 俺は剣を握りしめて横たわるミノタウロスの側まで行った。


 魔物とは言えやはり死への恐怖はあるようで、先ほどとは違って俺を見る目が畏怖いふの念を抱いているように見える。


 剣を頭上まで振りかぶる。


 そこで俺は剣を振るのを止め少し考える。


 俺を見つめるミノタウロスの赤い眼光。


 数秒の間をおいて俺は決断。


 俺が振り上げた剣は、ミノタウロスの足枷あしかせと大岩を結ぶくさりを目掛けて振り下ろした。


 激しい金属音が鳴り響き、くさりが断ち切られる。


 横たわるミノタウロスは驚いた様子で俺を見る。


 俺が「行け」とばかりに首を振ると、俺が言いたいことを理解したようだ。


「ゴアアアア!」


 いきなりゴブリン兵の中へと突っ込んで暴れ出した。


 なんだ、逃げていいぞって意味だったんだがな。

 まあいいか。


 足を引きずりながらも大暴れするその姿は、人族から恐れられたミノタウロスのもので間違いなかった。


 良くこいつに勝てたなと不思議にさえ思うくらいだ。

 そもそもそれだけの力があるならば、自力で逃げ出せただろうにと疑問も残るがな。

 まあ、どうでも良いか。


 ミノタウロスの暴れっぷりは想像以上で、片足負傷のくせにゴブリン兵はぎ払うわ、投石機はぶち壊すわで、俺達の仕事をすべてやってくれている。

 さらにホブゴブリンの奴隷に突っ込んだかと思ったら、その足枷をぶち壊し始めた。


 そうなると暴れる魔物が一気に増えた。


 最早ゴブリン兵は俺達に構っていられなくなった。




「メイケ、アカサの具合はどうだ?」


「……大丈夫、だと……思います」


 メイケはいつものように小さい声で返答した。


 それじゃあ今度は俺の傷を診てくれないか?


「はいっ」


 今度はハッキリとした返事が返ってきた。






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