第4話 先輩は、うさぎです
『この中に押しはあるかな?』
ピコン、という着信音と同時にスマホを手に持つと、アイス売り場の写真がスマホに表示される。
『お勧めはありますか?』
『えっとね、私はきなこ黒蜜アイスとほうじ茶アイスを押してるよ! どっちも美味しいから悩んでるとこだよ』
掃除する手を止めて返事をすると、直ぐに返信が戻ってきた。
どうやら俺のたぬき顔の彼女は、コンビニのアイス売り場で眉を寄せて、どっちも食べたくて悩んでいるらしい。
『きなこ黒蜜アイス食べたいです。ひと口あげますよ』
『ありがとう』
ふにゃあと口もとが緩んでる姿を想像した途端に、ハートを飛ばしながらキツネに抱きつくたぬきのスタンプが表示されて、俺の口もとがうっかりにやけた。
たぬき顔の先輩は、喜怒哀楽が分かりやすくて可愛らしい。
きっとコンビニのレジにアイスを笑顔を浮かべて持って行っているだろう。願わくば男の店員じゃないといい……。
今年の桜は咲くのが早くて、窓の外ではらはらと桜が舞い散っていく。青空みたいな青色のカーテンは春風に揺らされて、俺のそわそわした気持ちみたいに揺れるカーテンからたぬき顔の彼女が現れるのを待ちわびる。
「――遅いな」
駅のコンビニからゆっくり歩いても到着する時間は過ぎていて、無自覚方向音痴の彼女が迷子になっていることが確定した。
たぬき顔の先輩は、迷子の定義が変だ。
道に迷ったら迷子ではなく、目的地にたどり着けなかったら迷子になるらしい。
突っ込みどころ満載なのだが、迷子じゃなくて寄り道だよ、と首を傾ける先輩が可愛すぎて、ずるいと思う。
『今、どこですか?』
とはいえ、寄り道は俺といる時にして欲しい。
スマホでメッセージを送る。
『さくらもち公園です……』
しょんぼりしたタヌキの絵文字にふっと笑みをもらして、迷子な彼女に電話をかける。
「ーー迷子ですよね?」
「まだ迷子じゃないもん」
子供っぽい部分は彼女になってから、よく見せてくれる愛らしさでずるいくらいに好きだ。
「寄り道もいいですけど、それは俺と一緒のときにしてください」
「――うん。ごめんね、ありがとう」
素直な先輩に癒されて、口許が緩んでしまう。ああ、早く会いたい。
「さくらもち公園の入り口を背にして、右側の道をまっすぐ歩いて、曲がり角まで戻ってきて下さい」
「うん、わかった!」
うっかり寄り道にならないようにスマホは繋いだままで先輩が現れるはずの曲がり角に立つ。
先輩の楽しそうな声に相槌を打つ。ああ、癒される……たぬき彼女はマイナスイオンの発生地なのかと考えていたら曲がり角に先輩が現れた。
「――アイスが溶ける前に会えてよかったです」
俺の姿を見つけて手を振りながら小走りに近づいてくる先輩が可愛過ぎて、素直になれない。
「アイスがずるい」
頬が膨らんだ先輩が急に飛びついて来たと思ったら、俺の腕にしがみつく。
アイスに妬きもちを焼く彼女――ずるいのは、先輩でしょう?
ああ、好きだ。たぬき色のふわふわな髪をなでる。ああ、癒される。
彼女になった先輩が我が家を訪れるのは初めてだ。
泣けると話題だった映画は建前で、二人きりになりたいと思ったはずだったのに……。
「――泣けたねえ」
「これは反則ですね……」
子供と動物とお使いの組み合わせは駄目だろう?
なんだこれ、先輩とひたすらに泣きまくった。普段クールなキャラだと思われているらしい俺は、動物ものにことごとく弱かったりする。
ああ、最後のシーンを思い出すとこみ上げてくる。だめだ、ちがう! 俺がしたいのはこういうことじゃない――!
「
わざとお土産をおみあげだと間違えて発音した途端に、うさぎみたいな赤いうるんだ瞳に見つめられてしまった。なんだこれ、むちゃくちゃ可愛い。
「――いじわる」
ぞくりとせり上がった気持ちを悟られないようにアイスを取りにいく。冷凍庫のひんやりした空気の真ん中に溶けかかっていたアイスはひんやり冷静さを取り戻して並んでいた。
俺もアイスを見習って冷静さを取り戻すと、膝が触れ合うくらい近くに腰を下ろす。
「確かに旨いですね」
「でしょ? 最近この二つばっかり食べてるんだあ」
半分くらい食べた辺りで、先輩がじっときなこ黒蜜アイスを見つめるのでアイスを交換しようと持ち上げた。
「アーンしてあげよっか」
スプーンにほうじ茶アイスを乗せて、首をこてりと傾けながら聞く先輩は艶やかに笑っていて。
「――自分のタイミングで食べた方がアイス旨いでしょう?」
恥ずかしくてあっさり断ってしまった。
ああ、なにやってんだ、俺?!
先輩はちっとも気にするそぶりもないまま交換したばかりのきなこ黒蜜アイスに夢中になっている。
ねえ、先輩――そういうのずるくないですか?
「ねえねえ、なにが好きなの?」
最後のひと口をスプーンに掬ったところで思いついたように俺に視線が向けられる。
ああ、アイスはずるい。
俺の彼女はアイスに夢中過ぎる。
「
俺の好きなものを迷いなく口にしたら驚いた先輩がびくっと肩を震わせた。
引かれたかも、と焦った俺の口から飛び出して来たのは誤字の指摘で――。
「――言いにくいんですけど、『推し』はプッシュの押すじゃなくて、推進や推理の『推し』です。推しを押したい感じだったので先輩のこだわりなのかもしれないですけど、この誤字はどっちですか?」
目をまん丸にさせた先輩が、焦ったように目をキョロキョロ動かす。
「えっ? あっ、えっと――」
おっとり癒し系のたぬき顔の外見に似合わない素早さでスマホ画面を展開させた途端に、ばふりと音が聞こえたと思ったくらい一瞬で顔が真っ赤に染め上がった。
こだわりではなく誤字だとは思っていたけれど、耳まで赤くなって俯いた後に何故か急に両手で気合いを入れたりと、可愛すぎるたぬき百面相を繰り返している先輩を見ていたら先ほどのずるいと思った気持ちが溶けていく。
あわあわする彼女が可愛い。ああ、好きだ。
「俺の推し、知りたいですか?」
「……うん」
今度はびっくりさせないように優しく声を掛ければ、たぬきな彼女は赤い顔のまま返事をしてくれたことに気をよくした俺は、先輩が食べ終えたアイスのスプーンもカップもさっさと取り上げる。
「押していいですか?」
無理やりはだめだから、
首を縦に振った素直な先輩は、質問がアイスの推しだと思っているだろうけれど。
「じゃあ遠慮なく押しますね――」
「えっ?」
肩を軽く押して床に押し倒して、びっくりしているたぬきに逃げられないように腕で囲う。
「俺の推しを押していいって言いましたよね?」
数回ぱちぱちと目をまたたかせた後、ようやく意味を理解した彼女は、ばふりと音を立てて赤く染め上がった顔を両手で覆った。
「あのね、好き……」
これは、煽った先輩がずるいと思います。
「知ってる――顔、見せて」
細い手首を片手で簡単にまとめ上げれば、真っ赤な耳や首筋に負けないくらい赤く潤んだ瞳に見つめられて。
「俺、オオカミに化けてもいいですか?」
キツネみたいだねえ、と俺を揶揄う言葉で彼女を揶揄えば、小さく小さくこくんと頷いた。
この後、オオカミに化けた俺と先輩がどうなったか――?
それはもちろん二人だけの秘密だ。
たぬきが小鳥に化けることになるのは、また別の話――。
おしまい
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