第10話
名刺を差し出す記者にタクヤは事務所を通した上でどんどん書いてくれと笑った。結果発売された雑誌は『あのお友達と食事に行くタクヤ君』という、若干悪意が感じられる見出しだった。あからさまにレイを恋人として紹介するメディアは少ない。今回の雑誌も同性カップルを茶化していると雑誌側が攻撃を受けていた。ネットではタクヤの恋人が男で嬉しいという意見から男であっても許せないという意見と賛否両論、様々ある。実際は恋人でもお友達でもないただの他人なのだが。
「ただいまー!飯、何?」
「カレー」
「煮物じゃねぇのかよぉ~でも茶色。茶色飯」
「文句があるなら食「食う食う。今日はカレーのき・ぶ・ん♡」
タクヤはヘラヘラ笑っている。短い同棲生活だが、彼がメディアで見る以上に軽い男だと知った。軽いというか、調子が良い。ただレイの食事は本当に楽しみにしているらしい。事務所の人間に、レイの餌付けのお陰でタクヤがまっすぐ帰宅するようになったと感謝された。今までは夜、あちこち遊び歩いていたらしい。この業界、交友関係を広げるのはプラスになることもあるが、マイナスに働くこともある。今は目の届くところに留めておきたいというのが事務所の本音のようだった。
「実はさ~ドラマの仕事が決まったんだよね。あとで台本見せてやるから、練習付き合えよ」
「練習って。演技なんかやったことないぞ」
「いいのいいの、素人さんにこっちが合わせてやっから。お前にだって、これから演技の仕事が来るかもしんないだろ?」
俺が色々教えてやる、とご機嫌のタクヤに、レイは黙って頷いた。言い方は気になるが、確かにこれも勉強になるだろう。食事を終えてソファで台本を読ませてもらった。主役カップルの女性に恋をする男がタクヤの役らしい。女性役で、タクヤとの絡みの部分をやることになった。数ページのシーンだが、台本を数回読み返す。
「台本読みながらでいいから。俺は自分の台詞、頭に入れたし」
「少ないもんな」
「うるせぇよ」
どのくらいの文字数がセリフが多いのかはわからないが、この台本の中でタクヤのセリフは数行だった。覚えられないはずがない。
レイは台本をソファに置いた。実際の演技で台本を持ったままはやらないだろう。主役の女性はこのシーン、どんな気持ちでどう言葉を発するだろうか。想像しながら口を開く。
「どうしてかな。どうして、彼は私を見てくれないんだろう」
レイは苦しくなって、タクヤから顔をそらして声を絞り出す。
「あいつ、鈍いから、…」
『だから君の気持ちに気づいていないんだよ』と、タクヤの台詞が続くはずなのだが、沈黙が続く。少しアレンジすることもあるのだろうか、それとも忘れてしまったのだろうか。レイは目の前に立つタクヤを見上げる。
「そんなことないよ。私に魅力がないんだよ。わかってるんだ、本当は」
レイの目尻から一筋涙が溢れた。タクヤから視線を外したレイは足元を見つめて涙が流れるまま言葉をつないでいく。
「それでも、私…あの人のことが」
『好きで好きで仕方ないの』と、続ける前に、レイはタクヤにきつく抱きしめられた。
「そんな顔すんなよ…俺がいるだろ」
ここは『そんなに彼が好きなんだね』と、タクヤが身を引くシーンのはずだ。タクヤが身を起こしてレイの顎を掴む。ゆっくり近づいてくるタクヤの顔に、レイは口を開いた。
「ここは、キスをするシーンなのか?」
「…へ?」
「台詞が違ってる。タクヤが覚えた台本とこれは違うんじゃ…」
レイがさっき読んだ台本を示すと、タクヤはレイから勢いよく離れた。今借りた台本とタクヤの台詞と動きはだいぶ違っていた。別に台本があるのではないだろうか。
「いや、台本はそれだけ…お前、今の、演技だよな?涙も…」
「演技になっていたか?」
涙を拭うレイの問いに、タクヤは何度も頷いた。
「すげぇわ…まじで、あの人って誰だよって思った…」
タクヤは大きなため息をついてしゃがみこんだ。『あの人』は台本にある、主役カップルの男性のことだ。何を言っているのだろうか。
レイはタクヤの反応に驚いた。下手くそと笑われると思っていたからだ。タクヤは赤くなったまま「風呂に入る」と風呂場に消えてしまった。レイは台本をめくる。初めての演技は楽しかった。文字だけの台本から表情や感情を想像して表現するのはとてもわくわくして、心が弾んだ。
こんな仕事ももらえるタクヤをレイは改めて羨ましく思った。台本を読み進めると台詞も登場するシーンも少ないが、なかなか大事な部分を担う役柄なのだとわかる。その役を任されるだけ人気も実力も認められているということだ。
(すごいんだな、アイツは)
タクヤが羨ましい。それ以上に、レイはタクヤを尊敬していた。この役を獲得できるだけの地位に来るのに、想像もつかない努力をし、苦汁を舐めてきたのだろう。タクヤは帰ってきてからも良いところは伸ばし反省するところは繰り返さないようにするために、時間の許すかぎり自分達のパフォーマンスや映像を見返している。出演番組も見返してどこをどう切り取られるのか学習している。短い期間だが、調子が良くて軽いが仕事に対しては誠実に努力をする男だと、直ぐそばで見ていて思い知らされていた。レイはタクヤを尊敬し、少しずつ心を許していた。
(でも茶色飯は忘れない)
許さないからな、と、レイは心のなかでタクヤを呪った。
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