第2話 sideレイ

sideレイ


ダンススタジオでレッスンを受け、レイはぐったりと床に座り込んだ。体力がないと自覚しているレイは毎回ついていくだけで必死だった。ダンスレッスンやボイストレーニングは事務所に紹介してもらって受けているが、ここのレッスンは自分で探して自腹で受けている。

(もっと体力をつけないと)

気づけば周りには誰もいなくなった。早く移動しなければ次のレッスンが始まってしまう。トイレに寄ってから帰ろうと荷物を持ってスタジオを出た。


トイレにて。レイが手を洗っていると、男が一人駆け込んできた。

「うっ…おぇええええええ」

個室に入ったかと思うと盛大にえづく声がトイレに響いた。声をかけようか迷っている間もひどい声が続く。レイは個室のドアを叩いた。

「だ、大丈夫ですか?誰か呼びますか!?」

個室のドアの鍵が開いた。隙間から青い顔の男が顔を覗かせる。

「み、水、を」

「水?あ、飲み物、持ってきます」

レイは自動販売機まで走った。ミネラルウォーターとスポーツドリンクを買ってトイレまで走る。男は洗面台で口を濯いでいた。

「あの、これ」

レイが飲み物を差し出すと、ミネラルウォーターを勢いよく飲み始めた。吐いてすぐ大量に胃に物を入れるのは良くないと思うが、止める前にペットボトルの中身は半分まで減っていた。

男は口元を拭ってレイを見た。

「悪ぃ、助かった」

「吐いた後なので、これも少し飲んだほうがいいと思います」

スポーツドリンクを差し出すと、男は少し驚いてから何口か口にした。背の高い、赤色が派手な髪の男だ。ダンススタジオに来ているくらいだ、同業者なのだろう。どこかで見た気もする。と考えてレイははっとした。

「気ぃきくなぁ、お前。まじで助かったわ」

改めてレイに向き直った彼は男性アイドルグループcolorSのセンター、タクヤだった。今売出し中の勢いのあるアイドルグループだ。レイは返事もできずにタクヤを凝視する。じっと見つめていると、レイはタクヤに顎を掴まれた。

「キレーな顔してんな。事務所どこ?」

「あ、アリスマジック、」

「聞いたことねぇな。俺がゲロってたの、撮ったりしてねぇよな?」

「してない」

レイはむっとして答えた。助けてやったのになんて言い草なのか。レイの答えを聞いてタクヤはじろじろとレイの顔を見てから笑顔を見せた。

「本当っぽいな。ま、撮られてても構わないけど。あ、食中毒とかじゃねーから、たぶん。さっき買ったコンビニ飯、パクチー入っててさぁ、俺だめなんだよあれ。書いとけっつーんだよパクチー」

さっきまで凄んでいたタクヤはレイの肩をポンポン叩きながらベラベラ喋りだした。感情の落差が激しくて、レイは少し恐怖を覚えるほどだ。

「俺、これから練習すんだけど見てく?これのお礼にタダで見してやるよ」

タクヤはペットボトルを2本振ってみせた。

レイは陽キャのタクヤに怯えていた。しかし、生でダンスを見せてくれると言うタクヤに、気づけばレイは首を縦に振っていた。

トイレを出て二人スタジオに向かう。タクヤが入った部屋は誰もいなかった。レッスンを受けるわけではないらしい。タクヤはストレッチをしてからスマホを繋いだ。

「んじゃ、はじめまーす」

美怜はタクヤの真正面に座った。音楽が流れる。聞いたことがある、colorSの曲だった。

顔を上げたタクヤはさっきまでの顔と全く違っていた。

音楽の他に、タクヤの靴底が音を鳴らす。

レイは前のめりになってタクヤの踊りに魅入った。

幼い頃、母親と一緒に男性アイドルのコンサートに行った。きらびやかなステージと衣装の中、彼ら自身が一番輝いていた。見上げると母親は泣いていた。

『お母さん、どうしたの?』

『嬉しくて、楽しくて…みんなすごいねぇ』

人は感動で涙を流すことを、レイはその時に初めて知った。あんな感動を、自分も誰かに与えたい。レイがアイドルを志したきっかけだった。タクヤの踊りはレイの思い出を引きずり出した。

音楽が止み、タクヤの動きも止まる。

レイは呼吸も忘れて夢中で目に焼き付けた。

「お礼、こんなもんでどーっすか」

笑うタクヤにレイは何度も頷いた。

「すご、すごい。すごかった」

レイは立ち上がろうとして、足に力が入らないことに気づいた。腰が抜けて立てなかった。一曲最後まで踊りきったのに、タクヤは多少息を切らしている程度で表情に余裕がある。呼吸を止めて見ていたせいで、タクヤよりもレイの方が呼吸が荒い。一気に酸素を取り込んで、頬が熱くなっていくのを感じる。

「俺も、そこに行きたい」

今の自分には到底行き着けない。自分もこの人と同じ場所に行きたい、同じレベルまで登りたいと、レイは強く思った。

タクヤはレイの前でしゃがんだ。

「お前さ、名前は?」

「レイ…です」

「その顔で、バックダンサーじゃないよな。グループ名は?一人でやってんの?」

レイは答えようとして止まった。今のレイは男の姿だ。調べられたら女装とバレてしまう。

「あの、ありがとうございました」

「あっ、おい!」

レイは震える足を叱咤して、荷物を抱えてスタジオを飛び出した。人混みの中を隠れるように走る。途中まで背後に気配があったが、ビルの隙間に入り込んで息を潜めてやり過ごした。息を整え、周りを伺ってからレイは駅に向かって歩き始めた。

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