第三 クリスマスなのに爆発

バーチャルの中に

 奈緒は、パズルゲーム「トゥーン・ブレイク・ランド」に夢中である。現実世界で嫌なことや辛いことがあっても、頭を空っぽにしてゲームに集中没頭することによって、現実を忘れられる。ゲームの世界は唯一の自分の逃げ場所、だといった。

 そして、誘われるまま、興味本位にこのゲームの世界に入った。結構な人気ゲームのようだ。

奈緒の勧めどおり、同じチームに加入した。

 度肝を抜かれた。そのチームは、毎週末開催されるチーム戦で全国3、4位に入るエリートであった。そして、奈緒は、そのチームのメンバーの中で、点数の稼ぎ頭、ナンバーワンであった。奈緒は、ここで光り輝いていた。このゲームの世界では、ほんのひと握りの成功者、エリートなのであった。

 僕は、奈緒が誇らしかった。この輝かしい成績を出している誰だか分からない人間が、奈緒だと知っているのは僕だけかもしれないのだ。

 奈緒は、こんなにも光り輝く自分を、僕に見せてくれたのだ。見て欲しいと、思っていたのかもしれない。僕は、感動と喜びの中にいた。

 奈緒の活躍は凄まじく、どんどんと上のステージに駆け上がって行く。これが奈緒だと誰も知らないのか、知っている人も多少はいるのだろうか。でも、この極めて優秀なプレイヤーが奈緒であることを、少なくとも僕は知っている。奈緒にとって、僕はそれを知っても良い特別な存在なのだと、優越感に浸った。そして僕は、奈緒の活躍を讃え、応援した。

 僕も、このゲームをやってみた。おじさんに人気のゲーム、僕にもできそうに思えたのだ。

 全く、駄目だった。どんなに頑張っても、時間を使っても、金を使っても、満足な結果は出ない。

 奈緒のステージアップのスピードには、全くついて行けない。推測するに、ゲームをやっている時間は僕の方が長いようだ。それでも、敵わない。僕は、費やす時間をさらに増やし、課金してアイテムを買った。段々と課金額が増えた。でも敵わない。僕は、正気を失いつつあった。

 少し調べてみると、上位レベルのパズルをクリアするにはIQ130は必要と解説しているものがあった。信頼性は怪しいが、ものすごく高い知能が必要なゲームであることはわかった。なお、IQ130以上とは、人類の上位1%の者を指している。もう少し割り引いて考えても、本当に極々少数の者しか到達できない領域なのである。

 そこに到達しようなどと、僕は思っていない。でも、ある程度、このゲームを奈緒と一緒に楽しみたいと思ってしまった。これが、失敗の始まりだった。

 奈緒に相談した。それなりにゲームを進めるための、アドバイスが欲しかった。答えは、「口で説明するのは無理。また今度会ったとき、一緒にやりながら、直接教えてあげるね。」。

なんと冷たい答えだ。僕は、絶望した。口では無理なのは、理解できる。それでも、なんらかの励ましとか、ねぎらいとかの言葉があってもよい。そして、「また今度会ったとき」って、いつなのか。来月か、半年後か、1年後か、それ以上先か。それとも永遠にこないのか。

 、その前に会ったのは、数週間前、その前は半年前、その前は約2年前、である。いつ訪れるかあてもない次に会うときまで、僕は、このゲームとどう向き合えば良いのか。

「まあ、適当にやっていなさい、教えたって無駄よ、適当に楽しんでいれば良いんだから、あなた達は。」そんな奈緒の声が聞こえてきた気がした。

 アドバイスを貰えない僕は、それを求めるのではなく、なかなか先のステージに進めないことを嘆くメールを、しばしば送るようにした。同じチームに所属していると、メンバーの今いるステージがわかる仕組みなので、僕の進み具合を、奈緒は把握できる。きっと、僕のことを気にかけてくれて、その進捗状況を見守ってくれていると、僕は勝手に思い込んでいた。

 奈緒から、そのうちに、初心者としては普通だとか、凄く遅いけど気にしないで楽しんでとか、何かしらのメッセージが届くはずだと勝手に期待をしていた。

 全くない。なんの反応もない。奈緒からのメールに、僕のゲームの進捗については全く触れられていない。完全無視。苛立った。「貴方のような下等プレイヤーの相手などしている暇はない。次のステージをクリアするために忙しい私の邪魔をしないで」、奈緒のそんな声が聞こえてきた。

 そういえば、このゲームは、奈緒の会社のおじさん達がやっているという話を思い出した。一流業界のおじさん社員には、この知的ゲームをたしなむことはできても、底辺の公務員、出世を絶たれた木っ端役人、役所のお荷物、いや、社会のお荷物である僕には、このゲームの世界で楽しむ資格などない、と宣言されたように僕は感じた。しかも、ゲームの世界だけでなく現実社会でも同じだと、僕は強く思った。

 役に立たない、不要な、邪魔な人間。教養の欠片もなく、愚かで、下品で、低俗で、薄汚い邪な心しかない、排除されるべき者。世界にとっても、奈緒にとっても。それが僕。

 それに対して、奈緒は、一流の人達と一緒に、この知的ゲームを楽しんでいる。しかも、相当に上位の成績を上げながら。

 僕は、はっと気づいた。これが、奈緒が輝いている源なのだと。奈緒の源に触れて、自らのみすぼらしさを思い知らされた。奈緒は、頭の中を真っ白にして、何もかもを忘れ、僕のことなど気にも止めず、このゲームに夢中になり、そして、美しく輝き素敵になったのだ。


爆発 2022.12.20

 この感情は、鋭いトゲとなり、僕の心を貫いた。そして、爆発した。あまりの痛みに耐えられなかった。クリスマスの5日前なのに、すべてが終わった。

 僕は、奈緒にこのゲームへの不満をぶちまけて、このゲームの世界から去った。奈緒への不満ではない。しかし、このゲームを楽しんでいる人達を非難する内容も含まれていて、そのメールはとても乱暴で感情的で下品で無教養丸出しであった。このゲームを大切にしている奈緒を傷つけることになることは、わかっていた。奈緒が傷ついても構わないと、思っていたのかも知れない。

 冷静に考えれば、簡単に理解できること。奈緒は、社会的地位で人を見下したりしない。だって、僕を愛してくれているのだから。奈緒は、僕を無視などしていない。このゲームの世界に、そもそも僕は存在していないのだから。確かに、僕が名付け親となっているとあるプレイヤーは、そこにいた。でもそれは、決して僕ではない。ゲームの世界は、奈緒にとってすべてを忘れる場所。僕も例外ではない。僕はゲームの世界にいてはならなかったのだ。

それでも、このゲームの世界の奈緒を見ることを、僕は許されていた。素敵に光り輝く奈緒を、僕だけは見ていて良いのだと。そんな特別な資格を、僕は自ら放棄してしまったのだ。なんてことをしてしまったのか。あの奈緒を、もう見ることはできない。永遠に。

 僕は、きっと抜けることのないこの鋭いトゲが再び心を傷付けないように、トゲを何重にも包帯で巻き、心の奥底の揺らぎが少ない場所にそっと仕舞った。

 しかし、トゲが心を鋭く貫いたときにできた傷は、まだ、治っていない。奈緒にとって、僕は、なんの役にも立っていない必要のない存在なのだと、思えてならない。


【奈緒からのメール】

「今考えると、確かに山本君の言うように、貴方を無視したようなメールでしたね。

 私はまさか貴方がそんなに苦戦するとは思ってもみなかった。最初に課金したことを知った時も、こんなにつぎ込むことになるとは想像もしてなかった。

 なぜなら私と山本君は同じだと考えてたから。ゲームに対する理解度とか…私は基本ケチなので課金は絶対しないって決めてたし(でも1回だけ一番安いのをしました。)。なんで同じって考えたかは、わからない。感覚的にってことかな?一心同体みたいな?

 実際、どういう風に進めるといいとか、言葉で説明するのは私には難しかった。だから本当に、すぐにでも会って直接一緒にやりたいな、って思ってた。

 私は自分がこの世界での成功者だとは思ってないよ。私より上位の人は他のチームにいくらでもいるし、チーム内の順位は山本君に指摘されるまで気にしてなかった。

 それをちゃんと伝えるべきだったんだよね?

 そしてだんだん山本君がゲームしてる時間が長そうだなとか、また課金してる?とか、私のためにのめり込み過ぎてると感じはじめてちょっと怖くなったのね。私のせいでおかしなことになってる、私がこの話をすることで山本君を狂わせてるんじゃないかって、感じ始めたら話せなくなった。この話からそらさなきゃ、他の事へ気を向けさせなきゃ、って。

 結果、無視したよね、私。山本君の言う通りだ。

 できる自分を見せつけてるつもりは全くなかったよ。ただ先へ進むことが楽しかっただけ。山本君を置いてけぼりにして、自分だけ楽しんでたんだね…その結果、貴方を狂わせ、追い込み、爆発させてしまった。

 それに気付かない私は馬鹿だ。ごめんなさい。」


メリー・クリスマス

 空気が冷たい真冬の深夜、僕は、ベランダに出て空を見上げた。雲一つ無い晴れた夜空のような気がした。でも、月を見つけることはできなかった。そして、輝く星一つ、見つけることはできなかった。クリスマスが終わった年の瀬の夜に、不思議な空模様を感じた。


おわり


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クリスマスなのに爆発【半月の夜に泣く】 陽女 月男(ひのめ つきお) @hinome-tsuki

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