第三十九話 エンリケ航海王子

 広場でイサベルたちと合流すると、カールが御者となって、私たちはセビリアに向けて出発した。

 しばらく進んで、辺りも夜の帳が下り始めると隣に座るイサベルは小さく寝息を立てる。

 イサベルが寝たのを確認すると、私は正面のエンリケに向かって口を開いた。


「ねぇ、エンリケ」

「あん?」

「あなた、オルチとは知り合いだったようだけど」

「あぁ。昔の話だ」

「赤髭とも面識があるのよね? どういう関係なの?」

「そんなの聞いてどうすんだよ?」

「私のネックレスのことも知ってる風だったじゃない! これはお父様から貰ったもの。オレイカルコスって言ってたわよね? あれってアトランティスで採れる伝説の鉱物でしょ⁉」

「……へぇ、意外と物知りだな」

「知りたいのよ! なんで私がアトランティスのものを持っているのか。アトランティスは実在するのか。私は何者なのか!」

「自分が何者?」

「私にはお母様が居ない。小さい頃病で亡くなったってお父様から聞いた。だけど、そのほかのことは何も教えてくれなかったの。お母様のこと、何も!」


 私が必死に訴えると、少しの沈黙を置いてからエンリケはゆっくりと口を動かす。


「十五年以上前の話だ――」


    *****


 まだ俺が十三のガキの頃だ。

 西ゴートの第三王子だった俺は、航海事業を国策として推進していた。

 元々冒険好きではあったが、なにしろ船酔いがひどくてな。専ら航海者を養成したり、援助したりする事業を担っていた。

 そして、ある航海支援をした船がアフリカ西端のボハドル岬を越えたんだ。それまでずっと世界の果てと言われた場所をついに突破すると、そこにはまだ見ぬ大地が広がっていたんだ。

 そのとき俺は確信した。ずっと追っていたプレスター・ジョンの国は実在すると。

 そしたら居てもたってもいられなくなってな、ついには船酔い覚悟で俺自身が船長を務めて大海原へ繰り出したのよ。

 そのとき船員で雇ったやつらの中に、海賊として名を上げる前のバルバロス兄弟がいたのさ。

 エジプトに上陸して、そこから陸路で内陸に進む予定でリスボンを出航した。

 順調に進んでいたが、マヨルカ島の北を航行していたとき、嵐に遭遇した。


「おい、あそこ! 誰か居るぞ!」


 見張り台の船員の大声に、指さすほうを見ると、嵐で大荒れの海原に人の姿が見えた。板切れにしがみついてはいるが、このままでは波に飲まれると、ロープを投げてその人物を引き上げた。


「おい、大丈夫かあんた?」

「うぅ……」


 どうにか息のあるその男を船室に入れ、医療の知識もあるセバスチャンに看護させた。

 翌日、嵐が落ち着くと男も回復し、話せるようになった。


「私はイスパニアのアルバレス公爵。命を救って頂き、深く感謝致します」

「俺は西ゴートの第三王子エンリケ。おっさん、船が難破したのか?」

「いや、私は妻を追ってアトランティスに――」


 アトランティスなんて突拍子もない言葉が出たもんだから、最初こそみんな笑い飛ばしていた。

 だが、おっさんの話によるとアトランティスは決まった場所にあるのではなく、常に海底を移動し、特定の条件下で地上に姿を現す。

 そして地上のそれは、周りを積乱雲で覆われており、それを抜けてやっとアトランティスに辿り着けるのだと。

 つまり、今回の嵐はその積乱雲の影響で、おっさんはその嵐に飲まれて漂流していたと言う。


「いやいや、面白い話だけどさ。さすがに信じがたいぜ?」


 俺がそう言うと、おっさんは腰にぶら下げた大きな袋からいくつかの物を取り出した。


「本来、これは口外するつもりはなかったが、あなたたちは命の恩人。これを見れば私の言うことが嘘ではないと信じてくれるでしょう」


 そう言っておっさんが俺たちに見せたのは、見たこともない工芸品に金属、そしてパンドラの箱と呼んでいた小箱だった。

 ただし、珍しいと言っても、それがアトランティスの証拠となるかと聞かれれば、微妙なところだった。

 するとおっさんは小刀で自分の腕に傷をつけると、その傷口に袋から出した金属を当てた。そして、みるみるおっさんの傷口は綺麗に塞がった。


「これがアトランティス独自の鉱物、オレイカルコスです」


 俺たちはみな、狐につままれたようだった。だけど、それを目の当たりにして信じないわけにはいかなかった。

 みんな感心した様子を見せたが、今にして思えば、そのとき二人だけ、その様子に鋭い眼差しを送るものがいたのだ。オルチとハイレディン。


 反乱が起きたのはその夜だった。


 いち早く異変を察知した俺は、ボートを下ろしおっさんを逃がそうとした。

 だが、そのときすでにおっさんは反逆者たちに捕まってしまっていた。

 当時は俺はまだ王子としての自覚があったんだろうな。どうにかしてでもおっさんを逃がさないと。他国の貴族を巻き込む訳にはいかないってさ。

 俺はおっさんの袋を持ってバルバロス兄弟に言った。


「お前らの狙いはこれだろう? そのおっさんをボートに乗せて逃がせ。そうすればこの袋はお前たちにやる」

「は? よぉし、それじゃ先に袋をよこせ」

「おっさんを逃がすのが先だ。じゃなきゃ俺は袋を持ったまま海に飛び込むぞ」

「ま、待て! 分かった。こいつを先に逃がす。ほれ、さっさとボートに移れ!」


 オルチはおっさんの尻を蹴り飛ばして言った。そしておっさんがボートに乗ったのを確認すると、俺はおっさんのボート目掛けて袋を投げた。

 だがハイレディンは最初から俺を怪しんでたんだろうな。投げたと同時に、舞い上がった袋をサーベルで突いた。

 破れた袋からは中身が飛び出る。だけどほとんどはおっさんのボートのほうに飛んで、ハイレディンの手にはパンドラの箱が残った。

 やつは今にも殺しそうな目つきで俺を睨んだ。あいつも当時はまだ二十歳前だったってのに、恐ろしい殺気だったよ。

 そしてめでたく俺たちはそのまま海に放り込まれたって訳さ。


 そっから先は、最初にマリアに話した通りだ。

 どうにか泳いでバルセロナの海岸に辿り着いた俺やセバスチャン、あと十数名は、そのまま陸路でエジプトを目指し、アルプス越えをする最中で魔女に出会ったって訳よ。


    *****


「な、なるほど……あんた、意外と数奇な運命辿ってたのね」


 エンリケがすでにお父様と面識があったなんて。

 でも、そのときお母様を追ってって言ってたのよね? ってことは、お母様は存命? もしかしてアトランティスに取り残されてるとか?

 考えれば考えるほど分からなくなり、疲れたきった頭はそのまま私を眠りに導いた。

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