第三十一話 ロンスヴォーの戦い
「何⁉」
ガヌロンの一撃がローランの心臓目掛けて振り下ろされた。
しかし、剣はローランの体に届く前にローランの右手によってがっしりと掴まれていた。
「ち、父上、私はこれ以上正気は保てない。どうか、剣を収めてください……」
丁寧に懇願するローランだったが、髪は銀色に染まり、その体はみるみる大きく、筋肉質になっていく。
「ほう、狂人化か。最良の選択だ。だが、狂人化したところで、左手に負った深手は癒えぬだろう!」
ガヌロンはローランの掴んでいる剣先を力ずくで抜くと、再びローランに向かって剣を振りかぶる。
そしてそれを振り下ろすも、そこにローランの姿はなかった。
「消えただと⁉ バカな――」
天馬で素早くガヌロンの遙か上に飛び上がったローランは、そこで天馬から飛び降りる。重力によって落ちるスピードに乗せながら、聖剣デュランダルを振りかぶる。
「ぐはっ!」
その一撃はガヌロンの一方の翼を切り落とした。
ローランはそのまま地面に向かって落ちていく。翼をもがれたガヌロンも、円を描きながら落ちていった。
辺りには大きな水しぶきの音が二つ響き渡った。
そこはピレネー山脈の麓、ロンスヴォー。幸運なことに、二人ともそこに流れるポー川に落下したのだ。
「はぁっ!」
先に水面に顔を出したのはローランだった。
大きく息を吸いこみ、呼吸を整えようとする。
「ガヌロン……父上は……」
そのまま辺りを見回すも、ガヌロンの姿は見当たらない。
息が落ち着くと、夜の真っ黒な水面を岸に向かって泳ぎ始める。
が、そのとき、ローランの顔は水中に沈む。
辺りに浮かぶいくつもの泡が、ローランが如何にもがいているのかを示す。
そしてローランと入れ替わるように、今度はガヌロンが水面に現れ、そのまま立ち上がる。
まさに鷹の足の
ガヌロンは剣を抜くと、水中でもがくローランに向かって言う。
「如何に狂人化したとは言え、水中ではなす術がないな。ローランよ、苦しかろう? 息を吸いに顔を出してもいいのだぞ? 私が上にいる限り無理だろうがな」
少しすると、水面に浮かび続けていた泡が消えた。
「なんだ、もうおしまいか。どうにか顔を水面に上げれば、苦しまずに一思いにこのミュルグレスでお前の首をはねてやったところを。まぁいい。最後は私のかわいい鷹たちの餌となるがいい」
ガヌロンはローランを掴んでいた足を思い切り振り上げる。ローランの体は人形のように、そのまま真上に飛ばされる。上空にいた無数の鷹の群れは、飛ばされたローランの体に向けて一斉に襲い掛かる。
「さらばだローラン。せめて骨の一本くらいは拾ってやろう」
ガヌロンは見上げながら言うと、頭上に落ちてきたものを拾う。
「な⁉ 鷹だと⁉」
それはローランの骨でもなければ肉でもない。鷹の死骸だった。
鷹の群れは全羽、亡骸となってそこに落ちる。鷹たちが群がった奥には、月に照らされた剣が光る。さらにそれを持つローランの姿もはっきりと見えた。
ローランは浅瀬に落下すると、すぐ立ち上がりガヌロンに向かって剣を構える。
「ローラン! よくも私の鷹を!」
鷹を全滅させられたガヌロンは烈火の如く怒り、ローランの元に泳ぐ。
「我が父、我が師ガヌロン。正々堂々、決着をつけましょう」
「決着だと?
二人は互いに剣を構えたまま対峙する。
少しの沈黙のあと、同時に間合いを詰めるとそれぞれの剣が激しく交差する。両者一歩も引かないまま、何度も剣が重なり辺りに激しい金属音を響かせる。
(さすが父上。狂人化した私の力を以てしても、押し倒すことが出来ない)
(左腕に深手を負っていながら、私と互角に渡り合うとは)
二人の激しい激突を象徴するように、川の上流のほうには厚い雨雲がかかり、稲妻が何度も光る。
(上流のほうは大雨か? ならば早く決着をつけねばここも……)
(ローランめ、いつの間にこんなに剣の腕を……)
「父上、次の一撃で決めさせてもらいます」
「望むところだ。私の渾身の一撃を見舞ってやる」
一旦距離を取ると、二人は剣に力を溜める。
「クロック・ドゥ・ルー!」
「グリフ・ド・フォーコン!」
ローランとガヌロンはそれぞれ剣技を口に出す。二人の命が宿ったかのように、両者の剣は淡い光を放つ。
そのまま二人は交差すると、その勢いのまま互いに背を向けながら止まる。
ローランは膝から崩れる。
「やはり、父上の剣は……偉大だ……」
ローランはその崩れた太ももから出血している。
背を向けたままそれを悟ると、今度はガヌロンが言う。
「ローラン……見事であった……」
そのままガヌロンは浅瀬に倒れ込む。
「父上!」
ローランは振り向くと、足を引きながらガヌロンのもとに寄り、その体を抱き起す。
「父上! すぐに手当ての出来る場所に、ヴェイヤンティフに乗ってすぐに!」
「ローラン。我が息子。済まなかった……私は、もういいんだ」
「何を仰るのです⁉ まだ間に合います! 致命傷は避けたはず!」
「本当に見事だ。あの状況で考え、そしてやり遂げるとはな……」
「だから早く! 今、笛を――」
「ローラン、よく聞け。私はもう助からないのだ」
「そんなはずはない! 私は急所を外し――」
「お前のせいではないのだ。私は既に死んでいたのだよ」
「死んで、いた……?」
「陛下とともに奴らの罠にはまったとき、私は殺されたのだ」
「馬鹿な⁉ こうして私と話しているではありませんか⁉」
「バルバロス・オルチだ」
「オルチ?」
「やつが一連の争乱の黒幕。私はやつの能力によって、死してなお、操り人形として使われたのだ」
「能力? そんな……」
「やつには死神が宿っている。人を生かすも殺すも、やつの思いのままに。オリヴィエには謝っても謝り切れん……死んでいるとは言え、好き勝手にこの体を使われたのは私の不徳の致すところ」
「大丈夫です、オリヴィエは生きています。絶対に助かります!」
「最後にお前と剣を交える中で、やっと正気に戻ることが出来た……ローラン、我が息子。陛下を、フランクを頼ん――」
「ち、父上? 父上ーーーーーーー‼」
息絶えたガヌロンの亡骸を強く抱きしめながら、ローランは大粒の涙をこぼす。
父であると同時に、剣の師であるガヌロンの最後の瞬間を見取り、様々な思いが頭をめぐる。
だからこそ、気づくことが出来なかった。鳴り響く轟音が。真後ろに迫った上流からの濁流が。
その濁流が落ち着くころには、水面は真っ黒に染まっていた。そして月が照らすその場所に、二人の姿はもう見えなかった。
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