第三十二話 サラゴサ王マルシル

「ね、ねぇカール。いくらなんでも、警備が手薄すぎるんじゃない?」


 広場への階段を駆け上がりながら、まるで守りてのいない宮殿内を見て私は言った。


「うん? なんだい嬢ちゃん、敵がいなくて残念がってるのか? 安心しろって、どうせ目的の場所に行けば嫌でも戦いになるんだ。あれ? 髪型変わったかい?」


 ……今さら髪に気付いたのね。

 それはさておき、アルハンブラ宮殿と言えばウマイヤ朝の前、ナスル朝時代の王宮。グラナダに拠点を置くと言うことは、イスラム海賊であるオルチは当然この宮殿を根城にするつもり。なら至る所にサラセン人でも海賊でも、警備を置かないなんておかしいわ。

 だってここは元々ムスリムの街だった――そう、お父様がまだ若い頃、イスパニア海軍に属していたときにここを陥落させ、サラセン人を排除してイスパニアを統一した。

 グラナダにしても、コルドバにしても私たちはサラセンの人々を追い出した。バスク人にしてもそう。彼らをピレネー山脈に追いやったのは私たちイスパニア人……。


「どうした、マリアの嬢ちゃん? 浮かねぇ顔だな」


 考えているうちにもやもやとした気持ちが顔に出てしまったのだろう。カールは私を見ると心配して声を掛けてくる。


「う、ううん。なんでもないわ。もうすぐよ、これを上れば」


 今上っている階段の先に広場がある。余計なことは考えず、今はみんなを助けることに集中しないと。


「お、あれか! まだ遠めだが、育ちの良さそうな顔した連中がはっきりと見えらぁ」


 カールの言葉通り、階段を上がった先に見える広場には、台の上の整列した人々が見える。きっとあの中にシャルルマーニュ陛下や十二勇士たちが。

 彼らはみな腕を後ろに組んでいる。きっと手を縛られているのね。

 そして兵士らしき人物によって、一人一人首に縄のようなものを掛けられ始める。


「縄⁉」

「絞首刑か。いよいよ時間がねぇな。さぁ、あそこまで一気に――」


 カールがそう言うと、私の足首に何かが巻き付いて、体は逆様に宙に浮く。

 それを見ていたカールはすぐにフランキスカを投げつけ、私に巻き付く何かが切れると、私の体は自由になる。


「ツタだ!」


 カールの言葉に切れた何かを見ると、それはツタだった。地下牢の入口で、そしてキャラバン隊や捕らえられた貴族たちの口から出てきたあのツタと同じだった。


「あれ? ガヌロンはどうしたんだい?」

「やつなら今頃ローランにやられてるだろうよ」


 目の前のツタが大きく膨らむと、中から一人の男が出てきて聞いた。この顔は地下牢のところで見たマルシル。カールはマルシルに勇ましく答える。


「全く、ネズミたちを残していくなんて。せっかくオルチ様が与えてくれたチャンスなのに、ガヌロンめ」

「嬢ちゃん、こいつは俺が仕留める。先に広場に向かって、みなを救え」

「え? でも……」

「俺が行ったら、こいつまでついてきちまう。早く行け!」


 カールの真剣な目を見て、私は小さく頷くと広場へ走り出した。


「させるものか!」


 マルシルの手からツタが伸び、私に向かって襲い掛かる。

 

「おっと、お前の相手はこの俺だ」


 カールはまたフランキスカを投じて、そのツタを切り落とした。


「カール、絶対に私に追いつくのよ!」


 走りながら言う私の言葉に、カールは笑って頷いたように見えた。






「さて、マルシルだったか? 俺はポワティエの大工、カール・マルテルだ。お前さんも能力者のようだが、お手柔らかに頼むぜ」

「死にゆく貴様に名乗っても仕方ないんだけどね、冥途の土産に聞かせてやろうね。私こそサラゴサの王にしてこれから作る新しい国、イスパニアの王となるマルシルだよ」


 お互いに構えながら対峙する。

 先に動いたのはマルシルだった。手から伸び出る無数のツタが、カール目掛けて襲い掛かる。

 カールはそれらを上手くかわしながら、右手に持つフランキスカで次々に薙ぎ払っていく。

 そして間髪入れずに、左腕を岩のように硬化させて振りかぶり、マルシル目掛けて渾身の一発を喰らわす。


 マルシルは後ろに吹き飛ばされるも、床に衝突する瞬間そこにツタのクッションが広がり、ダメージを和らげる。


「けっ、妙な技を使いやがる。雑草人間め」

「それはお互い様だよ。なるほど、どうやらそっちもただの人間って訳じゃなさそうだねぇ」


 マルシルは口元に流れる血を手で拭い払いながら、またも手の先からツタを伸ばす。


「生憎だが、もうその技は見切っている。やるだけ無駄だぜ」

「その傲慢さが戦場では足を引っ張るんだよ」


 するとツタの先から無数の豆がカール目掛けて発射される。


「うおっ⁉」


 カールは即座に体を後ろにずらし、その攻撃を避ける。


「おやおや、いいのかい? 後ろはもう壁だよ?」

「なんのこれし――」


 マルシルの言葉と同時に、カールの背後の壁一面からツタが生え、無防備なカールを縛り付けた。


「っぐ、体からだけじゃねぇのか、このツタはよ!」

「全く、これだから脳まで筋肉の馬鹿は困るんだよ。さっきも見ただろ? 床からツタが生えたのを。私はね、あらかじめそこら中に種をまいておいたのだよ。これでも私は用心深いのだ」

「っけ、悪知恵は働くようだな。まぁこのくらい、ちょうどいいハンデだろう」

「そんなこと言っていられるのも今の内だよ」


 カールの挑発にも乱れることなく、マルシルは冷静に言うと、身動きの取れないカールに向かって再び無数の豆を発射する。

 カールはすぐに全身を岩石化してそれを受ける。


「俺は岩の精霊の祝福を受けてるんでな、こんな攻撃全く効かねぇんだよ。悪いな」

「攻撃が効かない? 果たしてどうかな?」

「まぁ相手が悪かったと思って諦めるんだな。それじゃ反撃させて――うぉ⁉」


 カールはそう言いながら、巻き付いたツタを振り千切ろうと腕を振り回した途端、カールの岩石化した腕の下から血しぶきとともにツタが伸びてきた。


「言い忘れたけどね、私の豆は相手にダメージを与えるためのものではないのだよ。体に植え込み、そこの筋肉が動くことによって発芽する種なのだ」

「……種、だと?」


 カールは血が流れる左手を右手で庇いながら言う。


「貴様の全身に種は植え込んだ。動けば動くほど、大量の血を養分にして私のかわいいツタが芽生えるのだよ」

「なるほどな……すると、地下牢前で朽ちていった貴族たちもお前さんの仕業か?」

「彼らには食事に私の種を与えたからねぇ。言葉を発すると発芽する仕組みだったのさ。つまり、貴様たちのせいで彼らは死んだのだよ。安心したまえ、すぐに彼らのもとに送ってあげるから、そこで直接謝るといいよ」


 マルシルは動けないカールに向かってツタの先を向ける。

 カールはそのまま、マルシルを睨みつける。

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