第二十五話 暴君ネロ
まずい。さすがにまずいわ。エンリケもオリヴィエもいない。
いくら相手がマヌケの海賊だとしても、十人はいる。可憐でか弱い、ついでに
「ごきげんよう。こんなところで会うなんて、奇遇ね。お元気かしら?」
会話を振りながら、どうにかやりすごす術を考える。
「おう、おかげ様で……元気な訳あるか! こちとらな、お前らのせいで溺れ死ぬところだったんだ!」
「そうだ、このアマ! お頭はついさっきまで泣きべそかいてたんだぞ!」
「いちいち言うんじゃねぇよ、このスカタンが!」
ネロはしゃしゃり出た子分の頭を小突く。
「泣きべ――いえ、どうかしたの?」
「これはいい質問だ、お嬢ちゃん。やっとの思いで陸に上がったはいいが、
「迷子になったんだよ、あのクソ野郎のせいで!」
「迷子とか言うんじゃねえよ! そうそう、あの男はどうした? エンリケと言ったか?」
再び部下の頭を叩いて、今度はエンリケのことを聞いてくる。
「その……捨てられたのよ」
咄嗟に思いついた嘘をつく。
エンリケは怪我を負っている上、気を失っている。いくらなんでも、そんな無防備なところを襲われたら殺されかねないわ。
私が助かるなら別にあいつの居場所を晒しても構わないけど、今回に限っては私を守るためにそうなった訳だし。公女として、いくらエンリケ相手でも、恩を仇で返す訳にはいかないわ。
あとはこいつがどう出るかね……。
「ほう。捨てられたと?」
「お頭用心してくだせぇよ。この女、あの化け物だらけの船に乗ってたんでさぁ。魔女かもしれねぇですぜ」
まだ言ってる……。
「私は人間だってば」
「……お嬢ちゃん。名前は?」
「マリアよ」
「よぉし、マリア! 今日からお前は俺様の仲間だ」
「へ?」
「俺たちを海に投げ捨て、そして今度はマリアをこんな山奥に捨てたやがった。憎いあん畜生を見つけて、一緒に復讐してやろうぜ!」
「復讐ですって?」
「おうよ。そうと決まれば、野郎ども! このまま突き進むぞ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
私は慌ててネロを止める。
「なんだよ、せっかくの盛り上がりに水を差す気か? あぁ⁉」
「いえ、そんなことは滅相もないわ。ただ、エンリケに復讐するのよね? あいつの居場所分かるの?」
「それもそうだな。マリア、やつの行先に心当たりはねぇか?」
「……グラナダ」
「グラナダだぁ? あんなとこ、バルバリア海賊とサラセン人たちの巣窟じゃねぇか。あんな危ねぇとこに――」
「大丈夫よ。私がいれば」
「お前がいればだと? おいマリア、お
「私はマリア・トレド・アルバレス。イスパニア公爵ガルシア・トレド・アルバレスの一人娘よ」
「公女だと? その身なりでか? ってか、イスパニアってなんだ? おいおい、嘘はなしだって――」
「お頭、そう言えば聞いたことありますぜ」
「俺もでさぁ。確か古代ローマ時代にイベリア半島にあった州の名前だったかと」
疑うネロに部下たちが進言する。部下のほうが物知りじゃない。
「なるほど。ってこたぁ、お前はその末裔だと言うのか?」
「ま、まぁね」
「それは奇遇だな。それで、そのイスパニアの末裔のお前さんは、なんでこんなとこで捨てられたんだ?」
「誘拐されたのよ、海賊エンリケに。身代金目的だったけど、グラナダがあんな惨状になったので、用無しだと言って捨てられたの」
「なるほど、それでお前を捨てたエンリケはグラナダに残っていると。確かに筋は通ってるな。だが、いささか出来すぎてねぇか?」
即席の筋書きにしては結構うまくいったけど、ネロめ。バカのくせに、ここに来て疑い始めた。
「グラナダは今、言わずと知れた超危険地帯。そこにやつが残るかねぇ? 俺たちをそこに誘導して追い詰めようと考えてねぇか?」
「そ、そんな訳ないじゃない。さぁ早く、グラナダに行きましょう。こっちよ」
私はグラナダの方角、エンリケと逆方向に歩を進めようとする。
「待てい。そんなに急いで、益々怪しいなぁ。この先に何か隠してやがるんじゃねぇか? だいたい、お前が公女と言う証拠もない。こりゃいよいよ、この先を確かめねぇと気が済まねぇ」
そう言って止める私を無視し、ネロはエンリケの居る方向へ歩き出す。
証拠……ネックレスはエンリケの元にあるし、かと言ってここをどうにか乗り越えないと、このまま直進されたらエンリケがやられちゃう。
私は部下の腰から短剣を抜く。
「あなた、仲間の言うことが信じられないの⁉ 私は紛れもなくアルバ公女マリア! これが証拠よ!」
「マリア、お前……」
ネロに向かって叫ぶ。私は抜いた短剣で、自慢の赤い髪の毛を肩から切り落とした。
長い年月をかけて腰まで伸びていた髪。奴隷船の中でも、それはずっと私の誇りだった。そう、公女としての。
でも他に思い浮かばなかった。エンリケを救う、ネロを足止めする方法が。
「――済まねぇ。俺としたことが、仲間を裏切るとこだった。マリア、お前の覚悟、確かに受け取った。アルバ公女マリアよ」
涙を浮かべたまま私は続ける。
「それに私はイスパニア……ウマイヤ領に土地勘があるわ。エンリケがグラナダを離れる前に追いつける」
「まぁこの前は油断してただけだ。俺様の力を以てすればやつなど倒すなど造作もない。いずれ皇帝となる俺様だ。ついでにグラナダを支配するのも悪くないな」
「皇帝?」
そう言えば、アブドーラが言ってたわね。ローマ皇帝の末裔を名乗ってたって。ローマ帝国なんて当の昔に滅んでいるのに。
「よくぞ聞いた。俺様はローマ皇帝の正統な血筋を引く者。ローマ帝国を復興し、新たな時代の皇帝となるのだ! カイザーと呼ぶがいい!」
「バカイザー……」
急にみんな静かになる。
しまった。せっかくうまくいってたのに、つい本音が口に出ちゃった。
「ぶっ」
沈黙の中、部下の一人がたまらず吹き出した。
「おい貴様。何がおかしいんだ?」
「いえ、何もおかしくなんか……」
ネロの追及にやたら動揺する部下。見るとネロが上に向けた右手の平に、真っ赤な火の玉が浮かんできている。
そうだ、ネロは特殊な火の玉を出すって言ってたわ。そうするとこれが? って、冗談じゃない。こんなところで人殺しはやめてよ。半分私のせいみたいじゃない……次は私が狙われるかもしれないし。
「ほら、暗くなる前に山を下りないと。ここは化け物が出るって有名なのよ」
「このスカタンが! お前がバカイザーって言ったからだろう! だが化け物は困るな。いや、困る訳ではないが……」
なによ。ビビってるくせに。
「ごめんなさい。ついイスパニア訛りが出ちゃって。イスパニア語だとバカイザーって言うのよ」
「なんだと? そうなのか、お前ら」
「いやどうでしょう? でも、多分そうじゃないですかねバカイザー」
「そうそう、俺も聞いたことありやすぜ。バカイザー」
「よおし、分かった! だが、てめぇらは訛るんじゃねぇ! さっさと山を下りるぞ!」
そうしてネロの一団と私は下山をする。
オリヴィエが山賊どもに負けるはずはないだろう。蹴散らして、エンリケを見つけてくれるはず。そうすれば、私が落とした髪の毛を見つけて……。
一足先にグラナダに歩を進める私が託した希望。毛先をグラナダに向けて落とした私の髪の毛。
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