第十四話 やけ酒

「よぉ、諸君。別に襲うつもりはないんだが、いきなり白旗とはどういう趣向だ?」


 船が完全に停泊する前に、エンリケは風を纏いながら飛び降りて、旗を振る民衆に向かって大声で言う。

 エンリケのくせに変にかっこつけて。なんか頭に来るわね。


「襲うつもりはない?」

「よく言うぜ、その旗はなんだよ⁉」

「お前たち、怒らせるなよ! 殺されるぞ」


 エンリケの言葉に対し、民衆の反応はどうも穏やかではない。


「おいおい、こいつはさっき海賊から貰ったものだ。そこの船も一緒にな」


 エンリケはざわつく民衆に対し、両手を広げながら説明する。


「貰った?」

「言われてみればあの船、ネロの野郎が盗んでいった……」

「本当にあいつを?」

「みなの者、静まれ!」


 動揺する民衆を制し、桟橋の奥からドルマンを纏った恰幅のいい男が前に出てくる。


「どうか無礼をお許しいただきたい」

「いやいや、謝る必要はない。どうやら俺たちは、歓迎されぬ客人だったかな」

「そんなことは――それよりも、あなたたち。その船は本当にネロから?」


 その男は、曳航してきたネロの船を見ながらエンリケに問う。


「あぁ、そういやネロって言ってたなあいつ。いやまぁ、なんでもくれるって言うから、貰ったんだ。断じて奪ったりはしてないぞ」

「で、では、ネロたちは?」

「ん? あぁ。サメの餌になってなきゃ、今頃どこかで泳いでるんじゃないか?」

「おぉ、なんと言う……アッラーよ、感謝いたします」


 このおっさん、急に感激して神に祈り始めたし……。


「申し遅れました。わたくしは、ここセウタの商館「フンドゥク」を預かっております、アブドーラと申します。不躾ぶしつけですが、お名前をお伺いしても?」

「あぁ。俺はエンリケ。キャプテンエンリケと呼んでくれ」

「エンリケ様、長旅でお疲れでしょうが、ぜひ歓迎の宴を用意させて頂きたい」

「宴だと? いやこれは。悪いねぇ。あと、キャプテンね、キャプテン」

「ささ、そちらのお嬢様もどうぞこちらに」


 アブドーラはエンリケと私をエスコートする。セバスチャンやエミーは彼らには見えないだろうし、船を無人にするってのもあれだから、ちょうどいい留守番ね。




 セウタか。かつてウマイヤ朝の軍港として栄華を誇ったとは聞いていたけど、拍子抜けね。

 歩きながら見るその街並み。軍艦どころか、砲台もことごとく崩れて、どれも使い物にならなそう。女子供や年寄りが多く、青年男子はほぼいない。ましてや軍人らしき人物なんて皆無。本当に話に聞いたセウタなのかしら?


「実はお二人に先立って、大事な客人がおりまして」

「客人?」

「えぇ。その方々に、街を好き放題荒らし回ったネロを捕らえて頂いたのです。ところが不注意から脱走を許し、その逃げ際に新造の船を奪われてしまって。途方に暮れておりましたところ、エンリケ様がその船を引き連れて来てくれたという訳でして」

「つまり、遠回しに船を帰せって訳ね」

「あはは、さすが。これは参りましたな。その船はその方々への献上物でしてね。決して悪いようには――」

「まあいいって。二隻あっても人手がないしな。その分、遠慮なく飲み食いさせてもらうぞ」

「そりゃもちろん。お目通しは難しいですが、今回の功績をお伝えさせてもらいますよ」

「ははぁん、宴とは元々その船主のために設けた席だな。俺はタイミングよく、そのおこぼれに預かったと言う訳か。なるほど、どうりで準備が良い訳だ」

「あんた、そんなのぜんぜん気にしてなかったくせに」


 分かった風なエンリケを見て、少し腹の立った私は釘を刺す。


「ところでお嬢さんは何というお名前で?」

「え? 私は――」


 まがりなりにもここはイスラムの街。迂闊にイスパニアの公女を名乗るのは、少々危険かしら。

 偽名を名乗ろうにも、適当なものが思い浮かばず言葉を濁していると、前から聞き覚えのある声が響く。


「あら。誰かと思えば、あなた……まさかマリア?」

「イ、イサベル⁉」


 それは良く見知った顔。幼馴染のヴィゼウ公女イサベルだった。

 いや、幼馴染とはちょっと違うわ。苦学を共にしたライバルってとこかしら。


「イサベル……本当に、変わらずに……。あなたに聞きたいことが――」


 お父様のこと、リシャールのこと、そしてセビリアの海上封鎖のこと。この一年間のことについて、聞きたいことだらけ。


「まぁまぁ、ボロに身を包んだ下賤のものが、軽々しくも私に口を開くなんて、なんておこがましいのかしら」

「は⁉ イサベル、あんた何言って――」


 私を見下しながら、イサベルは高圧的に言う。

 その言葉に私は自分の服を見つめる。使い込まれた、ボロボロのエプロンドレス。奴隷貿易船のときのまま。対するイサベルは真紅のサテン製の真新しいドレスに身を包んでいる。

 なんで今まで気にしてこなかったのよ。私この格好で今まで公女を名乗ってたの? ただの面汚しじゃない。 

 悔しさと恥ずかしさが込み上げながら、私は下を向く。

 イサベル。小さい頃からずっといがみ合ってきた。

 お互い相手に負けたくないって思う一心で、己を高め合い、そしてぶつかり合ってきた。共に切磋琢磨できた。

 いつもぶつかっていたけど、少なくとも、私の中ではそういう気持ちがあった。

 それなのに、今、ここでそんな言葉を。一年ぶりの再会なのに。喜ぶどころか、さげすんでくる。それはそうよね、身なりを見れば一目瞭然。何が幼馴染よ、何がライバルよ! 私が勝手にそう思ってただけじゃない……バカみたい……。

 そんな思いが頭を駆け巡り、それ以上の言葉は出せなかった。


「イ、イサベル様、こちらのマリアさんとはお知り合いなのですか?」


 アブドーラは空気を察したのか、気まずそうにしながらも間に割って入る。


「いいえ全く。そこの殿方の使用人じゃないかしら?」

「ん? ほう、姉ちゃん、中々見る目があるじゃねぇか」


 イサベルめ、よくもそんなしらじらしく……。そしてエンリケ! 私がここまでけなされているのに、なんとも思わないわけ⁉


「それはそうと、あなたは西ゴートの――」

「あれ? どっかで会ったことあったか?」

「やっぱり。少々雰囲気が違いますけど、分かりますわよ。アブドーラ、この方にも同席して頂きます」

「あ、ええ。するとこのエンリケ様は――」


 私を放って楽しそうに……。


「帰る」

「あ、マリアさん?」

「おう、夜も遅いからな。良い子は船に帰って早く寝――⁉」


 私はエンリケの股間を思い切り蹴り上げ、船に走った。

 エンリケは苦しそうにかがみ込むが知るものか! 見知らぬ夜の街を私は泣きながら、船に向かって全力で駆け抜けた。






「あれ? マリア様? 一人ですか?」


 船に戻ると、エミーが不思議そうに話しかけてきた。


「様とかつけないでよ! 私はみすぼらしい平民なんだから!」

「ひぃぃぃ、ごめんなさい、マリア様!」

「だから、様はつけるな! ――ラム持ってきてよ」

「え? お酒ですか? でもぉ――」

「いいから、早く持ってきなさい!」

「は、はいぃぃ⁉」


 私は大声でラムを催促する。エミーには気の毒なことをしてるって分かってる。でも感情を押さえられないのよ。


「お待たせしました。セバスチャンさんには、内緒で……」

「あんたも飲みなさいよ」

「え? 私もですか?」

「そうよ。私に付き合いなさいよ!」

「ひぃ。わ、分かりました」


 私はエミーと一緒にラムを飲む。さっきの一連の愚痴を言いながら、ボトルを何本も開け、ついには船倉に行って、酒樽から直接注ぐ。




「ほんとに頭に来るわよあいつら! ねぇ、エミー。私の気持ち分かるでしょ⁉」

「ひっく、あからさぁ。そんな嫌なら、ぶっ飛ばしにいへばいいへしょ!」

「そんな簡単に言うけどね、行ったところで、またあんなみじめな思いしたくない訳!」

「ははぁん、マミア様一人じゃ怖いんはぁ、ひっく」


 エミー、この娘こんな酒乱だったの……? 私の名前もちゃんと言えてないじゃない! 誰よ、マミアって⁉


「ほんじゃ、あらしが連れてってあげまほう!」

「え? ちょ、ちょっと⁉」


 するとエミーは私を抱きかかえ、颯爽と船を駆け降りる。

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