第十二話 セビリア海上封鎖

「う、うぅん……」


 けたたましく鳴り響く衝撃音。船内は嵐にでも遭遇したかのように、大きく揺れ続ける。

 ちょっと、何よ。まさかこの海域で嵐?

 昨夜はジブラルタル海峡の西にいた。もうセビリアに近いはずだ。この辺りはかなり穏やかで、嵐なんて私が生まれてから経験したことがない。なのでにわかに信じられなかった。

 眠い目を擦りながら様子を見に甲板に向かおうとしたが、万が一嵐だった場合のことを考え、エミーに聞く。


「ねぇエミー。これって嵐かしら?」


 返事がない。すぐにエミーのベッドを振り向くと、いい夢でも見ているのか、笑いながら寝ていた。


「いったぁぁい……なにするんですか、マリア様」


 呆れて私はエミーを叩き起こす。


「痛いじゃないわよ。あなた良くこんな状況の中、呑気に寝ていられるわね!」

「あれ? なんか騒がしいですね」

「まったく、幽霊なんだから睡眠なんて必要ないでしょ?」

「幽霊でも疲れますもの」

「私の世話係をして疲れるなんて、よく今まで使用人なんて務めて来れたわね」

「……」


 エミーは目を大きく見開く。

 何驚いた顔してるのかしら、この娘。


「とりあえず上の様子を見てきてちょうだい」

「えぇ? 私が、ですか?」

「他に誰がいるのよ?」

「マリア様、一緒に行きませんか……?」

「嵐だったらどうするのよ⁉ あなた幽霊なんだから海に投げ出されても平気でしょ?」

「死にはしませんけど……海賊とかだったら怖いじゃないですか……」

「怖がってないで、幽霊ならもっと堂々としなさいよ! 幽霊やめさせるわよ!」

「ひぃ、ごめんなさい。行ってきます……」


 エミーはとぼとぼと、部屋を出て行く。

 少し可哀そうだけど仕方ないわ。私に何かあったら、それこそ国の問題になるんだから。


「マリア様大変です!」

「うわ、びっくりした。エミー、早いわね」


 ドアを激しく開けてエミーが駆け込んできた。


「ドーンです! ドーン! あとパチパチ!」

「は? ドーン?」

「はい、もういっぱいドーンって!」

「エマよ、落ち着きなさい」


 エミーの後ろからセバスチャンが入ってきた。


「マリア様、ただいま本船は集中砲火を受けております」

「え? だってセビリアに向かってたんじゃないの?」

「その通りでございます。そのセビリアの港前が、完全に封鎖されているのです」

「なんですって? どうして……」

「それが、わたくしにも分かりかねます。坊ちゃんが今懸命に、風を使って砲撃を弾いておられるのですが」

「エンリケが?」

「はい。それで至急マリア様を甲板に呼ぶようにと、仰せつかりまして」

「私を? まさか、私を盾にしてどうにかしようと企んでるんじゃないでしょうね?」


 あいつが私を呼ぶなんて、怪しさしかないわ。


「とんでもない。坊ちゃんに限って、そんなことをするはずがございません」


 その坊ちゃんに限るから、するかもしれないのよ……。


「甲板に魔女の刻印も準備してありますので、マリア様の安全は保障いたします。どうか、坊ちゃんの力に」

「わ、分かったわよ……」

「ありがとうございます」

「マリア様、お気をつけてくださいねぇ」


 くそぉ、エミーめ。自分が行かないと分かったら、余裕の笑顔で見送るなんて。

 だいたいなんで私が行くのよ? あのクソ男、絶対何か悪だくみをしているに違いないわ。

 甲板への階段を上りながら、私はどんどん不安にかられる。


「ちょっとこれ、一体どうなってるのよ⁉」


 甲板へ上がるとセバスチャンの言うように、港前に集まる数十隻もあろうかという、見渡す限りのフリゲート艦から大砲の嵐が飛んできている。

 いつになく必死の形相のエンリケが、ことごとくそれを弾いている。けれども、その圧倒的な数に、彼の顔にも疲れが見て取れる。


「おいマリア、早くしろ! 野郎ども、帆を下ろせ!」

「へい!」


 私の声に反応したエンリケが、こちらを振り向くことなく止めどない砲撃を食い止めながら言う。

 三人の骸骨はロープを緩めて、帆を下ろし始める。


「早くって何よ?」

「舵を握れ! 面舵一杯、急旋回して引き返す!」

「そんな、急に……あなたの力を使って逃げればいいじゃない」

「バカか! 船がハチの巣になってもいいのか⁉」


 よくも私を馬鹿呼ばわりしてくれたわね。でもまぁ、エンリケも砲撃をしのぐことに手一杯のようだし、悪魔じみた力でも万能って訳ではないようね。


「分かったわよ。あんたこそ、一発も見逃すんじゃないわよ! 見せてやるわよ、私の航海術を!」


 激しく揺れる船上、波しぶきを浴びながら私は目一杯舵を右に回す。急旋回に船が更に大きく左に傾く。

 まさに転覆の危険を感じたそのとき、左舷の海に落ちた砲弾の作る大波が、傾く船を持ち上げる。

 一連の大きな揺れに体が吹き飛ばされそうになるも、必死に舵を掴みそのままセビリアを背にして突き進む。


「よおマリア、やるじゃねぇか」


 砲撃はまだ続くが、最大の窮地を脱して、艦隊との距離を作れたことで少し余裕が生まれたのか、エンリケが口を開く。


「言ったでしょ? 私の航海術を見せるって」

「それにしちゃ、転覆寸前だったけどな」


 私の言葉をエンリケは笑って返す。確かにあれは危なかったけど……もしかして、エンリケがわざと弾を左に弾いて? ――まさか、ね。

 危ない危ない。私としたことが、こんな男を買いかぶるところだったわ。

 だいぶ艦隊との距離も開き、砲撃も船に届かなくなってくる。

 風の強さは変わらないのに、気のせいか船の速度はやや鈍ってきているように感じる。


「あ……」


 メインの帆に大きな穴が開いている。どうやら大砲を一発喰らったようだ。


「ちょっとこの帆、大丈夫なの?」

「んまぁ、港に着いたら新しいのを調達すればいいっしょ」

「お気楽ね……。だいたい、なんでイスパニア海軍に襲われるのよ? あなたまた、何かやらかしたんじゃないでしょうね⁉」

「ありゃ無敵艦隊じゃなかったぜ」

「……どうしてよ? セビリア前よ? 他にどこの艦隊があるって言うのよ?」


 セビリアはイスパニアの首都だ。その港前を封鎖するのは、イスパニアの無敵艦隊に決まっている。

 何か事件があって封鎖しているのか、国賓でも訪れて警備を固めているのか。いずれにしても外部の侵入を許さないその様は、イスパニアの公女として鼻が高いわ。


「バルバリア海賊」

「はい? なんで海賊がセビリアを封鎖できるのよ」

「さぁな。でもあの紋章は確かにそうだ」


 紋章? 星空を覆い隠す雲が広がるこの夜の暗さの中、あの距離で見えるはずないじゃない。

 たちの悪い冗談だわ。でも今から戻って、それを確認できる場所まで近寄るのは危険すぎる。


「んじゃ、舵をよろしく」

「どこに向かうのよ……?」


 とは言ってもこの曇り空の下、星の位置から方角を知ることも出来ない。


「分からん。このまま真っすぐ行けば、どこかに着くでしょ」

「あんたねぇ、仮にも船長なんだから――」


 そう言いかけると、大きな音と共に、これまでよりも遙かに強い揺れが船を襲う。

 船首には別の船がある。前回よりは小さな船体だが、やはりその船の帆には大きくドクロが描かれている。


「おい……」

「あはは、ごめんなちゃい」


 怒るエンリケに向かって、私は舌を出して可愛らしく謝る。

 はぁ、三度目の衝突事故よ……。

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