第十話 キャラック

「よくも、よくも……」


 もがきながら倒れるヨセフの前に、テレサさんが歩み寄る。


「ヨセフ、あなたのしたことは、決して許されることではありません」

「お、奥様……」

「ですがそれは私も同じこと。あなたは私に大変尽くしてくれました。夫亡きあと、私を支えてくれたのは紛れもなくあなたでした」

「わ、わたしは……」

「いつからでしょう。あなたの私に対する気持ちは、あるときから歪んだものになっていきました」

「……」

「だけどそれは、あなたなりに私に示してくれた愛。間違った道へ進んでしまいましたが、それに気付いてくれたならば私はそれ以上咎とがめません」

「わたしはもう……」

「ご安心なさい。私がこの世に居続けるのは、あなたの気持ちがここに強く残っていたから。あなたが消えてしまえば、私もこの家のものもみな、一緒に消えます。ですから、あなた一人にはなりませんよ」

「奥様、数々の非礼面目次第もございません……」


 ヨセフもテレサさんも、だんだんと姿が薄くなっていく。


「マリア様、この度は大変ご迷惑をお掛けしました。どうかお許しを」

「許すも何も、テレサさんに救われたようなものだし」

「マリア様、奥様は関係ございません。すべてはわたしの独断でやったこと。本当に申し訳ございませんでした」

「いやまぁ……もう、戻ってきちゃダメよ?」

「マリア様、短い時間でしたが、私生前の頃のように楽しかったです。あなたに出会えてよかった。本当に」

「エミー、私も。年頃の近い本当の友達のようだったわ。あなたのこと絶対に忘れないわ!」


 まったく頼りない娘だったけど、私のために一生懸命頑張ってくれた。エミー、本当に大好きよ。そう思うと少し涙が出てきた。


「ではマリア様、私たちは旅立ちます。どうかよい人生を。依頼の件、ありがとうございました」

「数々のご無礼、死してなお償って参ります」

「マリア様、どうかお元気で。私のこと、たまには思い出してくださいね」

「さよなら、みなさん。ありがとう」


 そして彼女たちの姿は完全に消えた。あれ、テレサさん最後依頼とか言った?


「おぉい、マリア。早くここ開けてくれ」

「人が感傷に浸っているときでも、あなたお構いなしなのね」


 私はぶつぶつ文句を言いながら鍵を回す。


「ふぅ、助かった。ご苦労さん」

「ご苦労じゃないわよ。第一あの水筒、空だったはずなのにどうして聖水が残ってたのよ?」


 そう、エンリケがヨセフに投げつけた水筒から確かに聖水が飛び出したのだ。空っぽだったはずなのに。


「俺の能力でな。水筒がやつの真上にいったときに、水筒の中に風を起こして蓋を開けたのさ」

「そうじゃなくて、どうして聖水が残ってたのよ?」

「あぁそれか。怒らない?」

「怒るって、どうしてよ?」

「怒らないなら言う」

「……分かったから言いなさい」

「お前たちが奥の部屋に行ってる間に、ちょっともよおしてな」

「は?」

「用を足せるものがなくて、どうしたものかと思っていたらな」

「まさか……」

「まぁ、飲んだ水が元の場所に戻ったってことで」

「……」

「結果助かったんだしよかったな。覆水盆に返るってやつだ」

「そういう問題じゃないでしょ! あんたねぇ! あの中にはお父様に頂いた、大事なネックレスが入ってるのよ!」


 私は開けた扉を再び閉めて、鍵をかけた。


「おい、約束が違うじゃないか! 怒らないって言っただろ」

「怒ってるんじゃありません。鍵を開けるのをやめただけです」

「まぁまぁマリア様、私が屋敷の池で洗って参りますから」


 後から聞き覚えのある声がした。振り向くと、そこにはエミーがいるじゃない。


「エミー! あなたどうしたの? テレサさんたちと一緒に昇天したんじゃ?」

「はい、どうも私は死ぬ前に屋敷を解雇されていたため、奥様たちと一緒に行けなかったみたいで」


 エミーはそう言って、はにかんでいる。


「なぁんだ。そうなのね、むしろ歓迎よ。なら、今あなたは無職ってことかしら?」

「はい。まぁ幽霊なので、無職が当てはまるかは分からないですが」

「それならあなたを、正式に私の使用人として雇うわ。報酬は国に戻ってからの後払いで」

「いいえめっそうもありません。生身ではないのでお金使えないし、報酬なんていりませんよ。むしろ生きがいと言いますか、死んでるんでいるので死にがいと言うべきでしょうか? ぜひ、ご奉仕させてください」

「ありがとうエミー。じゃあ最初の仕事よ。その水筒を洗ってきて」

「かしこまりました、マリア様」


 ふふふ、エミーはとても従順な娘。少し抜けているけどいいのよ。これで汚れ仕事を全部任せることができるわ。


「おい、お前今すげぇ悪い顔してるぞ」

「うるさいわね! ったく仕方ない。セバスチャンを待たせているし、今回だけよ! 次こんなことしたら許さないから」


 私はしぶしぶ扉を開けた。

 階段を上り屋敷の玄関を出るとエミーが戻ってきた。


「マリア様、洗って参りました」

「ありがとうエミー。じゃあ帰るわよ」


 辺りは日が昇り始めていた。私たちは、セバスチャンとルイザを待たせている場所に向かう。


「マリア様、それに坊ちゃんまで。お二人ともご無事で何よりでございます。ところでそちらは?」

「あぁ、私の新しい使用人のエミーよ。先輩として色々教えてあげてね」

「エマと申します。よろしくお願いします」

「おぉこれはこれは。わたくしは坊ちゃ……いえ、エンリケ様の執事をしております、セバスチャンと申します。」


 そう言いながら、セバスチャンは私を見て笑顔になる。


「そうですな、公女たるマリア様も、個人の使用人がいて然るべきですな。ではエマよ、これから使用人の心構えたるものを教授して参りますよ」


 セバスチャンも何かスイッチが入ったようだ。


「マリア様、こちらをご覧になってください」


 ルイザの言葉に、彼女の出した船の権利証を見る。


「これは……」

「はい。不思議なことに、無記入だった署名の個所にサインが入っているのです」

「これは奥様のサイン。きっと奥様の船でございます」


 それを見てエミーが言う。


「エミー、この船の場所わかる?」

「もちろんでございます。ご案内いたしますね」


 エミーに案内され、私たちは港へ向かう。






「こちらでございます」

「これはすごいな」

「大きい。本当にいいのかしら、こんな大きな船」


 そこには前の船より、もう一回り大きな船があった。


「キャラック級でございますね」

「よぉし、今日からこれが新生宵の乙女号だ。セバスチャン、宿で骸骨どもを叩き起こしてくるんだ」

「かしこまりました」

「一度乗ったことがありますので、中をご案内いたします」

「マリア様、セビリアはやめた方がいいかもしれません」


 ルイザが私に言う。


「え? どうして?」

「私のタロットに出ているのです。セビリアに「塔」のカードが」

「塔?」

「何か良からぬことがあるかもしれません。かなり迂回してしまいますが、イスパニアに入るならナントより、ロワール川を下って――」

「まさか、ピレネー山脈を越えろとでも言うの?」

「そちらでしたら「愚者」が出ていますので――」


 冗談じゃないわ。セビリアを目の前にして。ナントなんてイベリア半島をぐるっと回って行かないとじゃない! それに陸路で山越えなんて無理に決まってるわ!


「まぁ……とりあえず、考えておくわ……」


 私はとりあえず濁した返事をする。ルイザだって私の身を案じて言ってくれたんだし。


「では、お気をつけて」


 言いたいことを伝え終わったのか、ルイザは笑顔で私に見送りの言葉を掛ける。


「ルイザ、本当にありがとう。そしてあなたのお姉さん。本当にいい人よ。家族を捨てたってのも、きっと訳があるのよ」

「ありがとうございますマリア様。おっしゃる通り、姉のこと思い直します」

「またカサブランカに来たら、会いにくるからね」

「その日を楽しみに、お待ちしております」


 ルイザとの別れを済ませ、船の中を見て回る。


「こいつはまた、いい冒険ができそうだ」

「冒険の前に、私を家に帰しなさいよ」


 目を輝かせるエンリケに私は釘を刺す。


「もちろん、忘れちゃいないぜ。お前を帰して報酬をたんまり……」

「報酬がなんですって?」

「いやいや、なんでもない。じゃあ向かうぞ、セビリアへ!」


 ネーデルラント総督のお父様は、アントワープにいるかもしれない。でもセビリアは我がイスパニアの首都。ここから近いし、私の住んでいたリリア宮殿に残っている可能性だって。

 いよいよ帰れる、我が母国。一年ぶりに会えるんだ、お父様に。リシャールもきっと……。


「では出航だ!」


 エンリケの号令と共に、船は港を出航した。私も期待と不安を胸に、海原を見つめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る