第九話 形勢逆転

「あなたたち、早くこっちに」


 前のドアが開かれる寸前、後ろのドアが開き、私とエミーは奥の部屋に引き入れられた。

 すぐにコンコンコンと、ドアがノックされる。


「奥様、失礼します」


 ヨハンが入ってきた。そして部屋を見回しながら聞く。


「こちらに誰か、入って来ませんでしたか?」

「いいえ、誰も来ていないわよ」

「さようでしたか。お騒がせしました」

「ヨハン、あなたは休みなさい。私のことはいいから」

「そんな訳には参りません。奥様はわたしの――いえ、失礼します」


 何かを言いかけ、ヨハンは出て行った。


「さぁ、もう大丈夫よ」


 奥様に言われ、私とエミーはベッドの下から出た。


「奥様、久しゅうございます」

「まぁエマ。あなたはもう使用人じゃないのだから、テレサと呼んでいいのよ」

「そんな訳には参りませんよ。でも、なぜ私たちを」

「なぜって、困ってる人を助けるのに、理由なんて必要かしら?」

「――奥様、申し訳ございません。私てっきり、奥様が人間の魂を……」

「エマ、謝らないでちょうだい。それは事実ですから」


 このテレサという婦人、どうやらこの屋敷の主のようだけど。エミーが言ってたような感じではないわね。


「テレサさん、かくまって頂き感謝します。私はイスパニアのアルバ公女、マリアと申します」

「まぁ、アルバ公の? お初にお目にかかります、マリア様。お噂には伺っておりました。なんと立派になられて」

「マリアお嬢様、やっぱり高貴な身分の方だったのですね!」


 そういえばエミーには名乗ってなかったわ。今まで私を誰だと思ってたのかしら?


「あの、テレサさん。あなたが、若い男の魂を吸い取るとかなんとか……」

「そうですね、ご説明せねばなりませんね」


 そう言って、テレサさんは話し始めた。

 それによると、ご主人を亡くして十数年、ずっと独り身だった彼女に、執事のヨハンは密かに好意を寄せていた。日に日に彼の愛情は深くなり、そして歪んでいった。

 ある日、使用人の若い娘たちを、一斉に解雇すると言い出した。今にして思えば、女性はテレサさんだけでいいと言う、彼の歪んだ愛情表現だったのだろうと。


「私は、この世に未練などないのですが」


 更に続けた。

 賊に殺害された後、ヨハンの凄まじい怨念が彼女をこの世に留まらせ、主人に付き添うように、他の使用人たちも成仏できないでいるという。彼女自身の未練はないので、何もしなければ消えてしまうのだが、ヨハンの命令で定期的に人間から魂を吸い取っていたそうだ。そうしなければ、彼はこの街ごと呪うと言い出したので。


「じゃあエンリケ……いや、今日酒場で男を連れだしたのも」

「はい、私です」

「彼を投獄したのは――」

「ヨハンです。今日お連れした殿方は、人間でありませんでした。ヨハンは烈火の如く怒り、街の人間をみな連れ去ると」

「そんな……」

「どうか彼を止めてください。ここまで来ることの出来た、マリア様にしか頼めないのです」

「どうにかしたいのは山々なんだけど、聖水使いきっちゃったのよ……」


 私は聖水を手に入れたいきさつを話し、使い切ったいきさつを誤魔化して説明した。


「では、水があればいいのですね?」

「ええ、でも屋敷の井戸は枯れてしまったってエミーが」

「ご安心ください。井戸の水は確かにそうですが、敷地の裏に池があります。そこなら」

「そうでした! マリア様ごめんなさい、私すっかり忘れてました」


 やっぱりエミーって、ちょっと頼りない気がするわ。幽霊のくせに臆病だし、こんなだから解雇されたんじゃ? さておき――まぁ、諦めかけていたけどなんとかなりそうだわ。


「マリア様。井戸までご案内します。どうぞ私に付いてきてください」

「助かるわ。よろしくお願いします」

「私も、一人は怖いのでご一緒させてください」


 そして三人で部屋を出た。


「おいマリア! 早くここから……あ、テレサ。お前よくも」

「申し訳ありません、エンリケ様。もうしばしお待ちください」

「あんたよくそんなこと言えるわね。どう考えても自業自得じゃない」


 呑気に言うエンリケを見て、私は呆れて返した。


「ひでぇなぁ」

「そんなことより水筒、渡して」

「ああ、それなら――」


 エンリケが水筒を出そうとしたとき。


「やはり侵入者がいたか」


 ヨハンがやってきた。


「ヨハン、やめて。この方は私の客人よ」

「奥様、そうは参りません。奥様の体は、もう薄くなられてきています。このままでは消えてしまいます」

「私はこの世に執着なんてないわ。もういいのよ。私たちのせいで、生きてる人たちを犠牲にしてはいけない……」

「そのようなことおっしゃってはなりません。主人である奥様を守るのが、執事であるわたしの務め」

「ヨハンさん、奥様の言う通りですよ」

「うるさい! たかが下っ端の使用人が、わたしに指図など許さん!」

「はい……ごめんなさい……」


 エミーも諭そうとしたが、激しくまくしたてられ、すぐに怯えて謝った。


「ちょっとあなた。黙って聞いていれば、あなたこそたかが執事の分際で、主人にたてつくなんて何様のつもりよ!」

「ほう、これはこれは。その話し方だと、随分高貴なお方とお見受けしますが?」

「当たり前でしょ、私はアルバ公女マリアよ! 分かったらさっさとそこを通しなさい!」


 ふん、執事ってなら身分の差くらいわきまえてるでしょ。さぁ私に膝まづくがいいわ。


「そうは参りませんなぁ。それが本当ならば、これほど高貴な身分の若い魂。これ一つで、奥様は数年安泰しましょう」


 あれ、なんかおかしい。


「やめなさいヨセフ!」

「ヨセフさんやめて!」


 テレサさんとエミーが、ヨセフを抑えようとする。


「じっとなさい!」


 ヨセフは二人に向かって手を向けると、彼女たちは動きが止まる。


「ヨセフあなた……」

「う、動けない」

「申し訳ありません奥様。これも奥様のため。どうかそのまま見守りください」


 そしてヨセフは、私に対しても手を向ける。


「え、なにこれ……動かない」

「わたしはどうやら、生への執着に大きく縛られていたようで。気付けば、なんでも縛り付けることができるようになったのですよ」

「ちょっと、何言ってるか分からない」

「マリアよぉ、そのおっさんは自分の執念に縛られてるうちに、そういう能力を身につけたようだぜ」


 こんなときにエンリケは呑気に言ってくる。


「あなたどうにかしなさいよ!」

「だってなぁ、俺をここから出してくれなかったしなぁ」


 このクソ男、この非常時に何言ってるのよ!


「可哀そうに、従者にも見捨てられてしまいましたか。でもご安心ください、もう苦しむことはありません。これで終わらせます」


 ヨセフはそう言って、私に両手を向け何かを念じ始める。全身の力と意識が無くなっていく。まさか、魂を抜かれているの……? これ以上は本当に意識がもたない。


「エンリケ! 私はお宝なんでしょ⁉ 早く助けなさい!」

「別にぃ、この街ならお宝はいっぱいありそうだしなぁ」


 ほんとにクズ男! もうだめ、本当に死んじゃう……。


「お願い! エンリケ、助けて!」

「ったく、最初から素直にそう言えっての」


 そう言うと、エンリケはヨセフに水筒を投げつけた。だけど水筒はヨセフに当たることなく、その頭上に上がった。あぁ、これで私終わりなのね。

 次の瞬間水筒の蓋が外れ、中から水が飛び出しヨセフに降りかかる。


「う、うぎゃぁ! これは……貴様まさか⁉」


 ヨセフはまるで火あぶりにでもされたようにもがき始め、その体は青白い炎に包まれている。同時に私たちの身体は自由になった。

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