第七話 だって喉が渇いたんですもの
「簡潔に言います。マリア様が幽霊退治に行くのです」
「はい……?」
ルイザの説明によると、屋敷の幽霊たちはルイザの霊力を感じ取って隠れてしまうので、除霊以前に彼女は幽霊自体に遭遇できないとのことだった。ましてや霊感のない人間が行っても、もちろん幽霊を確認することはできない。ただ、確かにそこには霊がいる。幽霊独特の匂いがあるそうだ。それも複数。
「この猫は霊なのです。ですから、マリア様にこれが見えるということは、霊感があると言うなによりの証左でございます」
真剣な表情でルイザは言う。
冗談じゃないわ。だからって私に何が出来るのよ。
「ちょっと待ってよ。話は分かったけど、それなら私じゃなく、男のセバスチャンのほうが適任じゃない? ちゃんとその猫も見えてるんだから、大丈夫でしょ?」
怖いからではない。まぁ怖いけど。でもそれよりも、幽霊と対峙したときに、腕っぷしの強い男性のほうが適任だろうと思うのは自然だ。
「残念ですが、幽霊に幽霊は除霊できないのです」
「……はい?」
え、いきなり何言い出すの? 私は訳分からない様子でいるとルイザは続けた。
「彼は幽霊ですよ」
「は、はぁ⁉」
セバスチャンが幽霊? 大丈夫? この祈祷師。
「セバスチャン、あなた魔女の呪い受けてないって言ったわよね?」
「はい、呪いを受ける直前に死んでしまいましたので。ただ、死後に坊ちゃんの能力で魂を具現化されていますので、正規の幽霊とは多少違いますが」
「はぁぁぁぁぁ⁉」
もう何がなんだか分からないと思いながら彼をよく見ると、火の玉がぐるぐる回っていた。そうか、だから夜道も明るかったし、ガラの悪い奴らも驚いて寄ってこなかったのか。なんだかんだ、私の中で合点がいってしまった――正規の幽霊って何よ……。
「でも、私に幽霊が見えたとしても退治なんて……」
「ご安心ください。マリア様の首に掲げたネックレス。それは教皇様に、直接の祝福を授かっております。ちょっとよろしいでしょうか?」
そう言ってルイザは私のネックレスを手に取り、それを水の入った筒に入れた。
「こちらをお持ちください。幽霊が現れましたら、それに向けてこの聖水を掛けるのです」
「そんなので大丈夫なの?」
「はい。ネックレスもそうですが、マリア様自身も聖母様の洗礼を受けておられますので」
洗礼? そういえばトレド家では、生まれた赤子のおでこに洗礼がどうのって、お父様が言ってたような。
「では参りましょう」
ルイザとセバスチャンが同行し、私は前後を固められた。逃げたくて仕方ないけど、面目を重んじる私はそんなことが出来ずに、重い足取りを引きずりながら幽霊屋敷に向かった。
「あれが
丘を登り、どんどん港の灯りが小さくなっていった一際寂しい場所に来ると、ルイザは前にうっすらと見える建物を指してそう言った。
「大きな一軒家だけど、真っ暗でなんかおどろおどろしいわね……」
「これ以上私が接近しますと、霊に気配を探られてしまいますので、ここでお待ちしております」
「マリア様、わたくしがご同行いたします」
セバスチャンが申し出た。が、私は毅然とした口調で返す。
「いえ、あなたはここでルイザを警護していて。ガラの悪い輩に襲われないように」
「しかし……」
「平気平気。私の相手はただの幽霊なんだから。むしろルイザは間接的にアルバ家の使用人になる訳だし、主人として守るのは当然よ」
もちろん嘘。いや、ほんの僅かくらいそういう気持ちだってあるわよ。
でも一番大事なのは私。当たり前じゃない。
じゃあなんでこんなこと言ったのかって? 私の、トレド家の格式の高さを教えてあげるため。見てなさい、このあとルイザは言うわよ。
「マリア様。お気持ち深く感謝いたします。ですが、そんな訳には参りません。公女たるマリア様にもしものことがあれば、本末転倒でございます」
きたきた。こうなるのは計算のうち。さぁ、もっと私を
「マリア様。ルイザの言う通りでございます。使用人と主人の命は、決して天秤にかけられるものではございません」
セバスチャンいいわよ。その調子でもっと私を褒めるのよ。そして私の器の大きさを再確認したところで、結局あなたは私に同行すると。
「ですが、マリア様のその懐の深さ。わたくし深く感銘いたしました。本来ならわたくしが同行するところですが、マリア様のお気持ちを
――あれ、なんか違う?
「我が主が同じことを申しましても、わたくしは同じ行動をとるでしょう。マリア様のご意向、このセバスチャン、謹んでお受けしました。ルイザよ、主のお心使いに深く感謝なさい」
「本当に、言葉もございません。私ごときに……」
あ……あれ?
「ではくれぐれも、ご用心なさってください」
「マリア様のご無事をお祈り申し上げます」
作戦失敗……どうして私はあんな余計なことを言ったの! 数分前の私を呪ってやりたい……。
しぶしぶ屋敷の門の前に来ると、門は錆びついて動かない。
これは仕方ないわよね。だってこれじゃ中に入れないもの。私が引き返そうとすると、ギギーっと門が独りでに開いた。
来なきゃよかった……。
すぐにでも逃げ出したかったが、あんなことを言った手前戻るに戻れず、ビクビクしながらどうにか玄関までやってくる。
意を決してドアをノックすると、またもや扉が独りでに開いた。
なぐさめ程度のロウソクの灯りが照らす屋敷の中は、湿った空気でカビ臭かった。私の心臓は爆発寸前。でも私のせいで船を失くしてしまったのだし、その責任は取らないと……。
逃げ出したい少女マリアと、責任を感じる公女マリアが葛藤する。一歩だけ踏み入れた足は、鉄のように重く硬くなり、そのままドアの前で立ち止まる。
五分後。
だいたいこんなところ、若い女性一人で来るってのが、そもそもおかしいのよ。船は別の方法を考えればいいわ。
少女マリアの勝利であった。
そして屋敷を出ようと玄関を振り向いたとき。
「これは随分若いお客さんだねぇ」
「ヒヒヒ、奥様も喜ぶよこれは」
目の前に二体の幽霊がいた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
私は走った。どんどん屋敷の奥に。入口の幽霊から離れることだけを考えて。そして明かりの点いた部屋に入る。
「はぁはぁはぁ」
もう無理、だめ。聖水? 使ってる暇なんてないわよ。どうするの、ずいぶん奥まで来ちゃったじゃない。もう嫌、誰か助けて……。
私はその場に座り込んで泣いていた。
「もし」
ずっと顔を伏せ続ける。
「もしもし」
何も聞こえない。
「もしもしお嬢様?」
聞こえないって言ってるでしょ。
「私の声が聞こえませんか?」
「だから聞こえないって言ってるでしょ!」
たまらず立ち上がって叫ぶと、目の前に私と同じくらいか、少し若い少女がいた。私は驚き目を見開く。
「よかった。私が見えるのですね」
「――見えません」
また座り込んで顔を伏せる。
「お嬢様、意地悪なさらないでください。私はあなたの味方ですよ」
「は? なに言ってるのあなた。見えないって言ってるでしょ。どうせあなたも幽霊なんでしょ?」
「はい、その通りでございます。ただ……」
「ええい、悪霊退散!」
幽霊だと言うことを確認すると、水筒を手に取り聖水を掛けようとした。
「きゃあ、お待ちくださいお嬢様」
幽霊はしくしく泣きだした。どうやら本当に悪い霊ではなさそうだ。
「何よ。話すことがあるなら話しなさいよ」
とりあえずその娘の話を聞くことにする。
「ありがとうございますお嬢様。私はエマと申します。この屋敷で使用人をしておりました――」
彼女の話によると、数年前の賊の襲撃により、この家の未亡人の奥様や使用人は全員殺されたそうだ。しかしこの奥様のこの世への未練が強く、使用人共々成仏できずに幽霊となって、ここに残ってしまったらしい。
「で、なに? その奥様の未練を断ち切れば、みんな成仏するの?」
走り回った末、この娘と話し込んでいた私は、乾いた喉を潤すため水を飲みながら言った。
「はい、その通りでござ……お嬢様、それは⁉」
「ん?」
エマは驚き震えながら言う。彼女の指しているものは、私の飲んでいる聖水入りの水筒だった。
「あ……」
やってしまった。ルイザが用意してくれた聖水を、ほとんど飲み干してしまった。
「ねぇエミー。どこかに井戸はないかしら……」
「残念ですが、もう枯渇しております……」
一分前の私をぶん殴ってやりたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます