第五話 フランソワ・ロロノー

 それは大きな船だった。キャラベル級のこの船より二回りは大きい。まるで噂に聞くガレオン船。


「まずいな、これは。セバスチャン、マリアを奥へ」

「かしこまりました。坊ちゃん」

「坊ちゃんはやめろ……」


 坊ちゃん呼ばわりは嫌みたいだ。まぁ私も社交界でそんな扱いだったし、気持ちは分からなくもない。ともかく、エンリケの命令で私は奥へ退避させられた。


「さて、この船の責任者は?」


 壁の隙間から覗くと、接舷された船に数人の男が乗り込んできた。どうやら、今口を開いたのが首領のようだ。


「あぁ、俺だ。ようこそ、よいの乙女号へ」

「ふん。余りにみすぼらしい船だから、幽霊船かと思ったよ」


 エンリケと相手の首領が話してるのを見て、私はセバスチャンに聞く。


「ちょっと、大丈夫なの? あいつ一人に任せて」

「問題ございません。あれでも坊ちゃんは、大変肝が据わっておりますので」


 肝がどうとかじゃなく、海賊相手に人数的に無謀なことを心配しているのに。


「さてと、うちの船を傷つけてくれた代償は、どうしてくれよう?」

「落ち着きなって。この船がぶつかったくらい、なんてことないだろう? こんな大きなおたくの船……えぇと、おたくは?」

「まさかこの海において、俺を知らない奴がいるとはな。まぁ、どうせここで死ぬんだ。知る必要はないだろう」

「まぁまぁ、そう言わずに。俺はエンリケ、家名はいいや、適当に付けてくれ」


 そう言いながら、エンリケはちらっとこっちに目を向ける。それに応えるように、セバスチャンは彼を見て頷く。

 アイコンタクトをしているようだが、こんな板の隙間から分かるはずもない。第一、それが分かるようなら相手の海賊にもばれるはずだ。


「あの世への手向けに、覚えておいてやろう。エンリケよ一応聞くが、この船に金になるものはあるか?」

「あぁ、それね? 運の悪いことに、昨日銀貨全部使っちまったんだよ」

「お前ら、念のためこの船を探れ」


 首領は部下の海賊たちに言うと、やつらは一斉に船内捜索を始めた。


「ねぇ、大丈夫? ここ、あいつらに見つかるよ……」

「ご安心ください。坊ちゃんが時間を稼いでくれたので、もう大丈夫です」


 安心しろと言われても、隠れているこの船長室には鍵もないし、不安しかない。


「おい、誰かいるか?」


 海賊がドアを開けて中に入ってきた。隠れるも何も、部屋の中にただ座っているだけの私たちは丸見えである。その証拠に、私たちも海賊が丸見えなのだから。そんな私にできることなんて、息を殺すくらいだった。


「いねぇのか? っち、金になりそうなもんもねぇな」


 海賊は、私たちの目の前まで来て物色を始める。震えが止まらない私に、セバスチャンが肩を叩き下を指した。そこにはいつ書いたのか、模様のようなものが描かれていた。


「ったく、本当に湿気た船だ」


 捨て台詞を残し、海賊は部屋を出た。


「言った通りでございましたでしょう?」


 セバスチャンは、それ見たことかと言わんばかりの表情で、私に言ってくる。


「何がどうなってるの……?」


 全身の震えが治まらないまま聞いた。


「坊ちゃんが海賊相手に時間を稼いでいる間、靴墨で床に魔女の刻印を描いたのです」

「それが、なんだって言うの?」

「日が出ている間は姿こそ人間ですが、坊ちゃんの能力によってこの印の上の空間は歪み、外の誰からも視認できないのです。ですから他の船員たちも、船のどこかで無事でいるはずです」


 そんなビックリ能力があるなんて。

 驚愕する私は、また視線をエンリケに向ける。


「船長。何もありやせんでした」

「こっちもです船長」

「まったくお宝どころか、人っ子一人いやしませんでしたぜ」


 海賊たちが首領に、続々と報告する。


「な、言った通りだろ? さぁ、分かったらこちらへ」


 エンリケはそう言って、接舷してきた船へのタラップに腕を送る。


「ふん、本当に何もないとはな。船員がお前一人と言うのも、なんともおかしな話だ」


 そう言いながら首領が甲板を見渡したとき、私は彼の顔を正面に見た。


「リシャール……」

「マリア様、動いてはなりません。この印の上から出ないように」


 見覚えのある顔に動揺した私は、思わず足を踏み出しそうになった。


「生憎、船員はみんな骨になっちゃってさ」

「ふん、まぁいい。騒がせたなキャプテンエンリケ」


 冗談めかして言うエンリケに対し、首領は怒るでもなく言った。


「全員乗り込みました」


 海賊たちが退避し終わり、首領に告げた。


「では皆さん、よい航海を~」


 エンリケは笑顔で手を振りながら見送る。首領がエンリケの横を去り際、彼に言った。


「せっかくだから教えておいてやる。俺はフランソワ・ロロノー。もう衝突する船を間違えないことだな」


 フランソワ・ロロノー。フランク人の名前だけど、私は聞いたことがない。この一年で台頭してきた海賊かしら。それにしてもあの顔、遠目だったからなのか、リシャールにそっくりだった。でもさすがにそれは……ないわね。


「よ~し、もういいぞ」


 ロロノーたちの船が離れると、エンリケは船長室に入ってきた。


「さすがでございました。坊っ、エンリケ様」

「あんたそんな能力あるんだから、普通に蹴散らせばよかったじゃない」

「だから言ってるだろ? 俺は海賊じゃない。冒険家だ。第一、日が出てたらそんな力はほぼ使えない。せいぜい刻印の上で悪あがきする程度だ。あとは生身の人間と一緒。じゃあちょっくら墨を借りるよ」


 そう言ってヘンリーは自分の足元に魔女の刻印を描いた。


「今更そんなもの描いても、仕方ないじゃない」


 呆れて私が言うと、船にものすごい衝撃が響き渡る。ドーンドーンと、何度も。


「やっぱり撃ってきたか」

「やっぱりって」

「いくら盗むものがなくても、船を当てられた海賊がそのままで済ます訳ないでしょ」

「じゃあ何? 今砲撃されてるわけ?」

「ご名答」

「ご名答じゃないわよ! まぁ元は私のせいなんだけど……どうするのよ?」

「どうもこうも、沈むのを待つ」

「……」

「いいか、その印の上から出るんじゃないぞ」


 船長室も容赦なく砲撃を受け、船がどんどん形を変えていく。


 砲撃が終わるころには半分以上浸水していた。さよなら私の十六年。

 そして私は気を失った。






「うぅん……」

「やっと起きたか。街明かりが見えたぞ、もう少しだ」


 目が覚めると、吸血鬼顔のエンリケと昼間と同じ顔のセバスチャン、そして三体の骸骨たちと一緒に私はいかだの上にいた。


「この筏は? って、その前にセバスチャン、あなたは普通の見た目なの?」

「おはようございますマリア様。さようでございます。わたくしは呪いを受けておりませんので」

「あぁ、なんかちょっとだけ安心した」


 安堵する私を見てエンリケが答える。


「この筏? 何を言う、宵の乙女号じゃないか。さっきまで乗っていた船を、もう忘れたのか?」

「いや、すごく覚えてはいるんだけど……違くね?」

「言われてみれば、多少はスリムになったな」

「多少じゃないでしょ!」

「坊ちゃんやわたくし、船員たちがいた場所は刻印をつけてあったので無傷でした。その床板を集めて、即席でこしらえたのが、これでございます」

「あぁ、なるほど。――ごめんなさい。私のせいで船がこんなことに」

「まぁいい。どのみち、あの船もそろそろ限界だったしな」


 意外にもエンリケは眉一つしかめず、寛大に言った。


「見ろ、街が近付いてきたぞ」


 エンリケがそう言ったのを聞いて、明かりのほうを見ると街が広がっていた。

 私は星の位置を確かめ、その街を確信した。


「カサブランカよ!」


 みじめな筏であったが、日が暮れたことでエンリケの力を使えるようになり、だいぶ進むことができたようだ。そして奇跡的に、目的地への航路も取れていた。

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